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51埼玉県

2019年8月11日 (日)

大和時代はどうかとしても平安時代にはあった狭山市の廣瀬神社と樹齢400年のねじれた梅の木

狭山市にある廣瀬神社は、社伝によれば創建は古く、3世紀の大和時代の景行天皇の御代、日本武尊東征の折だといいます。

ここを流れる入間川が大和国広瀬の地によく似ていることから、廣瀬神社から分社したとのことです。

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しかし、元の大和国の廣瀬神社の創建が天武天皇の頃といいますから、ちょっとあり得なさそうな話でです。

そうは言うものの、嘉祥3年(850年)の文徳天皇実録には、武蔵国廣瀬神社が記載されているといいます。

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これまでもいろいろ見てきた延喜式内の神社では、中氷川神社のようにいくつかの候補があるケースも多いようですが、ここは違うようです。

廣瀬神社は入間郡五座の一つですが、ここ以外にはないようです。

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延長5年(927年)に延喜式神名帳は書かれていますから、平安時代にはこの神社はあったということです。

↑拝殿の御神号額は明治の三筆といわれた野村素介によるものです。

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↑御神木の大欅二本も古く、樹齢900年と1000年といい、高さ30メートルです。

埼玉県指定天然記念物となっています。

そして、ねじれた不思議な松の木もありました。

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2019年8月 4日 (日)

北本市の石戸城とそれを攻める北条氏邦が一夜にして築いたという一夜堤

石戸城は天神山城ともいわれる北本市石戸宿にある城跡です。

室町時代長禄年間(1457~60年)頃の城といいます。

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↑荒川沿いの河川敷にある天神下駐車場から見上げていますが、荒川の堤防にもなっている桜堤通りに沿って石戸城はありました。

扇谷上杉氏の家臣藤田八右衛門が築城し、北上する北条氏に備えるため、岩付城、松山城、川越城を結ぶ防衛ラインの一部を担っていました。

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↑その桜堤通りを南に向かい北を振り返ると、一の郭があったところを道路が分断して通っています。

一の郭の左側が荒川になりますから、西側は要害となっています。

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↑さらに南に行くと、五の郭のあった辺りに北本市教育委員会による説明板があります。

奥の方が三の郭になります。

永禄6年(1563)北条、武田連合軍が松山城攻めした時には、援軍のため上杉謙信が上越越えをして石戸城に逗留したといいます。

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↑そこにある地図になります。

埼玉県選定重要遺跡となっています。

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↑この道を挟んで左側が四の郭になります。

一の郭(左)と二の郭(右)間は急な下り坂で、トンネルに入って行くような感じです。

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ここまで風景では戦国の城跡の印象がありませんでしたが、奥に入って行くと別世界になります。

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2019年7月28日 (日)

富士見市の武蔵野台地の端に突き出た氷川神社とそこにある湧水

国道254号線バイパス沿いに沿っては、ららぽーと富士見、またすぐ隣には市役所もあります。

この辺りは、武蔵野台地が舌状台地となって突き出た部分との間の高低差を見ることが出来ます。

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↑鶴瀬駅のある南西方向に向けては、道路も登り坂となっており、高さの差は10メートルほどになっています。

奥に見える木々の生い茂ったところは、氷川神社の鎮守の杜となっています。

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道路を挟んで、諏訪神社とこの氷川神社は向かい合っています。

どちらも、古代の住居址が数多くあるところに建立された神社です。

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↑狛犬は溶岩の上にいて迫力があります。

獅子山というそうです。

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↑拝殿にはネコが昼寝していましたが、割とこれは日常的な風景だそうです。

創建は不明ですが、江戸時代の正徳元年(1711)に社殿が再建されたという棟札が現存しています。

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↑参道の途中には、下に向けて降りて行く階段があり、「雲居の瀧」と書かれています。

本当に滝があるのでしょうか。

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2019年6月30日 (日)

越生町にある新日本観光地百選の越辺川の黒山三滝と予想外の森林の所有者

東京都からそう遠くない白鳥飛来地ということで、埼玉県川島町の越辺川に5ヶ月ほど前の冬には白鳥を見に行ったところです。

越辺川と書いて「おっぺがわ」と読む川の源流の一つであり、滝もあるという黒山川に行きました。

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↑梅林で有名な越生町にあり、滝に行くための駐車場横を流れている川でも既に源流感があります。

3つの滝があり、黒山三滝とされています。

車で来たのですが、駐車車両も多く予想以上に観光客がいました。

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↑坂道を10分近く歩いたでしょうか、左に天狗滝への入口があります。

周辺の地層が美しいです。

滑らないように注意しながら登って行くと、すぐに到着です。

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↑落差13.6メートルという天狗滝(てんぐだき)です。

周囲の石は珍しい赤色チャートだそうです。

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↑元の道に戻り、残り二つの滝を目指しますが、昔ながらの土産物店があります。

写真左側が川の流れ、右側が店を見ながらの道になっています。

この手前にも、川魚を焼いている店やカフェなどもありました。

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↑そして、いよいよ「黒山三滝」と書かれた看板があります。

なんと、黒山三滝は1950年(昭和25年)に毎日新聞社主催による「新日本観光地百選」という十種類の分類でベスト10を決める際に、瀑布(滝)の部で第9位に選ばれているという人気者でした。

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2019年6月 2日 (日)

所沢市三ヶ島にある中氷川神社の方が延喜式に記載されている神社なのか

前回は、平安時代の延喜式にも載っていたという所沢市山口にある中氷川神社に行って来ました。

ところが同じ所沢市内に同じ中氷川神社があり、こちらも延喜式に記載されていたという神社であるというので、2週連続で所沢市に向かいました。

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埼玉県道179号所沢青梅線沿いの早稲田大学所沢キャンパスの近くにあります。

鳥居の横にはやはり「延喜式内中氷川神社」と書かれており、住宅の間に西に向けて細長い参道が続きます。

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拝殿前の案内板には「延喜式」神名帳に記載される「武蔵野国四十四座の一つ中氷川神社」と伝える古社であると書かれていました。

境内が、北東から南西にかけて、非常に細長い形をしているところからかつて当社は長宮とも称されていたといいます。

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↑拝殿向背には虎の彫刻、光背柱には獅子と龍、水を吐いている龍、花の彫刻等も多数あります。

覆殿の隙間から本殿を見ることが出来ます。

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本殿は一間造りで、側面や扉をはじめ、柱や梁などに至るまで、龍や獅子などの細かな彫刻が施されています。

江戸時代の建築美を今に伝える貴重な文化財となっているといいます。

左側からの方がよく見ることが出来ました。

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2019年5月26日 (日)

GHQも来たという所沢市山口にある中氷川神社は三氷川の中乃社という

以前から前を通る時にちょっと気になっている神社の案内板がありました。

埼玉県道55号所沢武蔵村山立川線沿いの所沢市山口にある中氷川神社です。

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「武蔵国三氷川中乃社」とあります。

3つの氷川神社の真ん中にある中氷川神社ということでしょうか。

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↑一ノ鳥居を抜け、南から北に向かう参道の階段を上り、ニノ鳥居も抜けると、参道は西に向かう階段となります。

約3500坪の狭山丘陵の杜ということですから、小高い山すべてが境内となっているようです。

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「延喜式内祈年國弊社」とも書かれていましたから、平安時代の延喜式に記載されていた神社ということになります。

入間・多摩二郡にまたがる92ヶ村の総鎮守とうことで、かなり広範囲の総鎮守です。

本殿は大社造で、昭和22年(1945年)に造営されたものですが立派で、心の御柱25尺です。

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本殿造営の少し前である、終戦直後の昭和20年(1945年)11月に連合国軍総司令部(GHQ)が、ここ中氷川神社の臨時例大祭を視察しました。

なぜここが選ばれたのかの経緯は分かりませんでした。

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2019年5月 6日 (月)

数多くの花咲く智光山公園の都市緑化植物園にあるハンカチの木

狭山市にある埼玉県立智光山公園は非常に広大で、面積は53.8ヘクタールもあります。

アカマツ、コナラ、クヌギなど武蔵野の豊かな自然をそのまま生かして作られた大規模な都市公園となっています。

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↑東京ドーム11個分の広さですから、池もあれば林もあるのですが、それだけではありません。

体育館やテニスコート、キャンプ場、釣り場などの施設もあります。

さらに動物園と植物園もあります。

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↑その狭山市都市緑化植物園に、ハンカチの木があり開花しているというので見に来ました。

花の形がハンカチのように見えるということでしょうか。

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そのすぐ下にあるキンキャラという低木は、花ではありませんがキレイです。

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ここまで来る途中の道路にもツツジがキレイに咲いていましたが、ここにあるツツジは色が違います。

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花壇には色とりどりの花が咲いていて、一つひとつ紹介しきれません。

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私のように花の名をよく知らない者向けに、できれば全ての花の名称を表示して欲しいものです。

別の場所では、大きな花の咲いた前で写生をしている人がいました。

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2019年4月14日 (日)

東川の源泉って道路排水なのか、人孔なのか、それとも違うところなのか

引き続き、所沢市を西から東に流れている東川(あずまがわ)の源泉を探していきます。

東川は三ヶ島八幡神社の西参道鳥居の前を奥(北東)に向けて流れていき、前回見たもう一つの流れとこの先で合流します。

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↑右に小高くなっているのが神社です。

南西に向けて上流に向かっていきます。

やがて、道路沿いに流れていた東川は住宅と畑の間へと入っていきます。

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グーグルマップで見ると、この少し先で水の流れは無くなっています。

その辺りに源泉があるということでしょうか。

しかし、畑とはいえ、勝手に民有地に入って行くわけにもいきません。

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↑もしかすると、方角的に川があるかと思われる方を探してみると、さらに上流にも水路がありました。

この先で道路を横断しているはずなのですが、その向こう側の上流側には水路が見つかりません。

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↑道路の両側には側溝があります。

しかも、斜面となっていますから、雨が降れば結構な量の水は流れてくることでしょう。

ということは、東川の源泉はこの道路排水ということになってしまいます。

なんか、釈然としないまま、この道路を登ってみました。

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↑すぐ先の道路左手には、トトロの森10号地がありました。

ナショナルトラスト活動でこの丘が保全されています。

こうした森からの湧水も、この道路の側溝には流れていくわけですから、単なる側溝ではなく、やはりこれが東川本流なのでしょうか。

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↑さらに道路を進んでいくと、かなりの上り急斜面となります。

両側にはやはり側溝はあります。

坂を登り切ると、狭山湖の周回道路に行き当たります。

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2019年4月 7日 (日)

所沢の東川の源泉を探してヤギと三ヶ島八幡神社の桜を見る

所沢市内を西から東に流れている東川は、桜の名所になっており満開です。

ひがしかわではなく、あずまがわと読みます。

この東川の源泉を目指してみました。

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関越道所沢インター周辺では柳瀬川に合流しており、国道463号浦和所沢バイパス、西所沢からは県道179号所沢青梅線にほぼ沿って流れています。

狭山湖周辺に源泉はあるようです。

↑その所沢青梅線下田橋から南の上流方向へは道路に沿って流れています。

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 ↑やがて畑の間に入っていきます。

道と私有地の区分が分かりづらいのですが、グーグルマップを見るとここは道のようです。

小高い丘のところで2つに別れています。

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というか正しくは2つの流れがここで合流しています。

右側は沿っては行く道が無いので、まずは左側の流れを上流に向かいます。

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水の量はかなり少なくなっています。

畑と道路の間、民家と畑の間を流れています。

グーグルマップではこの道路の手前が上流端のようですが、まだ先に流れはあります。

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ここの桜はまだ満開とはなっていませんでした。

この先は民有地のようなので勝手に入るわけにもいきません。

ところで、先程からメーという鳴き声が気になります。

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↑川の左側にある道路を進むと、そこにはヤギがいました。

しかし、この道路も行き止まりとなっており、先に進めません。

さらに左に大回りする道路は山?の向こう側を通っていますから、やはり川の上流には行くことは出来ません。

残念ですが、ヤギの声で少し和んだ気分になり、もう一方の流れの上流を探します。

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2019年3月17日 (日)

東京都と埼玉県に南北に分断された秋津村の鎮守だったという日月神社と伝説

旧所沢街道を通る西武バスのバス停に「日月神社」という名のところがありますが、通りに面していないので、どころにあるか知りませんでした。

それが道路のすぐ近くにあることを知りました。

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↑「にちげつ」ではなく、「じつげつ」と読むそうです。

柳瀬川の北側の河岸段丘のところにあるため、社殿に向けては高台になっています。

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階段を昇ると、御神木とともに「蜻蛉(とんぼ)の寄生木」という伝説が記されています。

それというのは、この秋津村に無理難題を言って家臣を困らせていた殿様がいて、自分の年齢と同じ数の蜻蛉を捕ってくるよう家臣に命じましたが、1つ足りませんでした。

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怒った殿様が、ここで「神の力があるのなら、蜻蛉を、御神木の欅(けやき)の股から別の種類の木にしろ。出来なかったら祠をつぶす。出来たらもう無理難題は言わない」と言って、御神木に蜻蛉を投げつけてしまいました。

この御神木と社殿は同一の高台の上にあります。

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祭神は大日孁貴尊と月読尊ということで、日月神社です。

武蔵国秋津村の鎮守でしたが、武蔵国が柳瀬川を境に南北に、東京都と埼玉県へと分離されてしまいました。

一ヶ月程前に見たように、秋津町は東京都東村山市の地名ですが、ここの地名は埼玉県所沢市北秋津です。

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