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51埼玉県

2018年9月16日 (日)

彫刻が素晴らしすぎる埼玉県指定文化財の箭弓稲荷神社の社殿と野球バットの絵馬

東武東上線東松山駅の西のすぐ近くに「箭弓稲荷神社」があります。

箭弓とは難しく何て読むのだろうというところですが、「やきゅう」と読みます。

創建は和銅5年(712年)ということですから、奈良時代の初めということになります。

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社殿の配置は、日光東照宮と同じ内陣と拝殿を別にする権現造で、屋根は銅葺で千木とカツオ木をつけています。

正面の大きさは545センチメートル、奥行き515センチメートルの風格ある重厚な社殿です。

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↑社殿には至るところに素晴らしい彫刻があります。

この拝殿ははおよそ10年の歳月をかけて完成されたものと考えられ、棟札によると天保6年(1835年)に上棟とされたと記されています。

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↑本殿を右側から見ています。

埼玉県指定文化財となっており、社伝によると、本殿が文化元年(1804)年、幣殿が文化8年(1811)年に建築されたものといいますから、すべて江戸時代後期のものです。

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↑本殿の右後方から見ています。

ところで、箭弓稲荷神社とは不思議な名前ですが、平安時代中頃までは野久稲荷神社だったようです。

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↑本殿を左後方から見ています。

下総国城主の平忠常が謀反を起こし、武蔵国の川越まで押し寄せてきたため、朝廷は源頼信を追討の任に当たらせたといいます。

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↑本殿の左側から見ています。

頼信はこの地「野久ヶ原」に本陣を張り、野久稲荷神社に必勝祈願をしたところ、明け行く空に箭(矢)の形をした白雲が敵を射るかのように飛んで行き、これぞ神のご加護と奮いたち、敵陣に攻め入り勝利したといいます。

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2018年9月 9日 (日)

4世紀後半に造られたことがわかった東松山市の野本将軍塚古墳

埼玉県東松山市に将軍塚古墳があります。

国道254号線と407号線の交差点に近く、その間の県道にも案内板があり、かつその道路からすぐのところです。

右の碑には「埼玉県指定史跡将軍塚古墳」と書かれており、その説明板があります。

左の2本の柱には「利仁山」「無量寿寺」と書かれています。

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↑この小山が将軍塚古墳という前方後円墳で、地名から野本将軍塚古墳とも言われています。

左に向かっては奥にある無量寿寺への参道ともなっています。

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↑古墳は右側(北側)が前方部で、高さは8メートルあり、階段で登ることができます。

陸軍大臣金谷範三氏の書による忠魂碑が立っています。

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↑平らな少し広い空間があります。

南側の後円部分の方を見てみると、くびれ部分に向かい下り坂があり、その先の後円墳への階段も見られます。

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ここを通らず一旦前方部分から階段を下り、参道から改めて後円部分を見ると鳥居が立っています。

この上には利仁神社があり、墳丘の高さは13メートルあります。

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将軍塚古墳は想像していた以上に大規模で、前方後円墳全体の長さは115メートルもあります。

5年前に見に行った、埼玉県の地名の由来にもなった行田市にある埼玉古墳群にあった138メートルの二子山古墳、120メートルの稲荷山古墳に次ぐ3番目の規模です。

しかも120メートルを超える可能性もあるということです。

ところで、利仁という名前と将軍という名称の関係も気になります。

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2018年9月 2日 (日)

故きを温ねる公園と新しきを知る公園がちょっと不思議な入間市駅近辺

Googleマップを見ていたら、またもや行って見たいところを見つけてしまいました。

西武池袋線入間市駅の近くにある「故きを温ねる公園」です。

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さほど広くない街中によくある公園です。

小学校の門柱があります。

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↑埼玉県入間郡武蔵町立豊岡小学校と書かれていました。

武蔵町という町があったとは知りませんでした。

我が学び舎とも書かれた碑がありましたから、ここに小学校があったようです。

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低学年用と思われる椅子が並んでいる光景が、ちょっと不思議な雰囲気を醸し出しています。

さらに少し深くなった石造りのものもあります。

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何かの遺跡なのかとも思いましたが、何も書かれていませんから、単なる池なのでしょうか。

少し高いところもあり、そこにある道標には説明板がありました。

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秩父往還と日光脇往還の交差点(現在の河原町交差点)にあったものが移設されたということです。

市指定史跡ですが、「豊岡温故公園の道標」と書かれていました。

公園の正式名称はどっちなのでしょうか。

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2018年8月19日 (日)

子ども達で大賑わいかと思っていたのに予想外に静かだった大宮花の丘の親水広場

ほとんど花が咲いていない12月に行った大宮花の丘農林公苑に、今度は花がたくさん咲いているであろう8月に行きました。

夏には子どもが水と触れ合える親水広場があったはずです。

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↑来てみると、前回には無かった水があります。

今年の夏は暑いし、さぞかし大賑わいで子ども達の歓声がうるさい程かなと心配していました。

しかし、シーンとしているし、そもそも水はあるものの流れていないようです。

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↑お知らせが貼ってあります。

猛暑による水温上昇の影響で水質悪化が確認されたため利用できないとのことです。

確かに今夏は本当に暑い日が多いです。

公苑ブログによると、ここ数日涼しくなったためか、この直後の8月16日から利用できるようになったようです。

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↑親水広場に沿った通路沿いには、サルスベリの花が咲いています。

やはり夏は冬と違って花を見ることが出来ます。

でもサルスベリは街路樹でもよく見かけますから、普段見ない他の花にも期待です。

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↑マリーゴールドの花です。

ここ大宮花の丘はこうした花壇だけでなく、あたり一面花畑という空間もあったはずですから、そちらに行きましょう。

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↑やはり夏といえばという感じで、ヒマワリが咲いていました。

一般的に想像する人の背丈と同じくらいのものではなく、かなりミニの品種のようです。

ここではサルビアが有名ですから、そちらを見てみます。

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2018年8月12日 (日)

県指定史跡である毛呂氏館跡を廻りながら毛呂山町の由来を考えてみる

埼玉県毛呂山町にある毛呂氏館跡に行って来ました。

JR八高線毛呂駅から1kmも離れておらず、県道30号線から毛呂山霊園の案内板のところを曲がれば行ける、分かりやすいところにあります。

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↑金嶋山長栄寺の山門から入っていきます。

ここ長栄寺と裏山が毛呂氏館のあったところです。

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↑埼玉県指定史跡となっており、毛呂顕季が館を廃し寺を建てたと、ここにある埼玉県・毛呂山町教育委員会の標柱には書かれています。

しかし、埼玉県HPの史跡・名勝の紹介には毛呂顕重により創建と書かれています。

まあいずれにせよ、毛呂氏がその館跡を長栄寺としたようです。

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↑長栄寺から北側の裏山に向けて坂道を登ったすぐ先には毛呂氏墓があります。

↓ここには毛呂氏供養塔があり、説明板もありました。

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毛呂氏の祖である季光(すえみつ)は、治承4年(1180年)源頼朝挙兵以来その側近としてつかえ、毛呂郷地頭職の外、豊後の国守なども歴任していました。

頼朝の死後起きた重臣間の争いを避け、職を辞して毛呂郷に帰ったといわれています。

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↑長栄寺と背後の石尊山の中腹までが毛呂氏の館跡と考えられており、その分岐点には標識があり、ここから山中に入っていきます。

城跡めぐりに夏は向いておらず、踏み分け道にも雑草の下草は多く、歩きづらいしヘビの心配もしなくてはいけません。

クモの巣をかき分けながら進んでいきます。

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2018年8月 5日 (日)

鎌北湖は少し水嵩が増えただけで不思議と美しさも増して見える

1年2ヶ月ぶりに埼玉県毛呂山町の鎌北湖に行って来ました。

県道が途中から急坂道となりますが、鉄塔の立っている山の向こう側辺りに湖はあります。

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この日は車で来ていますから、坂道も楽々です。

まず、上流側の川から水が流れ込んで来る辺りに行ってみました。

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↑前回見た時と景色が違う気がします。

木々が水面に映りとても美しい光景となっています。

↓戻ってから改めて、ほぼ同じところで撮影した写真を見て比較してみると、だいぶ水嵩が増しているのが分かります。

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この辺りは水辺まで近づけるので行ってみると、気温が違いました。

猛暑日が続いている中ですが、水の近くは明らかに涼しいです。

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↑キレイな水が流れ込んできますが、川沿いにこれより上流には行けなくなっていました。

↓川は左側の道の下をくぐり、右側の道に沿って上流から流れて来ています。

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川の周囲に木が生い茂っていて、水面の写真も撮ったのですがよく見えないので載せてはいません。

左の道が林道権現堂線と書かれているところが、山間部に来たことを感じさせます。

さて、鎌北湖の方を見てみます。

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2018年7月 1日 (日)

負けたから白旗を揚げたのではない白旗塚のある小手指ヶ原古戦場跡と誓詞橋

小手指といえば、西武池袋線の行先としてよく見聞きする名前で、昭和45年(1970年)に小手指駅と車庫ができました。

小手指行きの電車が走り始めた時は、まだ子どもだったので「こてさし」とは読めずに何て読むのだろうと思っていました。

小手指というと、もう一つ歴史上有名なのが小手指ヶ原古戦場です。

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小手指駅からはだいぶ離れていて、国道463号線所沢入間バイパスの少し南側にあります。

小手指ヶ原は元弘3年(1333年)に鎌倉に攻め込むため目指す新田義貞軍とそれを迎え討つ鎌倉幕府軍が最初に衝突した古戦場と伝えられています。

↑ここには小手指ヶ原古戦場碑が建てられています。

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鎌倉街道が通っていたため、この辺りではこの一回だけでなくしばしば合戦が行われており、小手指ヶ原というはここだけでなく周辺一帯のことのようです。

↑碑の西に向けては、林の中のいい感じの小道があり、その60m程先には白旗塚があります。

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白旗というと、負けた時に掲げる旗というイメージがありますから、ここで敗戦した軍の話かと思ってしまいます。

しかし、白旗塚は新田義貞がこの塚上に源氏の旗印である白旗を掲げたということから名付けられています。

でも、新田義貞は鎌倉幕府を倒したのに源氏なのかという疑問が次に湧きました。

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調べてみると、新田義貞の正式名は源義貞と言うのだそうです。

確かに、当時の鎌倉幕府は源氏というより、執権である北条氏の幕府というものですから、幕府を攻める方が源氏でも構わないということでしょうか。

でも、やはり混乱します。

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↑塚の頂上には白旗塚碑とともに、石祠の浅間神社がありました。

塚が富士山みたいですから江戸時代以降の富士講の富士塚として、頂上に浅間神社が設けられているのでしょうか。

さらに、この周囲の様子を見てみます。

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2018年3月18日 (日)

北条氏から河越城を奪還するための柏原城なのに何で守りに力を入れているのかの疑問

城郭の縄張りの完成度が高いといわれる狭山市の柏原城の続きです。

守りやすさから舌状台地に築かれた城は、裏側の方は平坦な土地であるはずです。

その北西側からの様子を見てみます。

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↑こうして見る限りは、やはり予想通りに攻めやすそうに感じられます。

しかし、すぐ近くまで行って、同じく北西方向から本郭を見ると、手前には空堀があります。

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その向こうには土塁がありますから、さらに高くなっています。

東側を除く本郭周囲には空堀が巡っていますが、その深さは平均で約3メートルとなっています。

幅はもっとも広い所で7メートル、狭い所で3メートルあり、平均は約4メートルです。

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↑空堀の中に入ってみると、やはり周囲は高く、当時としてはさらに2メートル深かったとのことなので、攻め上がるどころか這い上がるのも難しかったことでしょう。

この北西側からも柏原城というか城山砦跡への入り口があります。

前回も触れたように、ここにはいくつもの名称がありますが、なぜか統一されていないのが不思議です。

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↑左側にあるのが、先程下にも行った空堀で、左奥が本郭です。

さらに、発掘調査によると、この空堀の外側にも深さ3メートルの空堀があったといいます。

ここは現在では道路になっているので面影は残っていませんが、二つの空堀の間には1メートル程の土塁上の高みが残っています。

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ところで、そもそもこの柏原城は、扇谷上杉氏の居城であった河越城が北条氏に落とされたものを、再び奪還するための拠点だったはずです。

攻め込むための城なのだから、そんなに守りの重点を置く必要があったのでしょうか。

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2018年3月11日 (日)

城山砦、上杉砦、柏原城といろいろな名で呼ばれる山内上杉氏の城郭の完成度の高さ

狭山市柏原には市内唯一である中世城郭の跡があります。

戦国時代の城は天守閣などの飾りつけはなく土の城で、まさに戦いの城という感じがいいものですが、位置的には新狭山駅から北西方向に向かい、入間川を渡った先になります。

その面積は約7000平方メートルあり、狭山市による案内表示板では「城山砦跡」と書かれていますが、別名を上杉砦ともいい、さらには地名から柏原城とも呼ばれています。

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↑狭山市駅からのバスの行き先にもなっている大規模に住宅開発された西武狭山ニュータウンの住宅地のすぐ横に沿うように、その砦跡というか城跡はあります。

ここも戦うための城によくあるパターンで、入間川に迫り出した舌状台地の端部に位置し、10メートルほどの河岸段丘上にあります。

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↑山城というか丘城ですが、登っていくとやはり結構急斜面です。

ここは天文14年(1545年)9月から半年近くにわたり、関東管領の山内上杉憲政が陣を敷いたことから、江戸時代後期には「上杉砦」と言われていたと案内板にありました。

坂を進んでいくと空堀の中に入っていきます。

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↑敵がこの城を攻めようとすると、上から弓矢で攻撃して防御するでしょう。

憲政がここに着陣したのは、天文6年(1537年)に河越城が小田原の後北条氏に奪われたものを再び奪い返すためでした。

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↑案内板にあった地図ですが(クリックすると拡大します)、この下の方から登ってきました。

東に本郭、西に二ノ郭があり、この図にはありませんが、さらにその西には三ノ郭もあったようです。

本郭への入口である虎口から中に入り、振り返って見ると両側には高さ3mほどの土塁があります。

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この虎口さえ守れば、それ以外からは敵は易々とは攻め入ることのできない作りになっています。

陣を構えて城を守る立場にたって山城を見るといろいろ面白いものです。

さらに、そのスタンスで見て回りましょう。

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2018年3月 4日 (日)

埼玉県にあるのに東京都の朝霞浄水場から都内への水道管のシールドトンネル工事が行われていた

JR武蔵野線北朝霞駅からちょっと北に行くと、東京都水道局の朝霞浄水場が見えます。

でも考えてみれば、朝霞市は埼玉県のはずです。

ちょうど都県境が複雑に入り組んでいて、浄水場の敷地は都内なのかとも考えましたが、清瀬市、東久留米市、西東京市、練馬区みな遠すぎてあり得ません。

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↑行ってみれば(行かなくてもわかりますが)、やはり埼玉県朝霞市宮戸です。

ここは荒川の秋ヶ瀬取水堰からの水を浄水し、東京都の水道水としています。

高度浄水処理で安全でおいしい水をつくっていますと書かれていました。

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↑その高度浄水された水をここでは飲むことができます。

近頃は水道施設ではテロ対策のため警備が厳重ですが、さすがにこの水飲み場は門の外にあるから誰でも飲めます。

暑い日だったせいかもしれませんが、水道水とは思えないほど、冷たくてとても美味しい水でした。

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↑この浄水場の前の道は歩車分離されているだけでなく、自転車道も分離された形態です。

埼玉県道は、歩道を歩行者用と自転車通行用に区分された道が多く、自転車でも走りやすいです。

ただし、歩道中央に白線を引いて左右に色分けしただけの道だと、なぜか自転車通行帯を歩いている歩行者が多く、むしろより危険なこともあります。

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↑朝霞浄水場から朝霞市膝折地内間送水管(2600mm)用トンネル築造工事と書かれた看板があります。

2600mmといえば、つまり2m60cmですから、市内の水道管としては結構太いです。

奥にはシールド工事の立坑らしき囲いも見えます。

ちょっと興味が湧きました。

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