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51埼玉県

2017年9月 3日 (日)

鉄道カフェSTEAM LOCOMOTIVEではいくつものジオラマに鉄道模型が走りまくっている

ららぽーと富士見は立川立飛より少し早く、平成27年4月にオープンしました。

以前休日に国道254号線バイパスを通った際、ここの駐車場へ入っていく非常に数多い車を見て、さぞや混雑しているのだろうと思っていました。

しかし、平日に行ってみると、さすがに空いていました。

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↑ジオラマの右側にあるのは、ららぽーと富士見の建物ですが、実際には鉄道はすぐ近くに通ってはおらず、東武東上線鶴瀬駅からバスで6分ほどのところにあります。

無料シャトルバスは運用されていません。

駐車場は4600台分あり、平日も休日も終日無料です。

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このジオラマはその3階の「鉄道カフェSTEAM LOCOMOTIVE with ポポンデッタ」にあるものです。

模型店であるポポンデッタに鉄道カフェSTEAM LOCOMOTIVEが併設されているのです。

どんなところか興味があり入ってみました。

先ほどのららぽーと富士見のジオラマは店の外側からも見られますが、着席して、ジオラマの中を走っている鉄道模型をじっくりと見るためには、何か注文する必要があります。

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セルフ方式で、自分で座席を確保してからレジで注文する仕組みのようです。

さほど空腹でもなかったのですが、ピザトースト680円を頼みました。

340円の飲み物も平日は200円でセットにできるということで、アイスコーヒーと合計880円です。

大きなジオラマが一つあって、その周りに座席があるのかと思っていましたが、そうではなくいくつもあります。

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↑こちらは先程とは別のジオラマで、ついたての両側から向かい合う形で、右側はカウンター、左側はテーブル席となっています。

来ているお客さんは、お母さんと小さい男の子という組合せが何組もいました。

奥に見える入口近くに写っているタワーのようなものは何でしょうか。

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2017年8月27日 (日)

イオン狭山のすぐ裏にある入間川の上奥富用水堰からの流れは滝のようで美しい

狭山市の国道16号線沿いには、イオン狭山とイオン武蔵狭山の2つがあります。

狭山市駅からこの2店舗を循環する無料シャトルバス送迎バスも1時間に3本運行されています。

1kmも離れていないところに立地していて不自然に思われますが、カルフールが日本から撤退してイオンに売却されたため、そこがイオン狭山となっています。

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↑その店舗のすぐ裏側には入間川が流れているので、買い物のついでに川沿いの様子を見に行ってみました。

5年前の春に、入間川の左岸側にある入間川自転車道を走ったことはありますが、こちら右岸側は初めて来ました。

入間川の流れを見てみると、大量の水があり湖のようです。

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↑上流側で、奥に見えるのは埼玉県道261号線の昭代橋です。

↓下流側を見ると、堰により水がせき止められているようです。

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思った以上に大規模な堰ですが、農業用水のためのもののようで、「上奥富用水堰」だそうです。

堰から流れる水を見てみると、きれいです。

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真横だと分かりづらいかもしれませんが、少し大げさに言えば「ナイアガラの滝」のように幅広い美しい水流です。

テトラポットも規則正しく整然と並んでいます。

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水面間近で下から見上げて見てみたいものですが、近くには行けないようです。

少し下流に向けて歩いてみます。

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2017年8月13日 (日)

さきたま古墳群より200年古く、家康も来ていたという新河岸川沿いの権現山古墳群

埼玉県にある古墳といえば、行田市にある「埼玉(さきたま)古墳群」が有名であり、埼玉県という名称の起源とも言われており、4年前に見に行きました。

しかし、それより200年前の3世紀後半の古墳が、ふじみ野市にあるというので行って来ました。

邪馬台国の卑弥呼が3世紀前半の239年ですから、そのたった50年後ということですから驚きです。

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「権現山古墳群」といい、武蔵野台地が新河岸川と接する崖の上の見晴らしのいい場所に造られた古墳12基からなる古墳群です。

今から1700年前の古墳時代前期の古墳が現存することは少なく、埼玉県指定史跡となっています。

↑「権現山古墳群史跡の森」として保全されていますが、全体が小高い丘のようになっています。

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↑一番大きい2号墳は、全長32mの前方後方墳です。

よく耳にする前方後円墳ではなく、前も後ろも「方」、つまり四角形です。

この辺り一帯を治める首長の墓と考えられています。

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手前が前方部ですが、正方形ではなく、扇を広げたように手前部分の方が長くなっていて、初期古墳の特徴を示しているそうです。

↑今では木々に覆われてよくわかりませんが、奥には新河岸川越しに遠くまで見渡せるところです。

道路を挟んで、その新河岸川の崖があります。

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↑見づらいですが下の方の明るいところが新河岸川の流れで、崖から人が誤って落ちないように柵があります。

古墳群は、先程の2号墳以外は、残りはすべて四角形の方墳です。

2号墳と↓の7号墳からは、底にわざと穴をあけた土器が出土されました。

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埋葬儀礼に使われ、後に埴輪に発展する前段階のものと考えられています。

荒川下流域にも古墳文化があり、そんなものもで出土していたとは知りませんでした。

ところで、何でここを「権現山」というのか不思議に思っていました。

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2017年7月16日 (日)

川越にある国指定史跡になっている河越館跡は土塁や空堀もある芝生の広い公園

こんなに暑くなっていない、しばらく前の話になりますが、川越市にある河越館跡に行きました。

川越城は川越市街地からそれほど遠くない1.5km程度のところにあり、先日利用した自転車シェアリング駐輪場もありましたが、こちら河越館跡にはありません。

本川越駅からは3km以上北西に離れていており、入間川を渡った先ですから、シェアサイクルで来ることは想定されていないようですが、車で来ることは考えられていて、無料駐車場はありました。

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国指定史跡である河越館跡は「河越館跡史跡公園」として整備されており、空堀や土塁も保存されています。

1969(昭和44)年に国指定に向けた検討が開始され、1984年(昭和59年)には指定されましたが、調査、発掘などを経て、2009年(平成21年)史跡公園としてようやくオープンしました。

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この場所に居を構えていた河越氏は、平安時代末(12世紀後半)から南北朝時代(14世紀中頃)にかけて、武蔵国で勢力を誇った武士です。

1184(元暦元)年、河越重頼の娘は源義経の正妻として嫁ぐなど隆盛を極めましたが、義経の縁者として源頼朝に滅ぼされ、勢力を失いました。

鎌倉時代中期以降、武蔵国の筆頭格となるなど回復しましたが、1368(応安元)年に平一揆(へいいっき)を組織した河越直重が、鎌倉府に河越館の戦いで敗れ、歴史の表舞台から姿を消しました。

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↑当時の井戸跡ですが、武蔵国では素掘りの井戸が多く、このように板材で囲った井戸は珍しかったようです。

↓ここには周囲を溝に囲まれて盛土に礫を葺いた塚状の遺構があったようです。

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おそらく霊廟や納骨堂だったと推測されています。

河越氏の屋敷地を区画していた堀があり、その外側の道路跡があります。

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河越氏がいなくなった以降も、ここは戦いの拠点でした。

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2017年7月 2日 (日)

吉見百穴よりも大規模な500基以上あるという黒岩横穴墓群がある八丁湖公園

地図を見ると、埼玉県吉見町にはいくつも池のようなものがあるので、それを見に行ってきました。

その一つは八丁湖公園となっており、駐車場もありそうなので車で行きました。

行きの国道463号線所沢入間バイパスと409号線経由では2時間近くかかってしまいましたが、帰りの254号線バイパス経由では1時間半でした。

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吉見町公式サイトによると、丘陵の裾に人工的な沼が点在していますが、これらは水田耕作のために造られた溜め池ということです。

八丁湖もこうした人工的な沼で、その面積は約52,000㎡です。

湖と名付けられていますが、沼や池という感じです。

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↑湖を一周できるように1600mのウォーキングコースとして整備されています。

少し遠回りをする2100mのジョギングコースもありますが、こちらは途中に結構な坂道も含まれています。

八丁湖はふしぎな形をしており、漢字の「土」という字のような形です

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八丁湖もかつては、八丁八反の沼と呼ばれていましたが、実際の面積は八丁八反だったわけではありません。

八という数字は末広がりで、しかも、多いと言う意味で使われ、重ねると語呂が良いというところから、八百八町、八百八橋という言葉が生まれたのと同じだそうです。

現在の「八丁湖」という呼び名は第二次大戦後に付けられましたといいます。

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↑山というか丘陵に囲まれた自然豊かな所で、鳥の鳴き声が数多く聞こえますが、その鳥の説明ボードは数限りなくあります。

あのオオタカもいるということです。

歩いていると、ホーホケキョというウグイスの声が聞こえてきます。

春のイメージが強い鳥の声を、蒸し暑い梅雨空の下、聞くのも妙な感じです。

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さて、今日のもう一つの目的地は、黒岩横穴墓群で大正14年に埼玉県指定史跡となった横穴墓群です。

この吉見丘陵の北東部に位置する八丁湖に隣接しており、古墳時代後期から終末期といいますから6世紀ころに造られたと考えられています。

なんとなく横穴らしきものがいくつか見えますが、草木が生い茂りわかりづらいです。

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もう5年も前のことですが、吉見百穴を見た時は、いかにも横穴がたくさんありました。

国指定史跡で、しかも入場料も徴収していましたから草刈りとかされていたのでしょう。

こちらは県指定史跡で、しかも無料ですから仕方ないのでしょうか。

はっきり分かるところを探します。

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2017年6月18日 (日)

埼玉県南部唯一の前方後円墳の柊塚古墳と黒目川の終点にあるゼロキロポスト

黒目川沿いを自転車に乗って下流方面に向かって、再び朝霞市まで行きました。

先日行った城山公園の少し先に、埼玉県南部で唯一、墳丘が現存する前方後円墳があるというのです。

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↑黒目川の右岸側すぐ近くですが、中央部の木の生い茂った小高い丘のようなところに位置する「柊塚(ひいらぎづか)古墳」です。

柊塚古墳歴史広場として整備されており、駐輪場だけでなく駐車場までありました。

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↑馬形のモニュメントがありますが、ここからほんとうに馬形埴輪が発掘されたそうです。

墳丘は標高21mの位置にありますが、黒目川下流部のこの辺りは標高3m程度しかありませんので、標高差は20m近くあります。

柊塚古墳は発掘調査の結果、6世紀前葉のものといい、埋葬施設は二カ所あるようですが、誰の墓かはわかりません。

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埼玉県といえば、4年前に行った行田市にある「さきたま古墳群」が有名ですが、県南部にもこんな古墳があったとは知りませんでした。

古墳の墳丘の周りには周濠もあったようです。

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現在でも「後円墳」の部分は形がわかりますが、「前方」(前の方ではなく、前にある四角形)の部分は原型を留めていません。

住宅等で開発されてしまったようです。

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↑右のほうが、前方の部分ですが、切れてしまっています。

円墳の裏側に廻ることができますが、頂上部まで登れる通路があるのですが、入口が閉鎖されています。

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この公園には不思議な形だなと思われる小さな建物がありました。

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2017年6月11日 (日)

岡城のある城山公園は戦国時代らしい遺構が残っているけど、誰の築城かはわからない城

小平霊園から北東へと流れていく黒目川を下流へと向かうと、東武東上線も越えると流れが東から南東へと向きが変わります。

その右岸沿いには小高い丘のようなところがあり、城山公園となっています。

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ここには「岡城」とか「岡の城山」と呼ばれる城があったといいます。

黒目川に沿って駐車場があり、その先の南面は児童遊園のようになっています。

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↑ちょっと期待はずれだったかなと思っていましたが、案内板によると一の郭、二の郭、三の郭という広場はあるようなので行ってみます。

丘を登っていくと、今では公園として階段がありますが、如何にも戦国時代の山城という感じの斜面になっています。

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ところで、岡と丘の両方で書いてしまっていますが、ここの地名は「朝霞市岡」です。

まずは三の郭を目指します。

左右が高く中央部が低い、空堀らしいところがあります。

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公園入口にあった案内板によると、調査の結果、この岡城は南北朝時代、室町時代、戦国時代の中世の平山城ではありますが、誰によって築かれたのか、はっきりしないようです。

太田道灌によって築かれたという説もあるようですが、よくわからないみたいです。

ここが三の郭広場です。

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そう名付けられていますが、特に説明板等は見当たりません。

続いて二の郭へと向かおうとすると、茅ヶ崎城や高天神城でもよく見かけた形になっています。

階段を下に降りて、再び登るようになっています。

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2017年6月 4日 (日)

アースダムの鎌北湖は昭和初期の山根溜池だったのだが取水施設と洪水吐は形が面白い

埼玉県毛呂山町には鎌北湖もあります。

ここにはダムがあるのですが、ダムへのルートは山奥の細道ではなく、毛呂駅周辺からも道幅の広い県道が整備されています。

車だと快適にあっと言う間に到着ですが、駐車場があるかを事前に確認しておらず、湖沿いの道は駐車禁止となっているので、左岸の鎌北湖の上流端近くに広い駐車場を見つけホッとしました。

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↑右側の細い流れが、山間から鎌北湖に流れ込む川になります。

釣りをしている人を数多く見かけます。

ダムの堤防上の天端を目指し歩きますが、途中でダムの取水施設らしきものが見えて来ます。

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それほど大きな湖ではないため500mほど歩くとすぐに天端に到着です。

堤頂長は80m、堤高は22.6mですから、天端というと少し大げさに感じられます。

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洪水吐は右岸側にあります。

ここは1929年(昭和4年)着工、1935年(昭和10年)完成の灌漑用水のために作られた山根溜池だったそうです。

昭和初期に作られた溜池の取水施設にしては洋風の凝ったデザインです。

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毛呂山町観光協会はここを観光拠点にしようとしたのか、名称を山根溜池から鎌北湖(かまきたこ)に変えました。

確かに名前によって、大分イメージは違うものです。

さらに、毛呂山町公式サイトによると、乙女の湖とも呼ばれていると書かれていました。

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↑ダムの決壊を防ぐため、想定貯水容量以上の水を下流に流すための洪水吐を近くで見ることができます。

梅雨入り前で水量が少ないため見づらいですが、不思議な形をしていました。

堰がダム湖側に「コ」の字の形で突き出ています。

機能のためなのか、デザインのためなのかはわかりません。

そして、ダムの天端といえば下流側の景色が楽しみです。

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2017年5月28日 (日)

埼玉県内最古である室町時代建築の国指定有形文化財の神社建築物と落差12mの滝のある毛呂山町

JR八高線に毛呂という駅があり、ここは埼玉県毛呂山町になります。

駅西口には埼玉医科大学やその病院があり、のどかな風景の駅が多い八高線の駅の中では異色の存在です。

そんな毛呂駅東口には、小高い丘陵がありその上には「出雲伊波比神社(イズモイワイジンジャ)」があります。

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この丘は臥龍山といわれ、この神社には室町時代の1528年(享禄元年)建築の神社社殿があります。

神社に伝わる「臥龍山宮伝記」によれば、53年(12代景行天皇の時代)に日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が天皇から賜ったヒイラギの鉾を納め神宝とし、出雲の大己貴命(オオナムチノミコト)を祀りました。

さらに出雲の天穂日命(アメノホヒノミコト)とともに出雲伊波比神としたとされています。

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この拝殿は後ろ側から見ても美しいのですが、この右の奥にも、さらに建築物があります。

神話の時代を過ぎ、奈良時代の772年(宝亀3年)の大政官符によると朝廷から幣帛(神前に供えるもの)を受けた官弊社であったとの記録が残っています。

鎌倉時代には源頼朝が畠山重忠に造営を命じ、室町時代の1527年(大栄7年)に消失後、毛呂顕繁により再建されたのが現在の本殿といいます。

国指定重要文化財に指定されている埼玉県最古の神社建築です。

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↑裏側にあった建築物を囲いの隙間から覗くように見てみましたが、国指定重要文化財に指定されているのは、実はこの裏側にある本殿のようです。

毛呂町公式サイトではわからなかったのですが、文化庁公式サイトで確認できました。

この出雲伊波比神社では、流鏑馬(やぶさめ)も11月には行われているそうです。

ところで、拝殿正面に奉納されている流鏑馬の的のようなものには、瀬戸大也と書かれていました。

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無知なので、どこかで聞いたことのある名前だなあとしか思っていませんでしたが、その日の夜のニュースを見ていてびっくりしました。

オリンピック水泳のメダリストで、この日に婚約を発表していましたが、毛呂山町の出身だそううです。

この後、毛呂駅からは3~4km位の距離がありますが、見てみたい滝もあるので行って来ました。

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この日は車で来ており、途中までは広い県道ですが途中の毛呂山総合公園やゴルフ場のさいたまGCの辺りから狭い道となっていきます。

そうはいっても、すれ違える道幅はありますし、滝の近くには駐車場やトイレも整備されています。

↑そこからは細い宿谷川沿いを進みますが、遊歩道が整備されています。

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2017年5月21日 (日)

平安時代か鎌倉時代からあったらしい特殊な形の七曲井と名前とは裏腹に氾濫する不老川

埼玉県道所沢川越線は、鎌倉時代の主要道の一つであった鎌倉街道上道(かみつみち)と重複しているところが多いようです。

鎌倉から関東諸国や信濃、越後への道として利用されていました。

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西武新宿線入曽駅近くである狭山市北入曽のその道沿いには、歴史のある井戸があります。

七曲井(ななまがりのい)といい、史跡として埼玉県指定文化財となっています。

周囲70m余、直径26m、深さ11.5mという大規模な漏斗状(ろうとじょう)井戸です。

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堅掘り井戸を掘る技術が確立される近世までは、この井戸のように漏斗状に地下水まで掘り下げたと考えられます。

井戸に降りる道は上部で階段状、中央部では曲がり道、そして底近くでは回り道となっており、この道の形状が名前の由来となっているといわれています。

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井筒部は人頭大の石で周囲を囲った中に松材で井桁が組んでありました。

井戸この土地の小字は「堀難井」(ほりかねい)は「ほりがたい」かということで、古来この地方に住む人々にとっては飲料水を得ることが 困難だったようです。

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府中から入間川に至る奈良・平安時代の古道沿いにあるため、平安中期に開拓と交通の便を図るため、武蔵国府の手により、9世紀後半から10世紀前半に掘られたと考えられています。

鎌倉時代の初め、建仁2年(1202年)という説もあるようです。

こうした独特の構造の井戸が掘られたのは、武蔵野台地は地下水脈までの距離が長く、深い井戸を掘らなければならないが技術的に困難でした。

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そのため、地表面からすり鉢状に地面を掘り下げて砂礫層の下の粘土層を露出させ、そこから改めて垂直の井戸を掘るといことになりました。

↑先ほどと反対側から見ています。

形がカタツムリのようなので、「まいまいず井戸」と呼ばれています。

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↑すぐ横を不老川(ふろうがわ)が流れています。

この川は新河岸川へと合流する荒川水系の一級河川ですが、この辺りでは幅も広くなく、水量もそれほどありません。

しかし、この川は昨年夏には氾濫してニュース等で取り上げられました。

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