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川の源泉

2019年4月14日 (日)

東川の源泉って道路排水なのか、人孔なのか、それとも違うところなのか

引き続き、所沢市を西から東に流れている東川(あずまがわ)の源泉を探していきます。

東川は三ヶ島八幡神社の西参道鳥居の前を奥(北東)に向けて流れていき、前回見たもう一つの流れとこの先で合流します。

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↑右に小高くなっているのが神社です。

南西に向けて上流に向かっていきます。

やがて、道路沿いに流れていた東川は住宅と畑の間へと入っていきます。

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グーグルマップで見ると、この少し先で水の流れは無くなっています。

その辺りに源泉があるということでしょうか。

しかし、畑とはいえ、勝手に民有地に入って行くわけにもいきません。

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↑もしかすると、方角的に川があるかと思われる方を探してみると、さらに上流にも水路がありました。

この先で道路を横断しているはずなのですが、その向こう側の上流側には水路が見つかりません。

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↑道路の両側には側溝があります。

しかも、斜面となっていますから、雨が降れば結構な量の水は流れてくることでしょう。

ということは、東川の源泉はこの道路排水ということになってしまいます。

なんか、釈然としないまま、この道路を登ってみました。

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↑すぐ先の道路左手には、トトロの森10号地がありました。

ナショナルトラスト活動でこの丘が保全されています。

こうした森からの湧水も、この道路の側溝には流れていくわけですから、単なる側溝ではなく、やはりこれが東川本流なのでしょうか。

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↑さらに道路を進んでいくと、かなりの上り急斜面となります。

両側にはやはり側溝はあります。

坂を登り切ると、狭山湖の周回道路に行き当たります。

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2019年4月 7日 (日)

所沢の東川の源泉を探してヤギと三ヶ島八幡神社の桜を見る

所沢市内を西から東に流れている東川は、桜の名所になっており満開です。

ひがしかわではなく、あずまがわと読みます。

この東川の源泉を目指してみました。

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関越道所沢インター周辺では柳瀬川に合流しており、国道463号浦和所沢バイパス、西所沢からは県道179号所沢青梅線にほぼ沿って流れています。

狭山湖周辺に源泉はあるようです。

↑その所沢青梅線下田橋から南の上流方向へは道路に沿って流れています。

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 ↑やがて畑の間に入っていきます。

道と私有地の区分が分かりづらいのですが、グーグルマップを見るとここは道のようです。

小高い丘のところで2つに別れています。

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というか正しくは2つの流れがここで合流しています。

右側は沿っては行く道が無いので、まずは左側の流れを上流に向かいます。

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水の量はかなり少なくなっています。

畑と道路の間、民家と畑の間を流れています。

グーグルマップではこの道路の手前が上流端のようですが、まだ先に流れはあります。

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ここの桜はまだ満開とはなっていませんでした。

この先は民有地のようなので勝手に入るわけにもいきません。

ところで、先程からメーという鳴き声が気になります。

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↑川の左側にある道路を進むと、そこにはヤギがいました。

しかし、この道路も行き止まりとなっており、先に進めません。

さらに左に大回りする道路は山?の向こう側を通っていますから、やはり川の上流には行くことは出来ません。

残念ですが、ヤギの声で少し和んだ気分になり、もう一方の流れの上流を探します。

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2019年3月24日 (日)

南沢湧水の守護神であり東久留米総鎮守でもある南沢氷川神社

湧水や自然豊かな落合川では、河川改修工事をした際に、元の川の形や周囲の自然を極力残すような努力が感じられるところが至る所にあります。

東久留米市南沢辺りの川が蛇行しているところもその一つです。

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↑落合川の南の小高い丘の上に氷川神社があります。

ここ東久留米市南沢の氷川神社は、古来より湧水の守護神として鎮座していたといいます。

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建立年次は不明ですが、出雲国の斐伊川の故事に倣って創立されたそうです。

現存する古文書に在原業平に関する古伝があり、東下りの折、南沢に宿を求めこの神社に立ち寄ったとのことです。

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在原業平といえば、平安時代初期の歌人ですから、随分と歴史があることになります。

↑火災による消失により、現社殿は昭和46年に再建されたものです。

つい最近のように思ってしまいますが、1971年のことになりますからもう50年近くなります。

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とてもキレイですから、近年塗替えをしたのでしょうか。

この神社では江戸時代の再建の際の棟札が、東久留米市指定有形文化財となっています。

承応3年(1654年)のもので、寄進者として久世大和守や南沢村領主の名前が刻まれています。

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久世大和守広之は南沢で生まれ、後に徳川幕府の将軍側近や老中を務めた実力者だそうです。

また、加藤清正虎退治絵馬も市指定有形文化財となっています。

こちらは、市内最古の絵馬で、文政4年(1821年)に制作された、武者絵馬の代表的なものです。

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↑社務所は昭和59年に建てられたものです。

棟札も絵馬も公開はされていませんので、見ることは出来ませんでした。

ところで、棟札の寄進者には、南沢村、田無村、入間村、下新井村総氏子とも記されているので、かなり広範囲の氏子信徒により再建されたことになります。

やはり水の神は大事だったのでしょうか。

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2018年12月 2日 (日)

立川ではなくて所沢にある国指定重要文化財の砂川遺跡と砂川の源泉

砂川遺跡という名前を聞くと、砂川事件を連想するので、立川の周辺にあるのかと思ってしまいます。

在日米軍立川基地拡張に関する事件の裁判ですが、東京都北多摩郡砂川町、現在の立川市の話だったはずです。

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しかし、この砂川遺跡は埼玉県所沢市三ヶ島にあります。

所沢市で最初に発見された旧石器時代の遺跡だそうです。

畑の間のあまり広くない道路沿いで、案内板が無ければ気付かずに通り過ぎてしまうようなところです。

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ナイフ形石器を含む769点もの石片が出土し、1万3000年前のものといいます。

いつもながら、こうした遺跡の年代を聞くと、気の遠くなるくらいの時間の長さを感じます。

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ここは「砂川遺跡都市緑地」として整備されています。

調査では、石器類の出土地点の全記録と出土した石器類の接合という作業が初めて試みられ、ナイフ形石器等の製作工程が明らかとなりました。

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石器類が集中しA地点↑とF地点↓から出土したということで、そこはブロックで囲い表示してあります。

出土した石器類は、「埼玉県砂川遺跡出土品」として国の重要文化財に指定され、明治大学博物館等に所蔵されているそうです。

ここには展示施設はありません。

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また調査により、当時の人々が常に石を携行して移動し、そこで石器を作ったり、他の場所で作ったものが持ち込まれたり、他の場所へ持ち去ったりするなど、人々の生活や動きが実証されました。

日本の旧石器時代研究に大きな成果をあげたそうです。

ここはのどかな田園風景で、昔を感じさせてくれるいいところです。

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でも、遠くに見える小手指駅前のタワーマンションが現在とのミスマッチ感を出しています。

ところで、立川ではないのに砂川という名が付いているのは、砂川という川が流れているからです。

久しぶりに、砂川で川の源泉探しをしてみました。

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2018年7月15日 (日)

60メートルもの高低差があるからこそ湧水も遠景も楽しめる桜ヶ丘公園

前回見た聖蹟桜ヶ丘駅の駅名の由来ともなっている場所である都立桜ヶ丘公園ですが、明治天皇のお野立所の辺りはやはり遠方の見渡せる景色のいいところです。

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北西方向をはるか遠くまで見ることができます。

案内板もあり、奥の方には東京都で一番高い山である雲取山があるようですが、ちょっとよくわかりませんでした。

この景色を見ても、ここから北西に向けて地面が大きく下がっていくことがわかります。

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↑改めて公園案内図を見てみると、等高線が書かれていて、かなりの高低差があることがわかります(クリックすると拡大します)。

ここや旧多摩聖蹟記念館のあるところは標高が140メートルくらいあり、公園内でも高い位置あります。

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↑下に降りて行こうとすると結構急斜面です。

♪行きはヨイヨイ帰りはコワイ♪という感じですが、ようやく下りきって低いところに到着です。

この辺りの一部敷地はなぜか都立桜が丘公園ではなく、多摩市立大谷戸公園となっています。

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↑唐突にキャンプ場のようなものがあるなあと思って見てみると、「大谷戸公園キャンプ練習場」と書かれていました。

多摩市が運営しており、かまどやテントスペース、キャンプファイヤースペースなどもあり、定員120名のキャンプの「練習」ができるところです。

練習というのが面白いです。

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↑案内図に水の流れが書かれていた湧水が流れているらしきところに、実際の水流は有りません。

下流側に行けば水があるかもしれないので行ってみました。

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2018年2月 4日 (日)

小金井の地名の由来とも云われる国分寺崖線からの湧水がきれいな貫井神社

国分寺崖線沿いには湧水の湧き出るところが数多くありますが、その一つの貫井神社に行ってきました。

新小金井街道と東京経済大学の間の住宅地の中にあるため、周辺道路も狭く交通量が少ない静かなところです。

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↑本殿の前には神橋があり、両側にいわばひょうたん型に池があります。

天正18年(1590年)に創立され、水の神である水神様を貫井弁財天として祀ったとのことです。

本殿は宝永6年(1709年)に改築されたものが残されていましたが、昭和60年(1985年)焼失してしまったため新たに建て替えられたものです。

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↑右側の池ですが、ちょうど国分寺崖線の下に位置するためか水も豊富です。

小金井の地名は、「黄金に値する豊富な水が出る」ことから、黄金井(こがねい)が小金井になったと云われています。

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↑その対岸に渡り、先程いたところを振り返ると、神橋も美しい景観です。

また、中世には、現在の前原町南部が金井原(かないはら)と呼ばれており、あるいは、土地の支配者金井氏にちなむ地名という説もあり、よくあるパターンで地名の由来は諸説あるようです。

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↑神橋から今度は左側の池を見てみると、正面に水が勢いよく流れ込んでいるところがあります。

これは湧水でしょうから、水の出どころを確認しなくてはいけません

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↑本殿の左側のハケ(崖線)沿いに奥の方から水は流れてきます。

本殿を取り囲むようにハケとなっていますから、すぐに水源に到着です。

ここは水量が多く、これまで枯渇したことがないと小金井市公式サイトにありました。

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↑3つの岩の間から水が湧いています。

東京の名湧水57選にもなっているようです。

ただし、「平成2年2月8日水質検査の結果、飲料水として適しません」とあえて看板が立っていました。

ハケ上も見てみましょう。

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2017年10月22日 (日)

さいかち窪と黒目川最上流部の台風21号直撃前の秋雨前線の影響による大雨の状況を確認に行く

月曜日には最高気温が14.3℃と10月中旬の東京としては46年ぶりの寒さで、木曜日には最低気温が9.9℃という同じく31年ぶりの記録、さらに正午でも11.1℃と非常に寒い日でした。

その週末に今度は、超大型で非常に強い台風21号が関東を直撃しそうで、今晩(10月22日日曜日)の深夜から未明に東京地方は大雨で強風に注意が必要という天気予報です。

その台風21号が秋雨前線を刺激しているようで、既に日曜日の朝から夕方までずっと強い雨が降っています。

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これだけの大雨なら、さいかち窪は水が湧くというよりも水が貯まっているはずです。

大雪の時には水が流れているかと見に行ったのに無かった水の流れが、今日の夕方にはありました。

この奥の方がさいかち窪で、手前に向けて水は流れています。

小平霊園内の雑木林の奥に向かい、さいかち窪まで行こうかとも思いましたが、この水流の左側の通路というか踏み分け道も川のように水が流れており進めません。

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しかも、あんな寒い日が数日前にあったにも拘らず、写真を撮るほんの短時間で蚊に何カ所も刺されてしまい意気消沈です。

↑諦めて下流方向を見れば、新青梅街道の下に向けて水が流れていきます。

この先で道路排水の水が合流しているのですが、時折冠水するほど多くの道路上の水が流れ込むと、あの狭い黒目川最上流部は氾濫が心配です。

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↑新青梅街道を渡ってみると、やはりすごい勢いで水が入って来ます。

さいかち窪からの水流からは大分増えています。

ここからは自然に配慮した川づくりが行われているため、通常の都市河川のような広い川幅で整備されてはいません

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↑案内図(クリックで拡大)の⑤の辺りから下流は広い川幅となっていますから心配ありません。

さいかち窪や柳窪天神社では、湧水もたまにしか見られないため、最上流部は枯れていることが多いくらいです。

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↑200mほどは公園となっていますが、その途中の民有地からは流れ込む水によって「小さな滝」ができていました。

そのお宅への橋のすぐ下まで水位があり、その橋さえも水が溜まり川のようです。

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この先の下流にも見に行きます。

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2017年7月 9日 (日)

国分寺崖線にある大学構内にあって東京の名湧水57選にもなっている新次郎池と野川への水の流れ

国分寺崖線は、古代多摩川が北から南へと長い年月をかけて流れを変えていく中でできた、立川市から大田区のあたりまで約30km続く河岸段丘です。

高低差が15〜20mほどあり、そこには数多くの湧水があります。

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その中で、国分寺駅近くの東京経済大学の構内にも湧水による池があると知りました。

この大学への所用がありましたので、ちょっと寄ってみることとしました。

西にある正門から入り、東端の校舎裏の階段を下りていきます。

↑振り返ってみると、国分寺崖線の結構な高低差であることがわかります。

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↑ここに新次郎池があります。

ここは東京都環境局が選定した東京の名湧水57選の一つとなっています。

5箇所の湧水があり、元々はわさび田だったそうです。

それを北澤新次郎学長の時代である1960年前後に池として整備したため、この名が付いていると説明板がありました。

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ちょっと想定外の名前の由来でした。

大学敷地としては南東に位置します。

夜中に台風が通過し、結構大雨が降った翌朝に行ったのですが、雨の直後過ぎたためか、水は溜まっているものの湧いている様子はありませんでした。

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↑この池から南方に向かった細い川のような水の流れがあるようなのでその先を追ってみます。

事前に地図を見た時は、この南東側には大学の門は無く、外部から出入りが出来ないと思っていましたが、予想外に門がありました。

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↑東京経済大学敷地の南東端から北を見ていますが、東側の道路に沿って、手前の南側に流れるように川はあります。

この新次郎池周辺は公開空間として開放されていました。

案内図があったので見てみると、よく耳にする「公開空地」と「公開空間」が区別され、地図に載っています。

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2017年6月18日 (日)

埼玉県南部唯一の前方後円墳の柊塚古墳と黒目川の終点にあるゼロキロポスト

黒目川沿いを自転車に乗って下流方面に向かって、再び朝霞市まで行きました。

先日行った城山公園の少し先に、埼玉県南部で唯一、墳丘が現存する前方後円墳があるというのです。

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↑黒目川の右岸側すぐ近くですが、中央部の木の生い茂った小高い丘のようなところに位置する「柊塚(ひいらぎづか)古墳」です。

柊塚古墳歴史広場として整備されており、駐輪場だけでなく駐車場までありました。

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↑馬形のモニュメントがありますが、ここからほんとうに馬形埴輪が発掘されたそうです。

墳丘は標高21mの位置にありますが、黒目川下流部のこの辺りは標高3m程度しかありませんので、標高差は20m近くあります。

柊塚古墳は発掘調査の結果、6世紀前葉のものといい、埋葬施設は二カ所あるようですが、誰の墓かはわかりません。

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埼玉県といえば、4年前に行った行田市にある「さきたま古墳群」が有名ですが、県南部にもこんな古墳があったとは知りませんでした。

古墳の墳丘の周りには周濠もあったようです。

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現在でも「後円墳」の部分は形がわかりますが、「前方」(前の方ではなく、前にある四角形)の部分は原型を留めていません。

住宅等で開発されてしまったようです。

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↑右のほうが、前方の部分ですが、切れてしまっています。

円墳の裏側に廻ることができますが、頂上部まで登れる通路があるのですが、入口が閉鎖されています。

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この公園には不思議な形だなと思われる小さな建物がありました。

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2017年5月28日 (日)

埼玉県内最古である室町時代建築の国指定有形文化財の神社建築物と落差12mの滝のある毛呂山町

JR八高線に毛呂という駅があり、ここは埼玉県毛呂山町になります。

駅西口には埼玉医科大学やその病院があり、のどかな風景の駅が多い八高線の駅の中では異色の存在です。

そんな毛呂駅東口には、小高い丘陵がありその上には「出雲伊波比神社(イズモイワイジンジャ)」があります。

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この丘は臥龍山といわれ、この神社には室町時代の1528年(享禄元年)建築の神社社殿があります。

神社に伝わる「臥龍山宮伝記」によれば、53年(12代景行天皇の時代)に日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が天皇から賜ったヒイラギの鉾を納め神宝とし、出雲の大己貴命(オオナムチノミコト)を祀りました。

さらに出雲の天穂日命(アメノホヒノミコト)とともに出雲伊波比神としたとされています。

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この拝殿は後ろ側から見ても美しいのですが、この右の奥にも、さらに建築物があります。

神話の時代を過ぎ、奈良時代の772年(宝亀3年)の大政官符によると朝廷から幣帛(神前に供えるもの)を受けた官弊社であったとの記録が残っています。

鎌倉時代には源頼朝が畠山重忠に造営を命じ、室町時代の1527年(大栄7年)に消失後、毛呂顕繁により再建されたのが現在の本殿といいます。

国指定重要文化財に指定されている埼玉県最古の神社建築です。

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↑裏側にあった建築物を囲いの隙間から覗くように見てみましたが、国指定重要文化財に指定されているのは、実はこの裏側にある本殿のようです。

毛呂町公式サイトではわからなかったのですが、文化庁公式サイトで確認できました。

この出雲伊波比神社では、流鏑馬(やぶさめ)も11月には行われているそうです。

ところで、拝殿正面に奉納されている流鏑馬の的のようなものには、瀬戸大也と書かれていました。

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無知なので、どこかで聞いたことのある名前だなあとしか思っていませんでしたが、その日の夜のニュースを見ていてびっくりしました。

オリンピック水泳のメダリストで、この日に婚約を発表していましたが、毛呂山町の出身だそううです。

この後、毛呂駅からは3~4km位の距離がありますが、見てみたい滝もあるので行って来ました。

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この日は車で来ており、途中までは広い県道ですが途中の毛呂山総合公園やゴルフ場のさいたまGCの辺りから狭い道となっていきます。

そうはいっても、すれ違える道幅はありますし、滝の近くには駐車場やトイレも整備されています。

↑そこからは細い宿谷川沿いを進みますが、遊歩道が整備されています。

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