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03東村山市

2023年6月18日 (日)

立体交差化工事が進む令和5年6月時点の屋根に覆われたような東村山駅の様子

首都圏の鉄道で連続立体交差化が進む中、西武新宿線は取り残されていました。

それが近年2箇所で事業化されています。

東村山駅周辺での事業もかなり進んでいるようなので、今しか見れない駅の様子を見てみました。

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↑南北方向に東村山駅ホームはありますが、西武新宿線下りの4番ホーム後ろの方から前方、つまり北の所沢方面を見たところです。

右側の5番ホームと6番ホームは上りで、特急の通過待ちにため両ホームに上り電車が停車しています。

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↑逆に南の久米川方面を振り向けば、手前が下り、左の2本が上りになります。

現在、地上駅のままなのですが、高架化された後の駅を支える基盤部分ができているため、屋根に覆われたような景色になっています。

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↑(西武鉄道ホームページより引用)

東村山駅は西武新宿線だけでなく、南からは国分寺からの国分寺線、北西へ西武園に向かう西武園線も通っています。

跨線橋による橋上改札口のある構造でしたが、工事のために橋は取り壊され、地下通路に改札口はあります。

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↑最初の4番ホーム向かい側である3番ホームから、南方向の西武新宿や国分寺方面を見たところです。

その3番ホームと右の1番ホームは国分寺線が使用しています。

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↑3番ホームを北に向けて歩いて行くと、国分寺線の終点としての車止めがあります。

左の1番ホームは長さが短くなっています。

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2022年3月20日 (日)

変わっていく東村山駅と橋も出来つつある滝山からそこまでの都市計画道路

西武新宿線東村山駅付近では連続立体交差事業が進められています。

地上ホームでそれを跨ぐ跨線橋上に改札口があった東村山駅も、線路とホームは地上にあるものの、改札口とそこまでの通路は地下化されています。

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↑西口から所沢方面を見ると、高架橋が設置されており跨線橋が無くなっているのがわかります。

西武新宿方面でも同様です。

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そもそも今いるここは西口ペディストリアンデッキ上で、この先改札口に行くことが出来たところです。

この先に行けないため、現在では隣接ビル2階店舗に行くためだけにあるようになってしまっています。

その2階にあった書店も閉店していました。

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↑地下通路で東口駅前広場から所沢方面を見ていますが、正面が地下への入り口です。

西武新宿方面を見ると、右端の方が先程いたタワーマンションとその下の店舗入り口のあるところです。

左側に高架部分がはみ出るように設置されていますが、あそこに新しい東村山駅への入り口ができるようです。

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大分雰囲気も変わることでしょう。

今度は駅から東に真っ直ぐ向かい、スポーツセンターまで行く東村山3・4・27号線の先を見に行きます。

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この道はスポーツセンター前で北東の秋津方面に向かっていますが、計画では北西との二手に別れることになっています。

久米川駅から北東に向かう東3.4.26号線と都道226号久米川清瀬線とクランク状で繋がっている道路へと続きます。

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この野火止小学校の近くから「事業区間」と表示されているところの状況を見に来ました。

↑用地取得は完了しているとのことで、手前の交差点部より先は舗装もされているようです。

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2020年5月10日 (日)

小平霊園内で行われている道路工事と新青梅街道側入口前のサイゼリヤの想定外の後継店

小平霊園は、小平市、東久留米市、東村山市に跨る広い敷地の都立霊園です。
外出自粛のため、遠出できない数多くの人が散歩やジョギング、犬を散歩させたり、ヤギを散歩させている人もいました。
その新青梅街道側のお盆時期しか車は入れない、通常は歩行者、自転車用の入口を入ると、すぐのところで工事が行われています。
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新青梅街道に沿った道路の舗装が剥がされて、砂利道となっています。
道路排水とともに道路(園路)整備をするようです。
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↑働き方改革の一環なのでしょうか、「週休2日確保試行工事」と書かれています。
小平霊園内では近年こうした工事が順次実施されているようで、既に完了したところはこんな様子です。
V型側溝に雨水を流し、集水桝で集めるようですが、雨水浸透桝ではなさそうです。
小平霊園内では、最近こうした工事が順次実施されており、既に完了したところはこんな感じです。
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幻の湧水と言われている「さいかち窪」に水が湧いた様子を、何度かこのブログでも見てきました。
その時には、さいかち窪の敷地に向けて南から流れ込む水流もあった気がします。
あれはこうした道路排水だったのでしょうか。
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↑この日はいつものように、さいかち窪に水は無く、ここから北の黒目川への流れは枯れています。
小平霊園内や周辺に浸み込んだ雨水が集まって、さいかち窪の湧水になっているはずです。

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2020年1月 5日 (日)

ブログ開設8周年を記念して別当寺が国宝建築物である八坂神社へ行く

このブログを開設した日は、PC画面では左下の方にある「ココログからのお知らせ」の「ココログ」というロゴのすぐ下にある数字で表示されています。

2012/01/02と書かれているように、2012年1月2日にブログを開設しましたから、お蔭様で8周年を迎えることができました。

ページビュー(PV)回数もその下のカウンターにあるように、約94万5千と数多くの方に見ていただけました。

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有難いことですのでこれを自ら?記念して、「8」や「八」にまつわるところを訪れてみることとしました。

↑まずは、西武多摩湖線の八坂駅です。

駅だけでは何ですから、駅の近くにある駅名の由来ともなっている「八坂神社」に行きました。

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八坂駅も八坂小学校も、そして八坂神社も府中街道に面しています。

青梅街道から新青梅街道まで2.5キロメートルほどのこの区間は「東村山3・3・8号府中所沢線」として既に拡幅工事が完了しています。

鳥居の前には警察官がいて物々しい雰囲気ですが、初詣の混雑による警戒でしょうか。

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↑1月3日の午後なので、もう空いていると思って来たのですが、予想以上に人気のある神社のようです。

八坂神社の創建は不明ですが、弘安元年(1272年)の正福寺建立、または応永14年(1407年)の正福寺地蔵堂建立間もなくと考えられています。

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↑鳥居から社殿まで100メートルほどは行列となっているため、列に並ぶ前に手水舎に行かなければいけなくなっています。

正福寺は八坂神社の別当寺なのですが、創建年次との関係も含めて調べてみましょう。

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2019年5月19日 (日)

東村山市役所近くにある平和塔公園の境塚、あちら側にあるという浅間塚と今後は見られないであろう景色

前を通る時にちょっと気になっている神社の案内板がありました。

東村山市役所や東村山警察署前の府中街道西武新宿線踏切を渡ったすぐ西のところに、平和塔公園があります。

階段の付いた小さな山があるだけの公園で、この名称も不思議でした。

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↑この小山は「境塚」というようで、東村山市教育委員会による説明板があります。

江戸時代に幕府は武蔵野原の新田開発をすすめましたが、延宝、元禄年間には入会地の開墾をめぐって幕藩領主層と自立農民との対立も起りました。

延宝8年(1680)には「境目絵図」がつくられたり、その後村々にはこのような境塚が築かれたということです。

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境塚の上には、昭和36年に平和の女神像が立てられたのでこの公園の名前となったようです。

ここは元「大塚」で、今はなき「小塚」も近くにあったそうです。

説明板には「あちら側にある」という表現で、浅間塚についても書かれています。

しかし、「あちら側」が頂上からも見えないので、住宅街を探し回ってみました。

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↑北の方にそれらしきものがありました。

禁止という看板が見えたので入れないのかと思いましたが、立ち入り禁止ではなく、はりがみ禁止のようで南東側には登れるように階段がありました。

この浅間塚のところにも東村山市教育委員会による説明板がありました。

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この塚は富士塚ではありませんが、頂上に富士信仰の浅間神社が祀られており浅間塚と呼ばれているということです。

江戸時代の文化文政の頃から各地に富士山を模した富士塚も築かれましたが、これは違うようです。

でも、祠はあります。

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2019年3月17日 (日)

東京都と埼玉県に南北に分断された秋津村の鎮守だったという日月神社と伝説

旧所沢街道を通る西武バスのバス停に「日月神社」という名のところがありますが、通りに面していないので、どころにあるか知りませんでした。

それが道路のすぐ近くにあることを知りました。

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↑「にちげつ」ではなく、「じつげつ」と読むそうです。

柳瀬川の北側の河岸段丘のところにあるため、社殿に向けては高台になっています。

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階段を昇ると、御神木とともに「蜻蛉(とんぼ)の寄生木」という伝説が記されています。

それというのは、この秋津村に無理難題を言って家臣を困らせていた殿様がいて、自分の年齢と同じ数の蜻蛉を捕ってくるよう家臣に命じましたが、1つ足りませんでした。

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怒った殿様が、ここで「神の力があるのなら、蜻蛉を、御神木の欅(けやき)の股から別の種類の木にしろ。出来なかったら祠をつぶす。出来たらもう無理難題は言わない」と言って、御神木に蜻蛉を投げつけてしまいました。

この御神木と社殿は同一の高台の上にあります。

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祭神は大日孁貴尊と月読尊ということで、日月神社です。

武蔵国秋津村の鎮守でしたが、武蔵国が柳瀬川を境に南北に、東京都と埼玉県へと分離されてしまいました。

一ヶ月程前に見たように、秋津町は東京都東村山市の地名ですが、ここの地名は埼玉県所沢市北秋津です。

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2019年2月24日 (日)

平安時代からの秋津町の村の鎮守と鉄道係員養成所と東村山市と所沢市の都県境にある住居表示の混乱

西武池袋線の秋津駅といえば、JR武蔵野線の新秋津駅へのちょっと不便な乗換駅というイメージでしょうか。

秋津町は、秋津駅が清瀬駅の次だし、まあ清瀬市にあるのだろうと思っていました。

ところが行ってみたら、東村山市に属しているようです。

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↑そんな秋津町に「氷川神社」があります。

よく街中にある神社かと思ったら驚くほど歴史は古いようです。

弘仁九年(818年)といいますから平安時代、秋津村真言宗竜泉寺に氷川社があり、秋津村の村の鎮守として祀られていました。

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↑現在の拝殿は昭和59年のもので、入母屋造りで屋根は銅板葺です。

江戸時代には南秋津村の鎮守、明治時代には村社となっていました。

御祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)といいますから、天照大神の弟で、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したことで有名です。

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↑本殿は流れ造りで銅板葺です。

鉄筋コンクリード造りとなっています。

このすぐ近くには、「西武研修センター」という建物がありました。

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その表示板には「鉄道係員養成所」とも書かれていましたから、西武鉄道の研修所のようです。

西武池袋線からさほど離れていないし、電車運転の練習のための引き込み線がないかと思い、周囲を見て回ってみました。

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2019年1月20日 (日)

旧村名の大岱が小学校名にもなっている恩多町の天然記念物の大ケヤキと水車と神社

野火止用水に架かっている東村山運動公園前を通っている道路の橋は、「万年橋」といいます。

ここには大きなケヤキの木があり、「万年橋のケヤキ」と呼ばれています。

幹周り6メートル、高さ30メートルあり、東村山市の天然記念物に指定されています。

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江戸時代初期の承応4年(1655年)に野火止用水が開削された時には、既に大木になっていたといいます。

「根の下を掘って水を通した」とか、「岸辺のケヤキが土橋の中に根を伸ばし対岸まで渡った」など多くの伝説を持つケヤキだそうです。

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土橋を根で固めてしまうほど強く「万年はもつ」とまで言われており、脇に石橋が架けられる以前はケヤキの根が橋として利用されていたそうです。

となると、このケヤキがあるから橋の名が万年橋となったということになります。

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近くで見てみると、本当に根の下に水が流れています。

この東村山市恩多町の野火止用水沿いには、素敵なものが多くあります。

一つ上流側にある都道129号東村山東久留米線に架かる「中橋」です。

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都道とは思えないような狭い道の小さな橋ですが、これは明治42年のレンガアーチ橋だそうで、歴史のある橋です。

前回見てきた東村山3・4・5号線が開通したら、そちらが都道となり、現在のこの道路は市道になるのでしょうか。

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↑さらに野火止用水のこの少し上流には、水車小屋が見えます。

恩多野火止水車苑として整備されているので、近くで見ることができます。

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2019年1月13日 (日)

開通したけど東村山方面に通り抜けできない東村山3・4・5号久留米東村山線と更地になった元イトーヨーカドー滝山店

東久留米市の滝山団地を東西に通っている滝山中央通りは、久留米西団地のセブンイレブンの辺りから東村山方面には繋がっていませんでした。

2014年10月にはこの東村山都市計画道路3・4・5号線の概要と工事説明会が開かれたことを、このブログでもお伝えしたところです。

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その先には黒目川が流れており、その橋梁工事も必要であることからそう簡単には開通しないと思っていました。

↑ところが、どうやら開通したようです。

しかし、東から西に真っ直ぐ入っていけないように、あえて作られています。

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↑開通した西側から東側を見るとわかりますが、北に向けてT字路のような形態にして通りづらくなっています。

所々に、「この先、東村山方面への通り抜けはできません」との看板が立っています。

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東久留米市の中だけ開通したという事なのでしょうか。

黒目川の橋梁が完成しないからかとも思いましたが、見る限りは道路は先まで続いているようです。

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↑黒目川の北側から東久留米市立第十小学校の方を見るとわかるように、橋は架かっています。

逆に南側から見ると、さほど大きな橋ではないことがわかります。

この川沿いには遊歩道がありますが、有り難いことに信号付き横断歩道がありました。

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空堀川の所沢街道など、遊歩道があるというのに、幹線道路を渡る横断歩道や信号機が無く、大きく迂回しなければいけないところが数多くある中、ここは素晴らしいです

黒目川のすぐ先には、元々300メートル位の短い既開通区間がありましたので、行ってみます。

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2018年4月22日 (日)

久米川駅の近くにはない久米川町の鎮守である熊野神社と富士塚

東村山市には久米川町という地名があります。

西武新宿線久米川駅近くの住居表示は栄町で、久米川町は東村山駅より北側の所沢市に近い方にあります。

その久米川町五丁目には熊野神社があります。

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旧久米川村の鎮守で、明治時代には村社に列格されていました。

熊野神社の御祭神は伊邪那岐神、伊邪那美神、天照大神です。

創建年代は定かではありませんが、元弘3年(1333年)久米川の合戦の際に新田義貞が後詰、つまり後方部隊を置いた所であるとされています。

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↑拝殿は大正10年(1921年)に落成したものです。

この神社の境内からは、応永32年(1425年)銘の青銅製鰐口と水鳥形香炉が発見されており、文明18年(1486年)には聖護院門跡主准后が神前で「里人のくめくめ川と」と歌も詠まれているといいますから、鎌倉時代から室町時代にはこの神社はあったようです。

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↑本殿はさらに古く明治14年(1881年)に落成したといいます。

趣のあるいい建物ですが、どの神社も本殿は近くで見られないことが残念です。

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↑拝殿の北西側には、正面に伊勢神宮、左に御嶽神社、手前に神明宮、さらに手前には写ってませんが稲荷神社も祀られています。

また、この熊野神社の北東側には「久米川富士」があります。

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東村山市史跡に指定されています。

富士講が流行したのは江戸時代といいますが、ここは明治時代の記録はあるようです。

登ってみましょう。

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