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51埼玉県

2017年7月16日 (日)

川越にある国指定史跡になっている河越館跡は土塁や空堀もある芝生の広い公園

こんなに暑くなっていない、しばらく前の話になりますが、川越市にある河越館跡に行きました。

川越城は川越市街地からそれほど遠くない1.5km程度のところにあり、先日利用した自転車シェアリング駐輪場もありましたが、こちら河越館跡にはありません。

本川越駅からは3km以上北西に離れていており、入間川を渡った先ですから、シェアサイクルで来ることは想定されていないようですが、車で来ることは考えられていて、無料駐車場はありました。

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国指定史跡である河越館跡は「河越館跡史跡公園」として整備されており、空堀や土塁も保存されています。

1969(昭和44)年に国指定に向けた検討が開始され、1984年(昭和59年)には指定されましたが、調査、発掘などを経て、2009年(平成21年)史跡公園としてようやくオープンしました。

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この場所に居を構えていた河越氏は、平安時代末(12世紀後半)から南北朝時代(14世紀中頃)にかけて、武蔵国で勢力を誇った武士です。

1184(元暦元)年、河越重頼の娘は源義経の正妻として嫁ぐなど隆盛を極めましたが、義経の縁者として源頼朝に滅ぼされ、勢力を失いました。

鎌倉時代中期以降、武蔵国の筆頭格となるなど回復しましたが、1368(応安元)年に平一揆(へいいっき)を組織した河越直重が、鎌倉府に河越館の戦いで敗れ、歴史の表舞台から姿を消しました。

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↑当時の井戸跡ですが、武蔵国では素掘りの井戸が多く、このように板材で囲った井戸は珍しかったようです。

↓ここには周囲を溝に囲まれて盛土に礫を葺いた塚状の遺構があったようです。

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おそらく霊廟や納骨堂だったと推測されています。

河越氏の屋敷地を区画していた堀があり、その外側の道路跡があります。

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河越氏がいなくなった以降も、ここは戦いの拠点でした。

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2017年7月 2日 (日)

吉見百穴よりも大規模な500基以上あるという黒岩横穴墓群がある八丁湖公園

地図を見ると、埼玉県吉見町にはいくつも池のようなものがあるので、それを見に行ってきました。

その一つは八丁湖公園となっており、駐車場もありそうなので車で行きました。

行きの国道463号線所沢入間バイパスと409号線経由では2時間近くかかってしまいましたが、帰りの254号線バイパス経由では1時間半でした。

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吉見町公式サイトによると、丘陵の裾に人工的な沼が点在していますが、これらは水田耕作のために造られた溜め池ということです。

八丁湖もこうした人工的な沼で、その面積は約52,000㎡です。

湖と名付けられていますが、沼や池という感じです。

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↑湖を一周できるように1600mのウォーキングコースとして整備されています。

少し遠回りをする2100mのジョギングコースもありますが、こちらは途中に結構な坂道も含まれています。

八丁湖はふしぎな形をしており、漢字の「土」という字のような形です

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八丁湖もかつては、八丁八反の沼と呼ばれていましたが、実際の面積は八丁八反だったわけではありません。

八という数字は末広がりで、しかも、多いと言う意味で使われ、重ねると語呂が良いというところから、八百八町、八百八橋という言葉が生まれたのと同じだそうです。

現在の「八丁湖」という呼び名は第二次大戦後に付けられましたといいます。

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↑山というか丘陵に囲まれた自然豊かな所で、鳥の鳴き声が数多く聞こえますが、その鳥の説明ボードは数限りなくあります。

あのオオタカもいるということです。

歩いていると、ホーホケキョというウグイスの声が聞こえてきます。

春のイメージが強い鳥の声を、蒸し暑い梅雨空の下、聞くのも妙な感じです。

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さて、今日のもう一つの目的地は、黒岩横穴墓群で大正14年に埼玉県指定史跡となった横穴墓群です。

この吉見丘陵の北東部に位置する八丁湖に隣接しており、古墳時代後期から終末期といいますから6世紀ころに造られたと考えられています。

なんとなく横穴らしきものがいくつか見えますが、草木が生い茂りわかりづらいです。

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もう5年も前のことですが、吉見百穴を見た時は、いかにも横穴がたくさんありました。

国指定史跡で、しかも入場料も徴収していましたから草刈りとかされていたのでしょう。

こちらは県指定史跡で、しかも無料ですから仕方ないのでしょうか。

はっきり分かるところを探します。

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2017年6月18日 (日)

埼玉県南部唯一の前方後円墳の柊塚古墳と黒目川の終点にあるゼロキロポスト

黒目川沿いを自転車に乗って下流方面に向かって、再び朝霞市まで行きました。

先日行った城山公園の少し先に、埼玉県南部で唯一、墳丘が現存する前方後円墳があるというのです。

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↑黒目川の右岸側すぐ近くですが、中央部の木の生い茂った小高い丘のようなところに位置する「柊塚(ひいらぎづか)古墳」です。

柊塚古墳歴史広場として整備されており、駐輪場だけでなく駐車場までありました。

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↑馬形のモニュメントがありますが、ここからほんとうに馬形埴輪が発掘されたそうです。

墳丘は標高21mの位置にありますが、黒目川下流部のこの辺りは標高3m程度しかありませんので、標高差は20m近くあります。

柊塚古墳は発掘調査の結果、6世紀前葉のものといい、埋葬施設は二カ所あるようですが、誰の墓かはわかりません。

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埼玉県といえば、4年前に行った行田市にある「さきたま古墳群」が有名ですが、県南部にもこんな古墳があったとは知りませんでした。

古墳の墳丘の周りには周濠もあったようです。

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現在でも「後円墳」の部分は形がわかりますが、「前方」(前の方ではなく、前にある四角形)の部分は原型を留めていません。

住宅等で開発されてしまったようです。

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↑右のほうが、前方の部分ですが、切れてしまっています。

円墳の裏側に廻ることができますが、頂上部まで登れる通路があるのですが、入口が閉鎖されています。

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この公園には不思議な形だなと思われる小さな建物がありました。

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2017年6月11日 (日)

岡城のある城山公園は戦国時代らしい遺構が残っているけど、誰の築城かはわからない城

小平霊園から北東へと流れていく黒目川を下流へと向かうと、東武東上線も越えると流れが東から南東へと向きが変わります。

その右岸沿いには小高い丘のようなところがあり、城山公園となっています。

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ここには「岡城」とか「岡の城山」と呼ばれる城があったといいます。

黒目川に沿って駐車場があり、その先の南面は児童遊園のようになっています。

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↑ちょっと期待はずれだったかなと思っていましたが、案内板によると一の郭、二の郭、三の郭という広場はあるようなので行ってみます。

丘を登っていくと、今では公園として階段がありますが、如何にも戦国時代の山城という感じの斜面になっています。

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ところで、岡と丘の両方で書いてしまっていますが、ここの地名は「朝霞市岡」です。

まずは三の郭を目指します。

左右が高く中央部が低い、空堀らしいところがあります。

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公園入口にあった案内板によると、調査の結果、この岡城は南北朝時代、室町時代、戦国時代の中世の平山城ではありますが、誰によって築かれたのか、はっきりしないようです。

太田道灌によって築かれたという説もあるようですが、よくわからないみたいです。

ここが三の郭広場です。

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そう名付けられていますが、特に説明板等は見当たりません。

続いて二の郭へと向かおうとすると、茅ヶ崎城や高天神城でもよく見かけた形になっています。

階段を下に降りて、再び登るようになっています。

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2017年6月 4日 (日)

アースダムの鎌北湖は昭和初期の山根溜池だったのだが取水施設と洪水吐は形が面白い

埼玉県毛呂山町には鎌北湖もあります。

ここにはダムがあるのですが、ダムへのルートは山奥の細道ではなく、毛呂駅周辺からも道幅の広い県道が整備されています。

車だと快適にあっと言う間に到着ですが、駐車場があるかを事前に確認しておらず、湖沿いの道は駐車禁止となっているので、左岸の鎌北湖の上流端近くに広い駐車場を見つけホッとしました。

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↑右側の細い流れが、山間から鎌北湖に流れ込む川になります。

釣りをしている人を数多く見かけます。

ダムの堤防上の天端を目指し歩きますが、途中でダムの取水施設らしきものが見えて来ます。

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それほど大きな湖ではないため500mほど歩くとすぐに天端に到着です。

堤頂長は80m、堤高は22.6mですから、天端というと少し大げさに感じられます。

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洪水吐は右岸側にあります。

ここは1929年(昭和4年)着工、1935年(昭和10年)完成の灌漑用水のために作られた山根溜池だったそうです。

昭和初期に作られた溜池の取水施設にしては洋風の凝ったデザインです。

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毛呂山町観光協会はここを観光拠点にしようとしたのか、名称を山根溜池から鎌北湖(かまきたこ)に変えました。

確かに名前によって、大分イメージは違うものです。

さらに、毛呂山町公式サイトによると、乙女の湖とも呼ばれていると書かれていました。

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↑ダムの決壊を防ぐため、想定貯水容量以上の水を下流に流すための洪水吐を近くで見ることができます。

梅雨入り前で水量が少ないため見づらいですが、不思議な形をしていました。

堰がダム湖側に「コ」の字の形で突き出ています。

機能のためなのか、デザインのためなのかはわかりません。

そして、ダムの天端といえば下流側の景色が楽しみです。

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2017年5月28日 (日)

埼玉県内最古である室町時代建築の国指定有形文化財の神社建築物と落差12mの滝のある毛呂山町

JR八高線に毛呂という駅があり、ここは埼玉県毛呂山町になります。

駅西口には埼玉医科大学やその病院があり、のどかな風景の駅が多い八高線の駅の中では異色の存在です。

そんな毛呂駅東口には、小高い丘陵がありその上には「出雲伊波比神社(イズモイワイジンジャ)」があります。

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この丘は臥龍山といわれ、この神社には室町時代の1528年(享禄元年)建築の神社社殿があります。

神社に伝わる「臥龍山宮伝記」によれば、53年(12代景行天皇の時代)に日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が天皇から賜ったヒイラギの鉾を納め神宝とし、出雲の大己貴命(オオナムチノミコト)を祀りました。

さらに出雲の天穂日命(アメノホヒノミコト)とともに出雲伊波比神としたとされています。

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この拝殿は後ろ側から見ても美しいのですが、この右の奥にも、さらに建築物があります。

神話の時代を過ぎ、奈良時代の772年(宝亀3年)の大政官符によると朝廷から幣帛(神前に供えるもの)を受けた官弊社であったとの記録が残っています。

鎌倉時代には源頼朝が畠山重忠に造営を命じ、室町時代の1527年(大栄7年)に消失後、毛呂顕繁により再建されたのが現在の本殿といいます。

国指定重要文化財に指定されている埼玉県最古の神社建築です。

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↑裏側にあった建築物を囲いの隙間から覗くように見てみましたが、国指定重要文化財に指定されているのは、実はこの裏側にある本殿のようです。

毛呂町公式サイトではわからなかったのですが、文化庁公式サイトで確認できました。

この出雲伊波比神社では、流鏑馬(やぶさめ)も11月には行われているそうです。

ところで、拝殿正面に奉納されている流鏑馬の的のようなものには、瀬戸大也と書かれていました。

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無知なので、どこかで聞いたことのある名前だなあとしか思っていませんでしたが、その日の夜のニュースを見ていてびっくりしました。

オリンピック水泳のメダリストで、この日に婚約を発表していましたが、毛呂山町の出身だそううです。

この後、毛呂駅からは3~4km位の距離がありますが、見てみたい滝もあるので行って来ました。

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この日は車で来ており、途中までは広い県道ですが途中の毛呂山総合公園やゴルフ場のさいたまGCの辺りから狭い道となっていきます。

そうはいっても、すれ違える道幅はありますし、滝の近くには駐車場やトイレも整備されています。

↑そこからは細い宿谷川沿いを進みますが、遊歩道が整備されています。

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2017年5月21日 (日)

平安時代か鎌倉時代からあったらしい特殊な形の七曲井と名前とは裏腹に氾濫する不老川

埼玉県道所沢川越線は、鎌倉時代の主要道の一つであった鎌倉街道上道(かみつみち)と重複しているところが多いようです。

鎌倉から関東諸国や信濃、越後への道として利用されていました。

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西武新宿線入曽駅近くである狭山市北入曽のその道沿いには、歴史のある井戸があります。

七曲井(ななまがりのい)といい、史跡として埼玉県指定文化財となっています。

周囲70m余、直径26m、深さ11.5mという大規模な漏斗状(ろうとじょう)井戸です。

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堅掘り井戸を掘る技術が確立される近世までは、この井戸のように漏斗状に地下水まで掘り下げたと考えられます。

井戸に降りる道は上部で階段状、中央部では曲がり道、そして底近くでは回り道となっており、この道の形状が名前の由来となっているといわれています。

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井筒部は人頭大の石で周囲を囲った中に松材で井桁が組んでありました。

井戸この土地の小字は「堀難井」(ほりかねい)は「ほりがたい」かということで、古来この地方に住む人々にとっては飲料水を得ることが 困難だったようです。

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府中から入間川に至る奈良・平安時代の古道沿いにあるため、平安中期に開拓と交通の便を図るため、武蔵国府の手により、9世紀後半から10世紀前半に掘られたと考えられています。

鎌倉時代の初め、建仁2年(1202年)という説もあるようです。

こうした独特の構造の井戸が掘られたのは、武蔵野台地は地下水脈までの距離が長く、深い井戸を掘らなければならないが技術的に困難でした。

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そのため、地表面からすり鉢状に地面を掘り下げて砂礫層の下の粘土層を露出させ、そこから改めて垂直の井戸を掘るといことになりました。

↑先ほどと反対側から見ています。

形がカタツムリのようなので、「まいまいず井戸」と呼ばれています。

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↑すぐ横を不老川(ふろうがわ)が流れています。

この川は新河岸川へと合流する荒川水系の一級河川ですが、この辺りでは幅も広くなく、水量もそれほどありません。

しかし、この川は昨年夏には氾濫してニュース等で取り上げられました。

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2017年5月 7日 (日)

全国で2つしかない本丸御殿が現存する川越城と通りゃんせに歌われた天神の細道じゃ

天守閣がある城は有名なものがいくつもありますが、本丸御殿が現存し大広間があるのは高知城と川越城だけだといいます。

ちなみに、二の丸御殿が現存するのは、以前見に行った掛川城と京都二条城だけです。

その川越城本丸御殿を見に、引き続き、川越市自転車シェアリングを利用して行きました。

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川越城は、室町時代に太田道灌または父の太田道真によって築かれましたといいますから、江戸城と同様です。

扇谷上杉氏の武蔵国支配の居城となりますが、日本三大夜戦の一つ河越夜戦で後北条氏に敗れ、さらに安土桃山時代には、豊臣秀吉の小田原成敗を経て、江戸時代には川越藩として、徳川家康の譜代、酒井氏の城となりました。

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この本丸御殿は、1848年(嘉永元年)松平斉典が造営したものです。

もっとずっと大きかったようで、本丸御殿だけで16棟、1025坪あったそうです。

その玄関部分と大広間は残されており、埼玉県指定有形文化財となっています。

↑玄関が廊下の中心部にあり、左へ時計回りに向かっているので、長さのイメージが湧きづらいですが、この東廊下は40m近くの長さがあり、幅も3m以上あります。

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↑順路としては最後に見ることになる玄関前のこの広間は、36畳もの広さがあり、部屋の中に入ることもできるようになっています。

大広間がこんな玄関からすぐの位置にあっていいものかとも思いますが、近世の城の本丸御殿は、儀式・公式対面などの藩の公的式典の場、藩主の公邸、藩内の政務をつかさどる役所という3つの機能を合わせ持った施設となっていました。

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↑庭は美しい枯山水の庭園となっています。

まあ、これが当時からあったかはよくわかりません。

家老詰所だった建物もありますが、これは移築されたということで、当時はもっと離れていたようです。

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川越藩は相模国の三浦半島にも領地をもっていたため、幕末には海岸警護も命じられていました。

さらには、品川台場の警備も命じられたということで、その打ち合わせをしているという家老たちの人形もあります。

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これは予想外にいきなり現れるので、びっくりしてちょっと声を出しそうになりました。

ところで、童謡「通りゃんせ」といえば、子供の頃から知っているし、歩行者用信号機でもボタンを押すと流れていました。

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2017年5月 1日 (月)

川越で国登録有形文化財を見て回って、意外とよく知らなかった建物の平と妻、梁と桁、切妻造と寄棟造の違いを学ぶ

小江戸川越として観光地となってきている川越に、国登録有形文化財である建物を見に行きました。

↓本川越駅から北東方面にすぐのところ、左に写っているのが「旧鏡山酒造明治蔵」です。

川越市の産業観光館「小江戸蔵里」おみやげ処となっており、新築かとちょっと興ざめするほどにきれいに改修されています。

元の建物は、明治時代の土蔵造2階一部平屋建、瓦葺、建築面積418㎡で、南北棟の切妻造妻入で、桁行21m梁間20mです。

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実は用語がよくわかっていないので調べてみたのですが、建物の長辺側、屋根の最頂部である「棟(大棟)」と平行な面を「平(ひら)」といい、短辺側、屋根の棟(大棟)と直角な面を「妻(つま)」といいます、

正面出入口が平側にあるものが「平入」、妻側にあるものが「妻入」です。

↑右にあるのは「旧鏡山酒造大正蔵」で、同じく小江戸蔵里まかない処(レストラン)となっていますが、建物は大正時代の土蔵造2階一部平屋建、瓦葺、建築面積304㎡です。

切妻造で、桁行22m梁間14mです。

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↑奥に小さく見えているのは、「旧鏡山酒造昭和蔵」で、小江戸蔵里くら市場(地場野菜、総菜の物販)ですが、1931年(昭和6年)の土蔵造2階建、瓦葺、建築面積231㎡の建築物です。

東西棟で桁行25m梁間9.1mの切妻造です。

「桁(けた)」は建物最上部の大棟に対して平行方向(平側)にある水平材で、その長さを「桁行(けたゆき)」といい、「梁(はり)」は大棟や桁に対して直行方向((妻側)に掛かる水平材で、その長さを「梁間(はりま)」といいます。

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↑大正浪漫夢通りを少し北に向かうと、川越商工会議所がありますが、ここは「旧武州銀行川越支店」で1928年(昭和3年)の建築物で、鉄筋コンクリート造地下1階地上2階建,建築面積566㎡です。

外観はドーリス式の列柱を配した重厚な構え、全体の意匠はルネッサンス・リバイバル様式です。

バロック風の装飾を付けた特徴的な出入口を設けるなど,時代の特徴を伝える銀行建築の一つといいます。

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↑少し東に行くと、「日本聖公会川越キリスト教会礼拝堂」があります。

1921年(大正10年)の煉瓦造平屋建、スレート葺、建築面積138㎡、塔屋付の建物です。

立教大学新築のため来日したW.ウィルソンの設計により建設されたといい、確かに池袋でも見たことのあるような外観です。

東西に細長い切妻造・平屋建で,外壁煉瓦造,内部は挟み組み式の小屋組を見せ,尖塔アーチの縦長窓や控壁にゴシック様式細部を備えているそうです。

続いては、観光地である蔵が立ち並ぶ一番街通り沿いにある目立つ建物です。

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2017年4月 9日 (日)

所沢カルチャーパークとは何なのかと東京狭山線の上空にある謎のかごの正体は

いつものように地図を見ていて、またまた気になるものがありました。

「所沢カルチャーパーク」です。

どんなところなのか見に行ってみました。

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予想外に、まずはグラウンドがあり、その奥にはデイキャンプ場があり、あまり「カルチャーっぽくない」施設です。

所沢市の公園のようで、公式サイトによると、下新井・牛沼・松郷地区にまたがる雑木林を中心とした自然環境を保全しながら、市民が自然の中でリフレッシュできる郊外型の総合公園として計画されたようです。

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↑日曜日とはいうものの、昼過ぎまで雨の降る寒い日だったので、10カ所あるデイキャンプ場も空きがありました。

裏を返せば、それでも利用している人たちもいました。

ある意味で気合が入っており、文化会系というより体育会系のイメージです。

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↑その他の主要施設としては「原っぱ広場」があり、文字通りの原っぱです。

埼玉西武ライオンズからキャッチボール遊具の寄贈を受けており、その貸し出しを行っているので、ここではキャッチボールができます。

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↑その先には森というか林が広がっています。

しかし、そこには「この場所は、私有地なので入らないで下さい」と書かれています。

通路を奥に北西に向けて歩いていきますが、この通路はどうやら道路の位置づけのようで、しばらく行くと、普通の道路と交差します。

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↑今度はその道路を右に進むと、「所沢市カルチャー少年サッカー場」が200m先にあると書いてあります。

南東に戻る方向ですが行ってみます。

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