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51埼玉県

2020年9月13日 (日)

万葉集の読解への鎌倉時代の偉業と戦国時代の城跡、そして299メートルからの小川盆地の見晴らし

7世紀後半の穴八幡古墳を前回見た小川町には、すぐ近くに埼玉県旧跡があります。
市街地の西側に東西に長く延びる八幡台と呼ばれる台地の東端です。
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↑ 「仙覚律師遺跡」といい、碑はありますが遺跡としての何かモノがあるわけではありません。
仙覚は鎌倉時代の天台宗の僧侶で、埼玉県ゆかりの偉人として県ホームページにも載っていました。
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「万葉集註釈」を完成させたのが当時の比企郡北方麻師宇郷であり、現在の小川町大字増尾つまりこの辺りだったということです。
仙覚は寛元3(1245)から宝治元年(1247)年にかけて、鎌倉4代将軍の藤原頼経の命により、「万葉集」の諸本十数冊を校訂して、万葉集4500首のうちそれまで全く読めなかった152首に新たに訓点をつけました。
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↑仙覚とは関係なくでしょうが後年になって半僧坊大権現堂が建てられていて、階段前には数多くの羅漢像が並んでいます。
仙覚は文永6(1269)年に我が国初の本格的な万葉集注釈書「萬葉集註釈」(仙覚抄)を小川町大字増尾で完成させました。
仙覚の校定本と万葉集註釈書は後世の研究に大きな影響を与え、その業績は今も高く評価されているといいます。
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また、ここは「中城跡」であり、室町時代後半に築造された中城の跡で、周囲に土塁と深い堀が残っており、町の史跡に指定されています。
↑半僧坊のあるところは櫓台だったところのようで、周囲から防御しやすく攻撃しやすい位置にあります。
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中城跡は小川盆地への舌状台地の先端部にある約100m四方の単郭式の城砦です。
↑空堀と土塁のようです。
鎌倉時代に増尾郷の豪族であった猿尾種直の居館、南北朝時代初期では斎藤重範が地頭となって支配したと言われています。
前回見た八幡神社の由来にも登場した猿尾氏はマシオと読み、地名の増尾へとつながっています。
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城跡の構造や発掘調査の出土遺物からは15世紀後半の築城と考えられます。
↑虎口のようです。
戦国時代には、比企地方において有力な松山城主上田氏の支城である腰越城のさらに出城だったようです。
ここは小川町駅や町役場からも近く、300メートルくらいであるすぐ近いところにはこんな建物がありました。

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2020年9月 6日 (日)

県内最大級方墳であった穴八幡古墳と八幡神社のある小川町

小川町という、まず思いつくのは千代田区にあり、新御茶ノ水駅や淡路町駅への乗換駅でもある都営新宿線の小川町駅でしょうか。
それとも、東武東上線の終点の行き先としてよく見かける小川町駅でしょうか。
まあ、実際には東上線の終着駅はもっと先の寄居駅ですが。
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↑東上線の小川町駅のある埼玉県小川町に、古墳時代後期の古墳があり、南東から見ると高台になっています。
なお、この小川町駅はJR東日本の八高線の駅でもあります。
穴八幡古墳といい、昭和34年(1959)に埼玉県の指定史跡になりましたが、当初は円墳と考えられていたものが試掘調査で方墳とわかりました。
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↑ここは巨大な横穴式石室があることが特長です。
全長8.2メートルもあり、南に向いてその入口が開いています。
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前回見た川崎市の馬絹古墳と同じ7世紀後半の古墳ですが、大きく違うのは、この石室入口は見ることができることです。
覗き込むと、奥行きは8メートル以上あるようには見えません。
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内部は前室と後室に分かれているといいます。
石室は、小川町下里地域で採掘される緑泥石片岩など結晶片岩の一枚石を組み合わせて、造られたものです。
大きな一枚石を運ぶのは、当時としては大変だったでしょう。
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墳丘は高さが5.6メートル、一辺28.2メートルあります。
調査では、周囲には二重に周堀が巡っており、埼玉県内でも最大級の方墳であることも明らかになりました。
↑内堀らしきものが見ることができます。

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2020年8月 2日 (日)

さいたま市の二ツ宮には二宮神社があるのではなく二つの宮が並んでいる

さいたま市西区には二ツ宮という地名があります。
二ノ宮神社があるのかとも思い、近くに所用があったのでちょっと神社を探してみました。
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↑氷川神社の鳥居と参道があります。
さいたま市の氷川神社といっても、武蔵国一ノ宮の氷川神社ではありません。
村社 氷川神社と書かれています。
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↑左奥の方にあるのが氷川神社の鳥居ですが、右にも鳥居があります。
ここには八幡神社があります。
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二ノ宮神社があるのではなく、氷川神社と八幡神社の二つのお宮があることから二ツ宮という地名となっています。
慶安2年、3年(1649、1650)の「田園簿」に既に二ツ宮という村名が記載されていたそうです。
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江戸時代初期にはこの辺りは開発されており、既に二つの神社があったようです。
↑二つの鳥居の中間から境内を見てみると、社殿らしきものはあります。
氷川神社も八幡神社も参道の正面に社殿があるはずですが、中間にも社殿があるようにも見え、どう配置されているのかわかりません。

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2020年6月21日 (日)

ちょっと来るのが早かったか富士見市せせらぎ菖蒲園と紫陽花の名前と漢字の不思議

富士見市が市制施行20周年記念して整備したという山崎公園、通称せせらぎ菖蒲園に行きました。
と言っても、富士見市は昭和47年(1972)からですので、整備されて既に30年近く経っています。
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昭和31年(1956)に鶴瀬、南畑、水谷の3村が合併して富士見村となり、昭和39年(1964)富士見町、そして8年後に市になりました。
↑通称と言いながらも大きな石碑に「せせらぎ菖蒲園」と刻まれていますから、花菖蒲が期待できます。
公園内に、広さ1000平方メートルの菖蒲田があります。
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八ツ橋もあるのですが、新型コロナの3密対策として、その八ツ橋部分は立ち入り禁止となっています。
雨も降っていて人はいませんでしたから、入っても3密は大丈夫でしょうが、やはり外から観賞することとしました。
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パンフによると花菖蒲の見頃は5月下旬から6月とありましたが、まだちょっと早かったようです。
5000株60種類も植えられているといいますから満開となると壮観でしょう。
区別が難しいですが、アヤメは乾燥地に5月上中旬に咲き、花菖蒲は湿地に咲きます。
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カキツバタは湿地に5月中下旬に咲くとのことです。
↑渓流ゾーンもあり、気付かず行きませんでしたが、奥には滝もあるそうです。
もう一つのこの時期の花も見ようと来ました。

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2020年4月26日 (日)

本殿に三面ある江戸時代の彫刻を見ることができる大和田氷川神社

4月25日から5月6日までの「ステイホーム週間」前の先週末のことです。
新座市のOSCデオシティ新座に近い柳瀬川沿いには、多くの人が散歩などをしていました。
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外とはいいながらも、この人道橋の上などは「3密」が心配となるような感じでした。
所用で行った新座市大和田のこのすぐ近くに、氷川神社があるというので立ち寄ってきました。
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↑道路である埼玉県道113号川越新座線からの入口には赤い神橋があり、蓋掛けされていますが間に水路があったようです。
大和田の氷川神社は、縁起によると延暦21年(802)の創建といわれる神社です。
平安時代初期ということになります。
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↑赤い三ノ鳥居は、両部作りといわれるものでした。
この氷川神社のある大和田一帯は、古くから鎌倉幕府の支配する土地である国衙領だったそうで「大和田郷」といわれていました。
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↑狛犬のすぐ奥には、さらに一対の狛犬がいますが、こちらは江戸時代のもののようです。
拝殿には、やはり氷川神社だなあと感じられる太く立派な注連縄が飾られていました。
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↑入母屋造りの本殿は、江戸時代の享和年間に再建されたものです。
正面に千鳥破風と唐破風の向拝を付けています。
さらに、この本殿には素晴らしい彫刻があり、しかも見ることが出来ます。

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2020年4月12日 (日)

富士塚のある三芳町上富の浅間神社と様々な名前の石碑

埼玉県道56号さいたまふじみ野所沢線は、三芳町上富の辺りでは、特産品である「富の川越いも」を生産している農家が軒を連ねることから、「いも街道」と言われています。

その三芳町の北端に近い道路沿いに、浅間神社があります。

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三芳町の設置した文化財の案内柱には、浅間神社と書かれています。

社殿の中の社額には富士嶽神社と書かれていました。

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天保4年(1834)の勧請と伝えられています。

この社殿の北側には富士塚があります。

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八軒家をはじめ近隣の富士講の人々により信仰されていました。

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↑山の中腹には、小室浅間神社という石碑があります。

塚の高さは6メートルほどですが、かなりの急斜面で登山道もなく、上りはなんとか行けるものの、下りはかなり慎重に歩かなければなりません。

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2020年3月29日 (日)

富士見市にある関東に2つしかないという阿蘇神社は境内社が数多い

埼玉県富士見市東大久保の道路を車で走っている時に、「鎮守阿蘇神社入口」という看板を見かけました。

阿蘇神社とは珍しいなと立ち寄ってみました。

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関東には、羽村市とここにしかないそうです。

富士見市の観光パンフに、そのように書かれていました。

松の木が立派だなと思い参道を進むと、手水舎の横にある境内社がいくつも並んでおり印象的でした。

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神社の説明板には境内社の名として、八坂社、山神社、子安社、疱瘡社、稲荷社、琴平社と書かれています。

阿蘇神社の祭神は阿蘇比女之命(アソヒノミコト)といい、女性の神です。

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阿蘇神社という名から、阿蘇山が御神体なのかと思っていましたが、神武天皇の孫が神となる神話があるようです。

そして、こちらの祭神は、そのストーリーにある健磐龍命の妃となります。

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↑拝殿と覆殿と隙間から見える本殿は趣があります。

さらに、この参道の左にも鳥居があって、もう一本の参道があります。

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2020年3月15日 (日)

茶畑の中のこんもり林にある三輪神社とそこにあった渋沢栄一書の記念碑

入間市西部には「茶どころ通り」という道路もあるくらいで、広大な茶畑が広がっています。

そうした茶畑の中に、こんもりとした林があります。

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↑埼玉県から「ふるさとの森」に指定されています。

入間市三輪神社社叢ふるさとの森です。

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↑その名の通り、三輪神社の境内林になります。

ここは地名も中神といいます。

かつて琵琶を弾く翁と媼がいて、村人は国津神と敬い、村を中神村、ここを比和野と呼んだそうです。

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承平6年(936)藤原秀郷が狩りの際に彼らに出会うと、宇賀彦、宇賀姫であるといわれ、ここに比和野大明神として社を建立したといいます。

万次2年(1659)には三輪山をご神体とする大神(おおみわ)神社を勧請して、社号を三輪大明神と改めたそうです。

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万延元年(1860)に拝殿を改築する時に書かれた天井絵は幅約6.1メートル、奥行き約3メートルの雲竜の墨絵で、入間市指定有形文化財となっています。

拝殿、幣殿、本殿と並ぶ立派な社殿です。

こんな茶畑の真ん中に?と思うくらい素晴らしいところです。

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2020年3月 8日 (日)

朝霞市指定史跡らしく感じられない広沢の池とその水の出口と広沢観音

東武東上線朝霞駅から600メートル程の距離を真っ直に南に向かうと「広沢の池」があります。

京都にも同じ名前の有名な池があるようですが、こちらは朝霞市指定史跡となっています。

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東西50メートル、南北25メートルで面積約1000平方メートルと、それほど大きくはありません。

広沢の池の崖上には、かつては雑木林の広沢原が広がっており、それらの地下水が崖下に湧き出る湧水地です。

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↑確かに西側の朝霞中央公園の方から見ると、結構な高低差があることが分かり、建物2階の屋根しか見えません。

江戸幕府により文政年間にまとめられた「新編武蔵風土記稿」にも記載があり、広沢の池の水が東に流れ、七ツ釜の水と合流して越戸川となり、灌漑用水として利用されていたといいます。

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↑池際には不動明王像があります。

背中合わせにあるのは、池の横なので弁天様でしょうか。

さらに西側の敷地には、広沢観音があります。

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かつては、もっと南の山の上にあったのですが、天正18年(1590)北条氏照により城山合戦の際に焼かれてしまったといいます。

そこを堂山というそうですが、今ではどこかわかりません。

入間郡の城山合戦というと、いくつか思い出すところがあります。

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2020年3月 1日 (日)

川越市古谷にあるのに古尾谷八幡神社という県指定文化財である神社と灌頂院

JR埼京線というか正式には川越線の終点川越駅一つ手前には南古谷駅があります。

地名も古谷本郷の、さらに古谷八幡通り沿いに「古尾谷八幡神社」はあります。

古尾谷庄総鎮守であり、名称は古谷ではなく古尾谷といい、縣社にもなっていました。

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隣りには広い駐車場もある大きな神社です。

一ノ鳥居の先にはニノ鳥居、三ノ鳥居まで見えます。

慈覚大師が石清水八幡宮の分霊を祀り、貞観4年(863)に創建したといい、この辺り古尾谷庄は石清水八幡宮の荘園だったそうです。

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↑ニノ鳥居は明和年間(1764〜1772)のもので、道を挟んである三ノ鳥居は慶長元年(1648)に建立されたものといいます。

源頼朝や北条氏政、当地領主であった古尾谷氏などの崇敬を集め、天正19年(1591)には徳川家康から社領50石の御朱印状を拝領し、その寄進状は川越市指定文化財となっています。

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↑ちょっと左を見ると、境内に稲荷社もあります。

赤い鳥居が数多く立てられておりキレイですが、こちらの鳥居は新しいようです。

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↑古尾谷八幡神社に戻り、手水舎も風情があります。

ここは南古谷駅からもかなり離れているし、住宅地でもなく、人通りは少ないところです。

参拝者も少ないせいか水が無いのがちょっと残念でした。

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↑参道正面には拝殿、そして後ろには本殿があります。

こちらは埼玉県指定有形文化財といいますが、ちょっと新しそうなのが不思議です。

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