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55神奈川県

2017年3月19日 (日)

デパート屋上に観覧車がビルトインされている不思議な名前のセンター北駅と古墳へと発展しそうな方形周溝墓のある歳勝土

子供の頃は、デパートに行く楽しみの一つに屋上の遊園地がありました。

観覧車などの遊具が数多くありましたが、今ではすっかり珍しい存在となってしまいました。

それが、「モザイクモール港北」という、センター北駅前の「都筑阪急」の屋上にはあります。

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屋上にある観覧車というと、もう少し小さいイメージですが、ここにあるものは直径45mもあります。

首都圏では初めての、そして現在でも唯一であるビルトインタイプの観覧車で、高さは地上67mなります。

後から屋上に設置したのではなく、ビル建設当時から建物の構造の一部として設計されて、建物の構造に組み込まれているようです。

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確かに後からこの大きさのものを設置したら、不安定でしょう。

ところで、この「センター北駅」という名称にはちょっと違和感を感じます。

大抵は「〇〇センター北」とかいう名前にして、どこにあるのか、何の施設のセンターなのか、わかるようになっているように思います。

横浜市営地下鉄の駅ですから、市民は当然、港北ニュータウンの中心市街地であるセンターだとわかるに決まっているということでしょうか。

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ここは地形的にも特殊のようで、あざみ野駅から来た地下鉄ブルーラインも、日吉駅から来た地下鉄グリーンラインも、このセンター北駅で地下から地上に出て来て、センター南駅で再び地下に潜り、それぞれ中山駅方面と横浜駅、湘南台駅方面へと向かいます。

↑センター北駅から南駅を向いていますが、右がブルーラインは横のサードレールから電気を取り入れており、左のグリーンラインは上の架空電線からパンタグラフで電気を取り入れているので景色が違います。

この辺りは、早渕川を挟んで谷となっていますから、このセンター北駅とセンター南駅間は地上でしかも高架上を走っているのです。

センター北駅の辺りの標高は31m、センター南駅の辺りも標高は31mです。

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早渕川のところでは標高は13mと低くなっています。

↑前回から見てまわっている大塚歳勝土遺跡公園は高台にあることがわかりますが、茅ヶ崎城址公園とは早渕川を挟んで反対側となります。

北と南にこうした地形となっていますから、この早渕川はかつては水量の多い急流の川だったことでしょう。

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港北ニュータウンの開発で地形も大きく改変されていますから、以前の様子はわかりません。

↑しかし、遺跡は大塚・歳勝土遺跡公園は標高50mほどの高さがありますが、公園として保全され、そこには地形模型があります。

前回見た大塚遺跡の弥生時代の住居跡でしたが、歳勝土遺跡は墓地があったところです。

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2017年3月12日 (日)

弥生時代に既に空堀や土塁があった大塚歳勝土遺跡、当時は都筑まもる君がいなかった

今から2000年ほど前の、この地方で稲作を始めた人々の暮らしていた、弥生時代中期のムラとその墓地が一体的のわかる貴重な遺跡も横浜市都筑区にあります。

大塚・歳勝土遺跡として国指定史跡となっています。

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弥生時代の住居跡に竪穴住居が復元されています。

大塚遺跡は外周600mに及ぶ大きな溝を廻らせた大規模なムラ全体が発掘され、85軒もの竪穴住居跡と25棟の高床倉庫があったようです。

↑これは中型住居で標準的な大きさです。

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↑大規模な住居もあり、ムラ長の住居だったようで集会所としても使われていたといいます。

いずれも中に入れるようになっており、結構しっかりした作りになっていることから当時の技術水準に驚かされます。

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↓竪穴住居の発掘跡が保存されています。

2回の建て替えが行われたことがわかり、壁の一方には通路があったこともわかったそうです。

こうした発掘とその検証の技術の高さにも驚かされます。

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ところで、竪穴式住居とか高床式倉庫とか、歴史の授業では「式」が入って教えられた気がしますが、案内板には「式」無しで表示されています。

現在の山川日本史の教科書を見てみると、確かに竪穴住居、高床倉庫と記載されていました。

その高床倉庫も復元されています。

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柱にはネズミ返しという侵入を防ぐためのものも既に設置されていたといいますから、予想以上に発達した社会です。

このムラの周りには溝があったといい、さらには柵も廻らされていたと言います。

幅4m深さ2mもあったといい、復元されていますが、弥生時代から何のためにあったのでしょうか。

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2017年3月 5日 (日)

早渕川からの崖の上にあって高低差を実感できる茅ヶ崎城の郭や土橋

前回に続き、横浜市都筑区にある中世城郭の様子がよく保存されている茅ヶ崎城址公園を見て回ります。

横浜市指定史跡となっています。

ここは案内板がとても丁寧で、郭についても説明されています。

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最初に見た地図とは上下が逆で、北が上になっています。

北郭、西郭、中郭と見てきましたが、その中郭の南側から次に東郭に向かうと、まず一旦下り、その先は急な上りとなっています。

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中郭と東郭の間には幅14m、深さ7mの空堀がありましたが、この2つの郭は土橋で繋がれていたようです。

土橋があったら、簡単に攻め込むことができてしまい、防御の上では不利のように思われます。

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しかし、この土橋は中郭よりも2m低い位置で、東郭からは4mも低い位置でしたから、東郭に向けては何かに掴まらなければ登れないほどの旧斜面だったといいます。

そして、この茅ヶ崎城では一番高い標高35mのところに東郭があります。

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この東郭が主郭と考えられており、南北幅50m、東西幅20mもの広さがあります。

建物の跡などは見つかっていません。

ここからは遠くが見渡せ、かつては鎌倉道「中の道」が近くを通っている交通の要衝でしたから、軍事上も有利だったことでしょう。

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東に中原街道、西に大山道も通っていますし、すぐ近くの早渕川沿いの道は神奈川湊と武蔵国府を結ぶるルートでした。

現在は、左の方に横浜市営地下鉄センター北駅前の商業施設の賑わいも見ることができます。

また、家の屋根が低いところに見えますが、少し向こう側はさらに低い土地となっているようで、かなり下に屋根が見えます。

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東郭から出て南側を戻り下っていくと、東郭虎口があったと思われるところがあります。

ちょうど先程の、中郭と東郭間の土橋のあった空堀につながるような位置になります。

この南側斜面の下には、根小屋という城下町のようなものがあったようです。

中世の城では城主や重臣たちは、主郭や本丸には住んでおらず、麓の根小屋に居住していて、戦になると城に籠って戦っていたそうです。

4つの郭以外にもいろいろあるようなので、さらに見てみます。

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2017年2月26日 (日)

茅ヶ崎城址は横浜市都筑区にあり中世城郭の空堀や土塁が良好な状態で見られる

茅ヶ崎城と言われれば、普通の人なら茅ヶ崎市にあると思いますが、しかし、なぜか横浜市都筑区にあったという城です。

ここにも茅ヶ崎という地名なので、この名がついています。

さらに、そもそも横浜市に都筑区なんてあったかなとも思いましたが、1994年(平成6年)に発足した比較的新しい区だそうです。

港北ニュータウンのある辺りといえば、場所のイメージがわかる方も多いことでしょうか、港北区の一部だったはずです。

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横浜市営地下鉄のセンター南駅から歩車分離された自転車歩行者道を300~400mほど歩くと、小高い丘のようになっています。

↑ここが茅ヶ崎城址公園として中世城郭がとても良好な状態で保存されている所です。

南側の方から入口を探しましたが見当たらないので、西側に沿って行くと北に入口はあるようです

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↑さすが、中世の山城らしく、入口からすぐに急な階段です。

もう一カ所がメインともいえる入り口で、そちらはもう少し先にありスロープとなっていました。

そちらから少し上ると、広い空間が広がっていますが、そこは北郭です。

「くるわ」はこのように郭と書いたり、曲輪だったりしますが、ここでは郭のようです。

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ここには案内板があり、それによると、

茅ヶ崎城址は、空堀、郭、土塁などが良好な状態で残る貴重な中世城郭遺跡で、早渕川を北に望む自然の丘を利用して築城されているとあります。

14世紀末〜15世紀前半に築城されたと推定され、15世紀後半に最も大きな構えとなり、16世紀中頃にはニ重土塁とその間に空堀が設けられましたとあります。

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築城には、それぞれの時期に相模・南武蔵を支配した上杉氏(室町時代)や後北条氏(戦国時代)が関与していたと推定されています。

北郭、中郭、西郭、東郭があるようですが、北郭は比較的低い位置になります。

次に、空堀だったところの通路を通り、西郭に向かいます。

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↑折れ曲がった辺りに北側の城の入り口である虎口(小口)があったのではないかと推定されているようです。

虎口のところは狭い通路となっており、上から城の防御のための攻撃をしやすいようになっていました。

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この先を右に曲がると、西郭になります。

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2016年10月 2日 (日)

いつのまにかロマンスカーは止まるし、ららぽーと海老名も開業もして大きくまちが変貌している海老名

海老名というと、東名高速の海老名サービスエリアがパッと頭に浮かぶほど有名ですが、鉄道の海老名駅の方はイメージが浮かびづらい感じでした。

特に、JR相模線の海老名駅の周囲には何にもないという印象でした。

相模線には昔から海老名駅があったのではなく、国鉄分割民営化直前の昭和62年(1987年)3月に海老名駅が開業したのです。

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↑その何もなかったはずの駅前に、大きな「ららぽーと海老名」ができており、びっくりしました。

この辺り16haは、元は開発することができない市街化調整区域でしたが、平成24年12月に市街化区域に編入され、鉄道用地を除く14.1haの区域を対象に、海老名駅西口土地区画整理組合が行われてきました。

そのうち約3haが大型商業施設として、平成27年10月にららぽーと海老名として開業しました。

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このJR相模線の海老名駅と小田急線・相模鉄道の海老名駅とは200mほど離れています。

幅4mの屋根なしの通路はありましたが、これが同じく平成27年10月に新しい「海老名駅東西自由通路」が完成しています。↑

幅も12mと広くなり屋根も付けられましたし、一部、動く歩道もありました。

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この自由通路の周囲はJR相模線と小田急線に囲まれた広いエリアですが、ここでも再開発が予定されています。

3.5haの敷地で小田急電鉄の所有地のようで、同社による再開発が平成27年8月に発表されています。

住宅エリアと賑わい創出エリアにわけて計画されています。

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↑JRから小田急線に向かって左側(北東側)には商業施設とオフィスが計画されています。

この下の写真の風景を見ていたら、なんか10年ほど前の記憶が頭の片隅によみがえってきます。

↓右側(南西側)にはサービス施設と高層分譲マンションが計画されています。

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茅ヶ崎海岸から車で帰るため、当時は圏央道も開通していないので、県道46号線相模原茅ヶ崎線(産業道路)を北上して、この辺りを通りました。

すると、道が急に狭くなり、何もない田んぼの真ん中で踏切を渡った記憶が残っています。

あれがこの海老名だったのでしょうか。

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2016年9月25日 (日)

厚木駅のある位置や相模鉄道との乗り換えなどのモヤモヤしていた位置関係を整理する

厚木駅と本厚木駅という駅がありますが、こうした名が付くのは一般的には、別の鉄道会社の離れた場所にある二つの駅だったり、元の中心市街地と現在の中心市街地が異なっていた場合の駅名などでしょう。

しかし、小田急線に両方の駅があるし、そもそも、相模川をはさんで対岸にこの駅は立地しているはずです。

地元の人に住む人にとっては、当然わかりきっていることなのでしょうが、離れて住む私にはモヤモヤっとしたイメージなので、確認しに行って来ました。

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厚木駅は小田急線とJR相模線の乗り換えもできる駅だというのに、小田急線では本厚木駅とは違い、特急も快速急行も急行も通過してしまいます。

↑左にJRと小田急共通の改札口があり、JRが地上、高架で小田急線のホームがあり乗り換えには便利な近さです。

でも、駅前に大きな建物はなく、小田急線の向こう側(南側)をホームから見てみても、あまり厚木の新旧いずれかの中心市街地という感じではないようです。

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県道43号線が通っているものの、駅前広場もないようですから、やはり本厚木駅の方が「本」厚木ということなのでしょうか。

調べてみれば、驚いたことにここは海老名市で、よくあるように市境がすぐ近くというわけでもなく、相模川の東が海老名市、西が厚木市となっていますから、どう見ても厚木とは思えないところにあります。

しかし、ようやくこの厚木駅の南側でも、厚木駅南地区市街地再開発事業が始まろうとしており、平成26年10月に再開発準備組合が発足したと、海老名市HPに載っていました。

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最初からこの駅名なのか調べてみると、1926年(大正15年)当時からここは海老名村だというのに、あえて「厚木駅」と名付けられたようです。

理由としては、神中鐡道(後に相模鉄道に合併される)が、この年5月に二俣川駅と厚木駅間で開通したのですが、相模川の対岸(西側)の厚木まで鉄道を敷設しようとしたが資金が足りなかったから、東側のここを厚木駅としたという説や、ここ海老名村は当時は無名だったから厚木町の方が名も知られているで、厚木駅にしたとかという説があるようです。

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↑昭和19年には国鉄に買収され、昭和62年からJRとなっていますが、この厚木駅は単線ながら両側にはホームがあり、今は左側だけが使われており、右側は使用されていません。

右ホームの奥には(現在の)相模鉄道の電車がみえていますが、その最初に「厚木」という名の駅を作った当時の神中鐡道(現在の相模鉄道)には「厚木駅」がありません。

私がもう一つモヤモヤしていたのは、JR相模線の車窓からこうした相模鉄道の電車が止まっているのが見えるのに、乗り換えはできないことでした。

相模鉄道の終点は一つ手前の海老名駅ということになっているので、ここはどうなっているのかということです。

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2016年8月21日 (日)

神奈川県の東海道新幹線新駅が本当にできるかもしれない寒川町倉見

JR相模線に倉見という駅が寒川町にあります。

倉見も寒川もどこか分からないという人もいると思いますが、茅ヶ崎と海老名の中間で、東海道新幹線が相模川を鉄橋で渡るところです。

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↑ここでは東海道新幹線新駅を設置しようとしているようで、倉見駅には横断幕があります。

どんなところなのか、駅ができるのはどこなのか、降りて見に行ってみることとしました。

相模線のホームから新幹線がすごいスピードと音で通過していくのが見えます。

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相模線は茅ヶ崎駅から相模川に沿って北に向かい、橋本駅まで通っている路線で、圏央道ともほぼ並行しています。

駅のすぐ西側は相模川で、その間に圏央道が通っていますから、最初の写真の道路は圏央道です。

ホームから茅ヶ崎側を見ると、新幹線が通り、さらにその上を圏央道が高架で跨いでいます。

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相模線は電化こそされているものの、電車は日中1時間に3本ほどしか走っていない、いわばローカル線です。

電車の乗り降りも自動ではなく、自分でドアを開けなければ、ホームに下りられません。

倉見駅はのんびりしたいい雰囲気の駅で、駅前の道幅も狭く、自転車置き場が目立ちます。

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でも、こんなところに東海道新幹線が止まるのでしょうか。

倉見駅の西側にはJX金属の工場がありますし、新駅予定地の東側にはキリンビバレッジの工場もあります。

線路に並行して200mほど東側には神奈川県道46号相模原茅ヶ崎線が通っており、ここには大型トラックなどが数多く走っています。

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600mほど南には圏央道の寒川北インターチェンジもありますから、昼の人通りは少ないものの産業の拠点とはなっているようです。

構想では、このさらに東に新幹線新駅を設置し、その両側には交通広場(駅前広場)が計画されています。

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↑東京寄りから見た、新駅北口駅前広場方面の現在の様子です。

いい意味で田舎の雰囲気です。

ここに新幹線の駅?という感じもしましたが、さすがは関係者の方々もいろいろ考えていて、構想があるようです。

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2016年7月17日 (日)

関東地方が水不足というので相模ダムの水量を見に行ったが筋違いだった

関東地方の水不足は深刻な状況にあるといいます。

大規模なダムというと大抵は山奥の交通不便なところにあるものですが、電車で気軽に行けるところに相模ダムがあります。

JR中央線相模湖駅から歩いてすぐです。

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高尾駅までは電車の本数も多いのですが、一駅先の相模湖駅まで行く電車は一気に少なくなります。

↑観光地の雰囲気ですが、雨交じりの蒸し暑い日で、人影はまばらです。

しかし、水量は十分にあるように見受けられます。

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↑山に雲がかかる景色は幻想的なものです。

対岸に渡り津久井湖方面に向かう県道の相模湖大橋から200mほど下流側に、相模ダムがあります。

相模ダムによって相模湖ができたということになります。

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相模川は富士五湖の一つである山中湖を源泉とし、山梨県から神奈川県にかけて109kmに渡って流れる神奈川県最大の1級河川で、相模ダムの歴史は古く、1938年(昭和13年)に計画されたものです。

戦中、戦後を乗り越えて、完成は1947年(昭和22年)だったといいます。

東京都八王子市から高尾山のある小仏トンネルを越えると、山梨県かと思いますが、ここは旧相模湖町、現在は相模原市緑区で神奈川県です。

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堤高58.4m、堤頂長196mの重力式コンクリートダムで、貯水量は6320万立方メートルです。

我が国最初の河川の総合開発事業で、また神奈川県が全国に先駆けて行った広域的な水源開発事業として、京浜工業地帯の発展や人口増加による水供給増に対応してきました。

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↑天端は自動車は通れませんが、歩いてなら通行することが可能となっています。

古いダムなので観光用には造られていませんから、宮ヶ瀬ダムのようなインクラインやエレベーターはありません。

下を覗き込むと、やはり怖いです。

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貯水量は豊富でしたが放流はしておらず、チョロチョロと水が流れ出ているだけでした。

このダムは発電にも利用されており、相模発電所があり31000kwの発電能力があります。

また、下流で河川として必要な水量や水道用水に必要な水量を確保する役割も果たしています。

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さらに、見てまわりましょう。

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2016年1月17日 (日)

揚水式発電はエネルギーの無駄遣いなのかと城山湖の325mからの眺め

津久井湖記念館で、近くにある本沢ダムも事務所に行けばダムカードを配布していると聞いたので、簡単な地図をもらって、津久井湖から3kmほどの距離にある城山湖を車で目指します。

交差点を一か所間違えなければいいという簡単なルートです。

行ってみるとかなりの急坂で、自転車で来なくて良かった、なんて思ってしまいました。

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↑途中の景色を見ても、結構高いところまで来ており、橋本の市街地が見渡せます。

この道は曲がりくねった坂道で、走り屋さんが好きそうな道なので、バイク(自転車じゃなくてオートバイ)は通行禁止です。

城山湖コミュニティ広場の駐車場まで来ましたが、ダムカードを配布していそうな事務所が見当たりません。

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発電所の入口とその横に17時には閉まるというゲートがあるのですが、入っていいのか迷います。

そのゲートから入っていっても他に建物は見当たらないので、「事務所」と言っていたのは、この城山発電所にある発電総合制御所のようです。

少し戻り、発電所の敷地内に入り、その建物の2階に行くと、確かに本沢ダムのダムカードをもらえました。

11月からダムカードを集め始めて、これで5枚目です。

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ここから下の方を見てみると、はるか遠方に津久井湖が見えます。

後から知ったのですが、標高280mの城山湖と標高127mの津久井湖は、上池と下池の関係になっており、この城山発電所は1.5kmの水路で結ばれた揚水式発電所となっています。

ここにある本沢ダムと城山ダムも、ともに昭和40年に造られたもので、2つの湖とも人造湖です。

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揚水式発電とは、水を上から下に流して発電するのは普通の水力発電所と同じですが、夜間に下池から上池に水を汲み上げ、それをまた上から下に流して発電する方式です。

これを聞くと、単なるエネルギーの無駄遣いをしているような気がします。

でも、電気は蓄えておくことができないから、夏の昼間のピーク時に合わせた発電設備が必要だといいます。

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このピークに合わせて、上池から下池に水を流し発電し、夜間の電力需要が少ない時に水を戻しているとのことです。

同じ電力量を創出と消費しているわけではなく、汲み上げるのに使われる消費電力は4割程度とのことです。

つまり、この二つのダムがセットとなり、蓄電池となっているということです。

電気は蓄えておくことができないということですから、これは壮大な無駄遣いではないようです。

そして、この本沢ダムの展望台は標高325mもあり、とてもいい景色が見られます。

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2016年1月11日 (月)

相模川の津久井湖にある城山ダムで放流を見られたけど、城山湖というのもあるの?

神奈川県を流れている相模川には、旧城山町(現在の相模原市の一部)に城山ダムがあります。

まち歩きや自転車めぐりではなく申し訳ないですが、この日も車でのドライブです。

ダムといえば人里離れた山奥のイメージですが、この城山ダムは橋本駅からも6kmほどしか離れてなく、ダムの天端には交通量も多い国道413号線が通っています。

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昭和40年(1965年)に完成した堤高75m、堤頂長260mの重力式コンクリートダムで、洪水対策としての治水のほか、水道や発電に利水利用されています。

このダムは神奈川県企業庁により管理されています。

↑この湖は津久井湖といいます。

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津久井湖畔の東側は、水の苑池として整備されており、神奈川県企業庁の相模川水系管理事務所(城山ダム管理事務所)や津久井記念館もあり、この2カ所ではダムカードの配布も行われています。

ダムは、内側というか湖側から見るとあまり全体像もわからないため、外側を見たいものです。

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津久井湖の南側は花の苑池として整備され、津久井湖観光センターがあり地元の特産物などを販売しています。

この辺りは県立津久井湖城山公園となっており、このダムのすぐ横にある山が、城山ダムや旧城山町の地名にもなっている城山ということになります。

城跡もあるようなので、今度じっくり見に来たいところです。

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城山はかつて津久井城と呼ばれる山城で、戦国時代には小田原北条氏につかえた内藤氏が城主でした。

天正15年(1590年)、豊臣秀吉による小田原攻めに伴い落城し、江戸時代初期には廃城となっています。

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花の苑地も当然ながら津久井湖に面しており、こちらからも城山ダムが見られます。

ゲートは6門ありますが、4門あるクレストラジアルゲートは高さ16.7mと造られた当時は国内最大、2門のオリフィスクレストゲートも国内2位でした。

これらゲートは、戦艦大和を建造した造船所で技術的問題を克服して製造され、呉港から横浜港の海上輸送を経て設置されたそうです。

ここでは水の放流をしているようなので、見に行ってみます。

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