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51埼玉県

2021年1月 3日 (日)

まだ海辺だった頃に榛名様が上陸したという御船山と榛名神社のある富士見市勝瀬

6000年程前、縄文海進と呼ばれる海水面の上昇により荒川流域は、かなりの部分が海でした。

4年半前に見に来た富士見市にある水子貝塚は、その当時は海沿いだったということでこの地にありました。

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↑同じ市内の勝瀬というところ、ららぽーと富士見のすぐ近くというと場所のイメージが湧くでしょうか、「お船山」というところがあります。

長さ約50メートル 、幅約25メートル 、高さ約2メートル ですから、実際には山というほどの高さではありません。

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↑案内板によると、昔この辺が海辺だった時に、榛名様がお供二人とともに遠くから鉄の船で来て上陸しましたが、その後ここで船が沈んだということです。

お船山に棒を刺すと、鉄の船に当たり音がするとの言い伝えもあるそうです。
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↑お船山越しに、林のようになった100メートルほど北の上陸したところが見えます。

また、まだ乗船中に船がお船山で沈んでしまう時、向こう岸の藤の木の蔓をつたい、一行は上陸できたという説もあるそうです。
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↑いずれの説でも上陸したというところに榛名神社があります。

創建年代等は不詳ながら、文明9年(1477)再建の棟札が残されていることから、少なくとも室町時代には既にあったということです。
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↑狛犬の乗っているところには岩がありますが溶岩なのでしょうか。

榛名神社やお船山という名称からも山にゆかりがあるようです。
境内に富士塚があるのかも気になります。

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2020年12月20日 (日)

熾烈な商圏争いのイオンタウンふじみ野と閉店したイトーヨーカドー上福岡東店跡地

一ヶ月ほど前の令和2年11月21日にオープンした「イオンタウンふじみ野」」に行きました。

日本無線埼玉工場が30年間あったという跡地で、53406平方メートル、総賃貸面積つまり店舗面積のことだと思いますが35254平方メートルです。

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この周辺には大型商業施設施設が数多く出店していて、ららぽーと富士見までは3300メートル、イオン大井店までは2400メートルほどの距離です。

大井サティがイオンになりましたが、当時としてはサティは十分大規模といえる商業施設でした。

店舗面積24200平方メートルですから、お互いイオンですがライバルになります。

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↑ここは工場を更地化して建設したのでしょうが、大きな木がありました。

調べてみたら、ヒマラヤ杉をシンボルツリーとして既存の樹木 を生かした約1111平方メートルの広場を設置したということです。

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駐車場は地上平面と3階建建物の屋上に1800台分あります。

↑屋上の方は平日に行ったため、かなり空いていました。

イオン大井の駐車場は1326台です。

イオンタウンふじみ野の規模イメージとしては、イオンモール東久留米が敷地面積54000平方メートル、店舗面積39900平方メートル、駐車場1700台ですから近いものかもしれません。

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↑屋上からの見晴らしはよく、東の方を見ると左にはさいたま新都心の高層ビル、中央には東京スカイツリーも見えます。

左のららぽーと富士見は敷地面積152000平方メートル、、店舗面積60000または80000平方メートルもありますから別格ですが、顧客は重なる部分も大きそうです。

ところで、西の方の景色では、実は先程から気になっていたところがあります。

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2020年12月13日 (日)

かつてあった高麗郡と平成の天皇皇后も参拝したという高麗神社

入間川、そして越辺川に流れ込む高麗川があり、JR八高線に高麗川駅、西武池袋線に高麗駅があります。

それらが、高麗郡という名の郡にも由来しており、高麗神社があることも知っていましたが、行ったことはありませんでした。

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奈良時代に高麗郡は建郡されたと、日本書紀からの続きである六国史の3番目「続日本紀」にあります。

霊亀2年(716)に、「駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野の七ヶ国の高麗人1799人を移して高麗郡を設置した」と書かれています。

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唐と新羅に敗れた高句麗から移り住んだ人々である渡来人が「高麗人」と呼ばれていたことから、この名となっているようです。

天智2年(663)の「白村江の戦い」で日本は百済とともに、唐と新羅に敗れた5年後に高句麗も滅んでしまったのです。

高麗郡は現在の日高市、鶴ヶ島市、飯能市を中心とした範囲で、明治29年(1896)に郡の統合により入間郡に統合されるまで高麗郡という名がありました。

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高麗神社は高麗王若光を主祭神として、猿田彦命、武内宿禰命の三柱を祀っています。

覆殿内の本殿は室町時代後期の建立と考えられており、切妻造で平入、一間社流造、屋根は桧皮葺で埼玉県指定文化財となっています。

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斎藤 實、若槻禮次郎、浜口雄幸、平沼騏一郎、鳩山一郎、小磯国昭らが参拝後、総理大臣になったということで、高麗神社は「出世明神」とも称されるといいます。

戦前に就任された方がほとんどなのはちょっと気になります。

↑上皇陛下、つまり平成時代の天皇と皇后も参拝しているようで「天皇皇后両陛下行幸啓記念碑」がありました。

ちなみに、平成天皇というのは失礼に当たるので「の」を入れています。

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↑社殿左側の山頂には末社として水天宮もあります。

手前の御神木の彼岸桜は樹齢300年になります。

さらに、神社の奥には国指定重要文化財もあるといいます。

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2020年12月 6日 (日)

所沢の浦所バイパス沿いの日比田調整池とそこにある場違いなほど立派なトラス橋梁

国道463号浦和所沢バイパス沿いの東所沢周辺で、結構な規模での開発現場があります。

日比田歩道橋から見てみると、少し低くなった広い敷地があり調整池を整備しているようです。

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↑向こう側には東川が流れており、ここには日和田調整池が整備されていました。

まだ一部工事中で立ち入り禁止ですが、ほぼ完成しているようです。

東川は1年半ほど前に見てきたように、狭山湖の北側辺りを源流として所沢市内を西から東へ横断して、所沢インター近くで柳瀬川に流れ込む河川です。

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↑現地案内図で見ると、右側の道路が浦所バイパスで、左側に上から下向きに東川が流れています。

東川は過去には台風などの時には大量の雨水が流れて、しばしば周辺に洪水の被害を及ぼしてきました。

これまでもここより上流部で既に対策工事が行われてきました。

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↑図中央下方に流れていた日和田水路の敷地の右側と下側への付け替えも行われたようです。

この調整池は13万立方メートルもの調整容量とされており、平成20年(2008)から工事は行われてきました。

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↑図上部の道路も敷地端に付け替えられ道幅も広くなっています。

昨年の台風19号のような豪雨には対応しきれないこともあるようで、こうした調整池が整備されるようです。

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↑敷地西端(図では左上)から振り返っても、かなりの広さであることが分かります。

その東川を見ると、現在はほとんど水の流れはありません。

歩道橋から見た時から気になっていた、ちょっと場違いと思えるほど立派なトラス橋が架かっています。

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2020年11月22日 (日)

大宮からの新幹線沿いに走っている新交通とその終着駅内宿と元終着駅羽貫

東北新幹線や上越新幹線に乗っていると、大宮駅からその両側に新交通システムが走っているのやその駅が車窓に見えます。

ふと気付くと見えなくなっており、どこの駅が終点でどこにあるのかわかっていませんでした。

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実際にその新交通に乗って行ってみました。

↑間もなく終点となりますが、ここは内宿駅といい、右側には新幹線の線路があります。

新交通はゴムタイヤで走るため線路はありませんが、この辺りは単線で島式ホームがあり両側に分かれます。

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↑埼玉新都市交通伊奈線といいますが、あまり伊奈線とは呼ばれていません。

一般的には「ニューシャトル」と言われているので、どこにあるかの印象がありませんが、終点の内宿駅は埼玉県伊奈町になります。

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↑終着駅ですから、当然にこの奥には線路というか軌道はありません。

右側には新幹線がすごいスピードと音で走り抜けて行きます。

左側ホームはラッシュの一部時間以外は使われていないようです。

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大宮駅を出発したニューシャトルは複線として東北新幹線と上越新幹線の両側を、つまり下りも上りも新幹線の外側を通っています。

両新幹線の分かれた先の丸山駅から単線となり、上越新幹線の下り線左側を走っています。

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↑内宿駅から大宮駅方面を見ていますが、どの駅も新幹線のいい撮影スポットかもしれません。

ただし、ニューシャトルは昼間も10分間隔ですが、上越、北陸新幹線はそれより間隔が長く意外と来ません。

しかも、接近放送や踏切などの警報機もないので前触れもなく、しかもスピードが速いので、スマホで写真を撮るのは難しいです。

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↑ニューシャトルは先程乗ってきた2000系という2007年に導入された車両のほか、2020系という2015年に導入された新型車両もあります。

次に終着駅の外の様子も見てみます。

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2020年10月18日 (日)

川に囲まれた川島町の平成の森公園とそこにある水害対策で必要だった和船

前回から川島町を見て回っていますが、埼玉県に住んでいる人でも川島町と言われて場所がピンときていない方もいるのではないでしょうか。

荒川沿いにありますが、JR高崎線からも東武東上線からも離れているため、駅はありません。

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↑(国土交通省関東地方整備局荒川上流河川事務所HPより)

荒川の中流域に位置する川島町は、東に荒川、北に市野川、南は入間川に、そして西は越辺川に接しています。

町のほぼ中央部に「平成の森公園」があります。

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四方を川に囲まれた川島町をイメージして整備され、約8.4ヘクタールの広さの公園です。

この公園は「ふるさと創生事業」の一環として広く住民からアイディアを募集し、平成8年にオープンしたものです。

ここも、平成元年に計画されたため、この名となりましたが、例のふるさと創生事業の1億円がここでも使われています。

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↑公園の中心部は「水と時の広場」で、広場中央にある「時の塔」には、公園全体に響きわたるカリヨン(鐘)があり、時を知らせます。

コロナ対策もあり、水がないのが寂しいです。

全体が日時計としてデザインされ、水の流れとともに時の流れを刻んでいます。

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↑「修景池」は 調整池としての機能も併せ持ち、水辺の生き物を観察したり、夏には古代ハスを見ることもできるといいます。

こちらは水はあるものの、今は花もなく、葉っぱばかり目立ちます。

川島町は水には縁があり、町名のとおり川に囲まれた島というような地域のため、水害も起きています。

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2020年10月11日 (日)

北条政子による国指定重要文化財の廣徳寺大御堂とそこに古墳もある川島町

東京から近い白鳥飛来地として、1年半前に埼玉県川島町には行きました。

荒川サイクリングロード沿いのホンダエアポートのすぐ近くにある、国指定重要文化財の建築物を見に今回は行ってみました。

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入口の右の石柱には「真言宗豊山派大御山西福院 廣徳寺」とあり、左の石柱には「国指定重要文化財 大御堂」とあります。

中には立派な建築物が見えますが、あれが重要文化財なのでしょうか。

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↑左右には金剛力士像もあり、室町時代を思わせる素晴らしいものですが、山門であり違うようです。

これを潜ると、「廣徳寺古圖 美尾屋十郎廣徳館跡 武蔵國比企郡三保谷村表」との案内板があります。

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かつてここには美尾屋十郎の館があったようです。

美尾屋十郎廣徳というのは、平安時代から鎌倉時代のこの地の豪族で、平家物語や吾妻鏡にも出てくる武士です。

平家物語の中で有名な「錣(しころ)引き」、悪七兵衛ともいわれる藤原景清に錣を素手で引きちぎられたところで登場するのが美尾屋十郎です。

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↑山門の先を左に直角に曲がると、いよいよ目的の建物があります。

廣徳寺大御堂といい、13世紀初めに源頼朝の妻であり尼将軍ともいわれる北条政子が、美尾屋十郎廣徳の菩提を弔うため、美尾屋氏の館跡に建立したものです。

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↑この建物は室町時代後期に再興されたもので、国指定有形文化財となっています。

やはり、近くで見ると存在感があります。

大御堂とは、浄土信仰の盛んな平安末期から鎌倉期にかけての阿弥陀堂のことです。

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方三間の寄棟造、茅葺で関東地方らしい風格を帯びた堂姿を示す数少ない禅宗(唐様)建築ということです。

さらに、ここには古墳もあるというので見に来ました。

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2020年10月 4日 (日)

新田義貞兜掛けの松がある所沢市久米の鳩峯八幡神社と水天宮

東村山市と所沢市の市境付近には新田義貞に関する遺跡というか多くの伝説が残っています。
鎌倉街道が南北に通っていて、久米川古戦場や小手指ヶ原古戦場があります。
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↑その二つの古戦場の中間に森となった小高い丘陵があります。
この所沢市久米には鳩峯八幡神社があります。
延喜21年(921)に京都の石清水八幡宮を分祀し勧請したと伝えられています。
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明治5年には村社、大正10年には郷社に列せられましたといいます。
ちょっと不思議で調べてみたら、明治14年(1881)に久米村の一部である金山が所沢村に編入され所沢町になったというので、これが理由のようです。
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↑参道を少し進むと、左側には神社らしくなく鐘楼があります。
明治時代に神仏分離される前の名残りなのでしょう。
江戸時代には、天正19年(1591)徳川家康から社領御朱印五石を寄進され、代々将軍より幕末まで寄進されたりしたといいます。
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そして、ここにも新田義貞伝説が残っています。
元弘3年(1333)5月、新田義貞による鎌倉攻めの折、八國山の将軍塚に陣して、当社に参拝して戦勝を祈願したと伝えられています。
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↑参拝時に兜をかけた「兜掛けの松」があり、その旧蹟の碑もあります。
しかし、当時の松は枯れてしまって、小振りな松がありました。
もう一つここには旧蹟があるといいます。

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2020年9月13日 (日)

万葉集の読解への鎌倉時代の偉業と戦国時代の城跡、そして299メートルからの小川盆地の見晴らし

7世紀後半の穴八幡古墳を前回見た小川町には、すぐ近くに埼玉県旧跡があります。
市街地の西側に東西に長く延びる八幡台と呼ばれる台地の東端です。
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↑ 「仙覚律師遺跡」といい、碑はありますが遺跡としての何かモノがあるわけではありません。
仙覚は鎌倉時代の天台宗の僧侶で、埼玉県ゆかりの偉人として県ホームページにも載っていました。
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「万葉集註釈」を完成させたのが当時の比企郡北方麻師宇郷であり、現在の小川町大字増尾つまりこの辺りだったということです。
仙覚は寛元3(1245)から宝治元年(1247)年にかけて、鎌倉4代将軍の藤原頼経の命により、「万葉集」の諸本十数冊を校訂して、万葉集4500首のうちそれまで全く読めなかった152首に新たに訓点をつけました。
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↑仙覚とは関係なくでしょうが後年になって半僧坊大権現堂が建てられていて、階段前には数多くの羅漢像が並んでいます。
仙覚は文永6(1269)年に我が国初の本格的な万葉集注釈書「萬葉集註釈」(仙覚抄)を小川町大字増尾で完成させました。
仙覚の校定本と万葉集註釈書は後世の研究に大きな影響を与え、その業績は今も高く評価されているといいます。
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また、ここは「中城跡」であり、室町時代後半に築造された中城の跡で、周囲に土塁と深い堀が残っており、町の史跡に指定されています。
↑半僧坊のあるところは櫓台だったところのようで、周囲から防御しやすく攻撃しやすい位置にあります。
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中城跡は小川盆地への舌状台地の先端部にある約100m四方の単郭式の城砦です。
↑空堀と土塁のようです。
鎌倉時代に増尾郷の豪族であった猿尾種直の居館、南北朝時代初期では斎藤重範が地頭となって支配したと言われています。
前回見た八幡神社の由来にも登場した猿尾氏はマシオと読み、地名の増尾へとつながっています。
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城跡の構造や発掘調査の出土遺物からは15世紀後半の築城と考えられます。
↑虎口のようです。
戦国時代には、比企地方において有力な松山城主上田氏の支城である腰越城のさらに出城だったようです。
ここは小川町駅や町役場からも近く、300メートルくらいであるすぐ近いところにはこんな建物がありました。

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2020年9月 6日 (日)

県内最大級方墳であった穴八幡古墳と八幡神社のある小川町

小川町という、まず思いつくのは千代田区にあり、新御茶ノ水駅や淡路町駅への乗換駅でもある都営新宿線の小川町駅でしょうか。
それとも、東武東上線の終点の行き先としてよく見かける小川町駅でしょうか。
まあ、実際には東上線の終着駅はもっと先の寄居駅ですが。
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↑東上線の小川町駅のある埼玉県小川町に、古墳時代後期の古墳があり、南東から見ると高台になっています。
なお、この小川町駅はJR東日本の八高線の駅でもあります。
穴八幡古墳といい、昭和34年(1959)に埼玉県の指定史跡になりましたが、当初は円墳と考えられていたものが試掘調査で方墳とわかりました。
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↑ここは巨大な横穴式石室があることが特長です。
全長8.2メートルもあり、南に向いてその入口が開いています。
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前回見た川崎市の馬絹古墳と同じ7世紀後半の古墳ですが、大きく違うのは、この石室入口は見ることができることです。
覗き込むと、奥行きは8メートル以上あるようには見えません。
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内部は前室と後室に分かれているといいます。
石室は、小川町下里地域で採掘される緑泥石片岩など結晶片岩の一枚石を組み合わせて、造られたものです。
大きな一枚石を運ぶのは、当時としては大変だったでしょう。
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墳丘は高さが5.6メートル、一辺28.2メートルあります。
調査では、周囲には二重に周堀が巡っており、埼玉県内でも最大級の方墳であることも明らかになりました。
↑内堀らしきものが見ることができます。

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