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03東村山市

2019年5月19日 (日)

東村山市役所近くにある平和塔公園の境塚、あちら側にあるという浅間塚と今後は見られないであろう景色

前を通る時にちょっと気になっている神社の案内板がありました。

東村山市役所や東村山警察署前の府中街道西武新宿線踏切を渡ったすぐ西のところに、平和塔公園があります。

階段の付いた小さな山があるだけの公園で、この名称も不思議でした。

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↑この小山は「境塚」というようで、東村山市教育委員会による説明板があります。

江戸時代に幕府は武蔵野原の新田開発をすすめましたが、延宝、元禄年間には入会地の開墾をめぐって幕藩領主層と自立農民との対立も起りました。

延宝8年(1680)には「境目絵図」がつくられたり、その後村々にはこのような境塚が築かれたということです。

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境塚の上には、昭和36年に平和の女神像が立てられたのでこの公園の名前となったようです。

ここは元「大塚」で、今はなき「小塚」も近くにあったそうです。

説明板には「あちら側にある」という表現で、浅間塚についても書かれています。

しかし、「あちら側」が頂上からも見えないので、住宅街を探し回ってみました。

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↑北の方にそれらしきものがありました。

禁止という看板が見えたので入れないのかと思いましたが、立ち入り禁止ではなく、はりがみ禁止のようで南東側には登れるように階段がありました。

この浅間塚のところにも東村山市教育委員会による説明板がありました。

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この塚は富士塚ではありませんが、頂上に富士信仰の浅間神社が祀られており浅間塚と呼ばれているということです。

江戸時代の文化文政の頃から各地に富士山を模した富士塚も築かれましたが、これは違うようです。

でも、祠はあります。

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2019年3月17日 (日)

東京都と埼玉県に南北に分断された秋津村の鎮守だったという日月神社と伝説

旧所沢街道を通る西武バスのバス停に「日月神社」という名のところがありますが、通りに面していないので、どころにあるか知りませんでした。

それが道路のすぐ近くにあることを知りました。

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↑「にちげつ」ではなく、「じつげつ」と読むそうです。

柳瀬川の北側の河岸段丘のところにあるため、社殿に向けては高台になっています。

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階段を昇ると、御神木とともに「蜻蛉(とんぼ)の寄生木」という伝説が記されています。

それというのは、この秋津村に無理難題を言って家臣を困らせていた殿様がいて、自分の年齢と同じ数の蜻蛉を捕ってくるよう家臣に命じましたが、1つ足りませんでした。

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怒った殿様が、ここで「神の力があるのなら、蜻蛉を、御神木の欅(けやき)の股から別の種類の木にしろ。出来なかったら祠をつぶす。出来たらもう無理難題は言わない」と言って、御神木に蜻蛉を投げつけてしまいました。

この御神木と社殿は同一の高台の上にあります。

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祭神は大日孁貴尊と月読尊ということで、日月神社です。

武蔵国秋津村の鎮守でしたが、武蔵国が柳瀬川を境に南北に、東京都と埼玉県へと分離されてしまいました。

一ヶ月程前に見たように、秋津町は東京都東村山市の地名ですが、ここの地名は埼玉県所沢市北秋津です。

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2019年2月24日 (日)

平安時代からの秋津町の村の鎮守と鉄道係員養成所と東村山市と所沢市の都県境にある住居表示の混乱

西武池袋線の秋津駅といえば、JR武蔵野線の新秋津駅へのちょっと不便な乗換駅というイメージでしょうか。

秋津町は、秋津駅が清瀬駅の次だし、まあ清瀬市にあるのだろうと思っていました。

ところが行ってみたら、東村山市に属しているようです。

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↑そんな秋津町に「氷川神社」があります。

よく街中にある神社かと思ったら驚くほど歴史は古いようです。

弘仁九年(818年)といいますから平安時代、秋津村真言宗竜泉寺に氷川社があり、秋津村の村の鎮守として祀られていました。

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↑現在の拝殿は昭和59年のもので、入母屋造りで屋根は銅板葺です。

江戸時代には南秋津村の鎮守、明治時代には村社となっていました。

御祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)といいますから、天照大神の弟で、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したことで有名です。

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↑本殿は流れ造りで銅板葺です。

鉄筋コンクリード造りとなっています。

このすぐ近くには、「西武研修センター」という建物がありました。

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その表示板には「鉄道係員養成所」とも書かれていましたから、西武鉄道の研修所のようです。

西武池袋線からさほど離れていないし、電車運転の練習のための引き込み線がないかと思い、周囲を見て回ってみました。

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2019年1月20日 (日)

旧村名の大岱が小学校名にもなっている恩多町の天然記念物の大ケヤキと水車と神社

野火止用水に架かっている東村山運動公園前を通っている道路の橋は、「万年橋」といいます。

ここには大きなケヤキの木があり、「万年橋のケヤキ」と呼ばれています。

幹周り6メートル、高さ30メートルあり、東村山市の天然記念物に指定されています。

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江戸時代初期の承応4年(1655年)に野火止用水が開削された時には、既に大木になっていたといいます。

「根の下を掘って水を通した」とか、「岸辺のケヤキが土橋の中に根を伸ばし対岸まで渡った」など多くの伝説を持つケヤキだそうです。

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土橋を根で固めてしまうほど強く「万年はもつ」とまで言われており、脇に石橋が架けられる以前はケヤキの根が橋として利用されていたそうです。

となると、このケヤキがあるから橋の名が万年橋となったということになります。

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近くで見てみると、本当に根の下に水が流れています。

この東村山市恩多町の野火止用水沿いには、素敵なものが多くあります。

一つ上流側にある都道129号東村山東久留米線に架かる「中橋」です。

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都道とは思えないような狭い道の小さな橋ですが、これは明治42年のレンガアーチ橋だそうで、歴史のある橋です。

前回見てきた東村山3・4・5号線が開通したら、そちらが都道となり、現在のこの道路は市道になるのでしょうか。

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↑さらに野火止用水のこの少し上流には、水車小屋が見えます。

恩多野火止水車苑として整備されているので、近くで見ることができます。

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2019年1月13日 (日)

開通したけど東村山方面に通り抜けできない東村山3・4・5号久留米東村山線と更地になった元イトーヨーカドー滝山店

東久留米市の滝山団地を東西に通っている滝山中央通りは、久留米西団地のセブンイレブンの辺りから東村山方面には繋がっていませんでした。

2014年10月にはこの東村山都市計画道路3・4・5号線の概要と工事説明会が開かれたことを、このブログでもお伝えしたところです。

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その先には黒目川が流れており、その橋梁工事も必要であることからそう簡単には開通しないと思っていました。

↑ところが、どうやら開通したようです。

しかし、東から西に真っ直ぐ入っていけないように、あえて作られています。

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↑開通した西側から東側を見るとわかりますが、北に向けてT字路のような形態にして通りづらくなっています。

所々に、「この先、東村山方面への通り抜けはできません」との看板が立っています。

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東久留米市の中だけ開通したという事なのでしょうか。

黒目川の橋梁が完成しないからかとも思いましたが、見る限りは道路は先まで続いているようです。

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↑黒目川の北側から東久留米市立第十小学校の方を見るとわかるように、橋は架かっています。

逆に南側から見ると、さほど大きな橋ではないことがわかります。

この川沿いには遊歩道がありますが、有り難いことに信号付き横断歩道がありました。

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空堀川の所沢街道など、遊歩道があるというのに、幹線道路を渡る横断歩道や信号機が無く、大きく迂回しなければいけないところが数多くある中、ここは素晴らしいです

黒目川のすぐ先には、元々300メートル位の短い既開通区間がありましたので、行ってみます。

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2018年4月22日 (日)

久米川駅の近くにはない久米川町の鎮守である熊野神社と富士塚

東村山市には久米川町という地名があります。

西武新宿線久米川駅近くの住居表示は栄町で、久米川町は東村山駅より北側の所沢市に近い方にあります。

その久米川町五丁目には熊野神社があります。

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旧久米川村の鎮守で、明治時代には村社に列格されていました。

熊野神社の御祭神は伊邪那岐神、伊邪那美神、天照大神です。

創建年代は定かではありませんが、元弘3年(1333年)久米川の合戦の際に新田義貞が後詰、つまり後方部隊を置いた所であるとされています。

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↑拝殿は大正10年(1921年)に落成したものです。

この神社の境内からは、応永32年(1425年)銘の青銅製鰐口と水鳥形香炉が発見されており、文明18年(1486年)には聖護院門跡主准后が神前で「里人のくめくめ川と」と歌も詠まれているといいますから、鎌倉時代から室町時代にはこの神社はあったようです。

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↑本殿はさらに古く明治14年(1881年)に落成したといいます。

趣のあるいい建物ですが、どの神社も本殿は近くで見られないことが残念です。

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↑拝殿の北西側には、正面に伊勢神宮、左に御嶽神社、手前に神明宮、さらに手前には写ってませんが稲荷神社も祀られています。

また、この熊野神社の北東側には「久米川富士」があります。

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東村山市史跡に指定されています。

富士講が流行したのは江戸時代といいますが、ここは明治時代の記録はあるようです。

登ってみましょう。

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2016年11月13日 (日)

東村山市内の空堀川の旧河川敷をたどると野口橋も位置が変わっていた

今週は空堀川を上流方面に向かいますが、東村山市内では河川改修工事も終了しているようで、川沿いには自転車で気持ちよく走れる歩行者自転車専用道が整備されています。

久米川駅の近辺で、空堀川は西武新宿線の下を流れているのですが、この道も西武新宿線をアンダーパスしていきます。

その上流側のスロープを登りきった地点はなぜか、川から少しズレた位置になります。

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↑空堀川はやや左に流れており、右に見えるのは線路をオーバーパスしている新青梅街道の栄町陸橋です。

そして、この目の前には閉鎖された細長い空間があります。

どうやら、河川改修前の空堀川の流れがあったところのようです。

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↑少し先の道路から見ても、同じような空間が続いています。

家にあった少し前の地図を見てみると、やはりこちらが以前までの空堀川の流れだったようです。

1時間当たりの雨量50mmに対応するための河川改修工事が行われ、蛇行する川の流れを真っ直ぐに変えたようです。

今でもこの旧川敷が、この辺りの町名の本町と栄町の境になっています。

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↑新青梅街道の渋滞情報などでよく見る、野口橋交差点は府中街道との交差点ですが、その野口橋はこの細い空堀川の橋の名前だったということです。

交差点から南の府中街道を片側2車線ずつに拡幅する際に、空堀川の野口橋も新たに設けられたようです。

現在は少し盛り土されており、橋の面影はありません。

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↑新しい野口橋は川幅も50m近くになっており幅広いため、立派なものに架け替えられています。

こうして、ところどころに親水のために川面に降りられる階段もあります。

この府中街道は新青梅街道の北側は片側1車線ずつで、しかも西武新宿線とは踏切交差します。

その解消と拡幅のため、東村山駅周辺の連続立体交差化工事が進められています。

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↑野口橋から西の上流部にも、旧河川の細長い空間が新青梅街道に沿って続いています。

もう少し行ってみました。

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2016年9月 4日 (日)

復旧工事現場を3回に渡って見に行ってきた西武多摩湖線のかなり早い開通

前回ご報告したように、台風9号の影響で立ち往生していた西武多摩湖線の電車は、約一週間ぶりに牽引されて、現地から搬出されました。

法面崩壊による土砂流入と架線柱の倒壊という大きな被害ですから、復旧まで一ヶ月程度かかると西武鉄道は報道発表していました。

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↑8月28日の電車が動かされる時の様子では、この上り電車の進行方向である武蔵大和駅方面(右側)の架線柱はありますが、左側には架線柱は立ってなく、架線は手前側の下の方に垂れ下がった状態だし、法面もかなり崩壊していました。

それが当初予定よりだいぶ早く、9月6日(火)には開通するということが西武鉄道より報道発表されたので、復旧後の様子を9月3日(土)夕方に再び見に行ってみました。

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↑ブルーシートの位置から見てみると、確かに、左側には新しい架線柱が立てられ、架線も張られていました。

しかし、まだ、線路の上に何やら覆工板かゴムシートかわかりませんが敷かれており、これは西武遊園地駅方面にしばらく続きます。

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↑8月28日の150mほど西武遊園地駅寄りの様子ですが、この部分は線路を剥がして作業をしているのだと思っていました。

ここは唯一、近接している道路から出入りできるところなのです。

↓9月3日に改めてよく見て気付きましたが、こうして小型重機が通れるように線路の上に土嚢を乗せて、さらにその上に覆工板を敷いているようです。

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西武鉄道HPでは9月2日(金)現在では、8月25日レール撤去は既に行われて、レール敷設はまだ行われていないことになっています。

では、線路を新たに敷くとしたら、土曜日にこのような状況で、火曜日の開通に間に合うのでしょうか。

月曜日には試運転もするでしょうから、日曜日にはレールが敷設?され、少なくともこの覆工板が無くなっていなくてはいけないはずです。

ということで、9月4日(日)夕方、またまた見に行きました。

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↑翌日の同じ位置には、見事に線路はきれいに敷かれており、上には何も無くなっていました。

事故から約2週間ぶりに線路が姿を現し、明日は試運転も行われることでしょう。

法面崩壊したところがどのように変化したかも、工事前後での様子を見てみます。

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2016年8月28日 (日)

台風で動けなくなっていた西武多摩湖線の電車を見に行ったら牽引して動きだした

台風9号により各地で被害がありましたが、西武多摩湖線では法面(線路わきの斜面)崩壊による線路への土砂流入で、電車が持ち上げられてしまい動けなくなってしまいました。

そのため、8月22日(月)昼頃から萩山駅から西武遊園地駅間で運休となっており、復旧には1か月程度かかる見込みといいます。

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ニュース、新聞の報道によれば、線路の両側が法面とのことですから、場所は多摩湖沿いの都立狭山公園のすぐ横のはずなので、見に行ってみました。

↑本日8月28日(日)15時過ぎ、電車の進行方向の前面に機関車のような車両が連結されて、作業が行われています。

奥が西武遊園地駅、手前が武蔵大和駅、国分寺駅行きの電車は手前に向かって走っていたところで、左側は狭山公園になります。

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↑ブルーシートで覆われたところが崩壊した法面ですが、すぐ横が住宅地でびっくりしました。

住宅に被害がなく良かったです。

しばらく電車は動けないものかと思っていましたが、短い警笛が鳴って、少し動きました。

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流入した土砂で動けなくなっていたということでしたが、無事土砂を取り除き、動かせたのでしょう。

少し動かしてから、再び復旧作業をするのかと思い、最後尾の方を見に行こうかと歩いていると、再び短い警笛が鳴って、電車がゆっくり動き出します。

普段は公園内でもあまり人のいないエリアですが、今日は家族連れや高級そうなカメラを持った鉄ちゃんらしき人など数多くの人がいます。

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雨上がりで土はツルツルした斜面ですが、走り出す人もいます。

私も、見やすいところに戻ります。

↑武蔵大和駅ホーム近くまで、ゆっくりしたスピードで先頭車両が来ます。

係員の方々が目視で、歩きながら安全を確認しながらの走行ですから、まさに歩くのと同じ速さです。

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↑4両編成の最後部の車両も武蔵大和駅ホームに到着です。

月曜日に立ち往生して、ようやく日曜日に次の駅に到着です。

この後、どこまで行くのか追いかけてみましょうか。

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2015年11月 1日 (日)

柳瀬川の支流である東村山市、東大和市を流れる前川の源泉を探しに行く

2か月ほど前には、都県境の柳瀬川支流の「北川」の源泉をたどって、多摩湖近くの宅部池に行きました。

今回は、同じく柳瀬川支流の「前川」の源泉探しに、久しぶりに自転車で出かけます。

西武新宿線すぐ脇の北川と柳瀬川の合流地点である二瀬橋から数百m上流で、前川と北川は合流しています。

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↑この前は右の「北川」に沿っていきましたが、今回は左の「前川」です。

標高は60mほどです。

この辺りは住宅街であり、また久米川古戦場跡のすぐ近くでもあります。

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↑徳蔵寺橋の向こうに見えるのが、徳蔵寺ですが、国重要文化財に指定されている「元弘の板碑」があるところです。

今回は立ち寄りませんでしたが、徳蔵寺板碑保存館があり、その他にも数多くの板碑が展示されているようです。

川沿いの道も途切れがちで、西武西武園線も川から少し離れた踏切で横断します。

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↑水流に段差があり、周囲は木の生い茂った涼しげな風景です。

やがて、弁天橋という名の不思議な橋があります。

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川の上流は南西方向ですが、この西には弁天池公園があり、その名の通りに小さな池がありますから、この水も前川に流れ込んでいるのでしょうか。

東村山駅の近くを通り、シチズンの東村山総合グランドがある辺りからは、前川に沿って道があります。

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しばらく進むと、高架の西武多摩湖線の武蔵大和駅の近くから、川は道路下に入ってしまいます。

この駅の向こう側は東大和市になります。

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ここでは交差点改良工事が進められており、自動車の流れは少し変更されるようです

工事前は橋の向こうは開渠となっており、水の流れが見えていたはずですが、道路工事とともに暗渠化されてしまいました。

多摩湖自転車道を走っていると、鉄道をトンネルでくぐり、ここらの交差点を渡ると、平坦な道から急に坂道になるところです。

200mほどの暗渠から顔をだした前川は、すっかり水量が少なくなっています。

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どうしてなのでしょうか。

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