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55神奈川県

2018年10月 7日 (日)

町田市川崎市境の尾根道を歩いてみて南北の景色を眺めるとマイコンシティというのがある

前回見てきた鶴川街道の都県境にある真光寺公園の北西端から木々の鬱蒼とした尾根道を歩いてみました。

この尾根道が東京都町田市と神奈川県川崎市の境界となっています。

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↑右方つまり鶴川街道とは反対に北東に向けて歩き始めると、すぐに尾根は東へそして南東へと向きが変わります。

また、左側の斜面は緩やかで木々ではなく畑が広がり、明るくなりました。

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↑この辺りでは北東に向けて遠くを見渡すことができます。

手前に小田急多摩線の黒川駅周辺の高架が、その先には京王相模原線の高架が見えます。

若葉台周辺の高層マンションも見ることができます。

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↑すぐにまた木々の中に入っていきます。

耳元で聞き慣れない超低音の羽音が聞こえました。

おそらくかなり大きな虫と想像されますので、スズメバチではないかと急いで歩きます。

やがて南に向けて真っ直ぐ進む道と、左方つまり東に向かう道に分かれますので、東に進みました。

戻ってから地図を見て確認してわかったのですが、南に向かう道は真光寺公園に沿っていたようです。

Yahoo!マップの地形図で見ると、どちらも尾根道のようです。

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↑東ルートでは、やがて今度は右に向けて視界が広がります。

建物の壁にはCanonと書かれていました。

そして下り階段がありました。

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↑振り返ってみると、黒川宮添特別緑地保全地区という表示板がありました。

こうして緑が残されているのは素晴らしいことです。

これで終わりかとも思いましたが、この先にも道は繋がっていました。

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2018年9月30日 (日)

池が印象的な真光寺公園と鶴川街道の都県境のごく軽い峠越えのある所

鶴川街道を西に向けて走って行くと、京王相模原線若葉台駅近くで東京都稲城市から神奈川県川崎市に入ります。

でも、標識を見なければ気づかないような、境界らしい川も山も道も何もないところです。

2km足らずで再び神奈川県から東京都に入りますが、ここはごく軽い峠越えをした気分を少しだけ感じるようなクネクネした道路となっています。

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↑それを越えたすぐ先の左側に真光寺公園があります。

バスの終点停留所名にもなっていますし、狭いながらも駐車場もあります。

この公園の東端には池があります。

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石神井公園や井の頭公園などの池を中心とした公園は数多くありますが、ここは違うようです。

ボート乗り場もありませんし、天気のせいもあるかもしれませんが、山奥の池か湖のような風景です。

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↑ただし、少し日が差すと水の色も変わり、雰囲気が全く違って見えます。

公園は、入口のある南側から北側に向けて登り斜面となっています。

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芝生の広がり、奥に向けて丘の登り斜面のある、のどかないいところです。

東側から池に沿って登っていこうとすると、池は奥まで続いておらず大きくはないようです。

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↑その奥にはトイレの他、ちょっと広い空間もあり、ここには机と椅子もありますから、のんびり弁当でも食べるのもいいでしょう。

奥には低い山があり、囲まれ感もあります。

先程の芝生の登り斜面の横の階段で上に登って行きます。

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2017年8月 6日 (日)

相模原沈殿池の水は横浜水道みちを流れてきたのではなく、相模原浄水場も関係なかった

前回見てまわった、相模原市を横断している「横浜水道みち緑道」は、明治時代に日本初の近代水道として引かれたところでした。

県立相模原公園のすぐ近くの、この水道道の近くには貯水池のようなところがあり、「相模原沈殿池」と名付けられています。

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ダム便覧にも記載されており、堤高19.5m、堤頂長255mもある立派なダムといえます。

相模原公園の北側に位置し、アースダムの美しい芝生が広がります。

北東方面を見ています。

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取水口らしきものがあります。

北西方向を見てみると、横幅の2倍程度の奥行きがあるように見えます。

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この水は横浜水道みちを流れて来た水を一旦ここに貯め、水道水としてりようするため沈殿させる施設なんだろうと思っていました。

しかし、この沈殿池ができたのは1954年(昭和29年)ですので、1887年(明治20年)にできた横浜水道よりもこちらの方がずっと新しいものとなります。

ちょっとネットで調べながら、全体の様子を見に一周歩いてみました。

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↑半時計回りに半周、北東の端まで来てみると、北西の端に水道施設らしきものがあるようです。

↓沈殿池の北側は住宅もある普通の道路となっていました。

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調べてみると、この水は津久井湖手前の沼本ダムからの取水され、地下の水道管を通って流れて来たものを貯めているようです。

津久井分水池、下九沢分水池を経由して来ており、横浜水道みちとは全く別ルートということです。

横浜市水道局公式サイトにあった「水源系統図」を見ると、津久井湖から川井浄水場まで2本のラインが引かれています。

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2017年7月30日 (日)

県立相模原公園を通り相模原市全体を斜めに横切っている水道みちは横浜まで続いている

相模原市の地図を見ていると、中央区と南区を大きく斜めに北西から南東方向に向かってほぼ真っ直ぐに進む道があります。

こうした形状は多摩湖自転車道などでも見かける、水道を通すための用地なのかと思われます。

自転車で走ってみて確認したいものですが、30℃以上と暑い日に車で県立相模原公園まで行きましたから、この水道みちを下見を兼ねて徒歩でちょっと見て来ました。

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↑南北が逆の公園内の案内地図ですが、右下から上に向けてさらに公園上部を左に向けて「水道みち緑道」が通っており、それが地図上部中央辺りにも記載されています。

その公園を南東に出た先は女子美術大学の敷地になりますが、その中もこの水道みち緑道が突き抜けており↓、さらにその先の市立相模原麻溝公園も突き抜けていきます。

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確かに「水道みち緑道」との標識がありますし、歩行者専用通路とも書かれています。

歩行者専用ということは自転車は通れないということなのでしょうか。

県立相模原公園内の方に戻って、北西側に向かってみます。

木々の間の道となり、「夜間この園路の利用は危険なので通行をご遠慮下さい」と書かれてあります。

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そう言われると昼でもちょっと緊張しますが。確かに薄暗いところではあります。

上流である北西方向に進んで行きますが、振り返って見ると、相模川の河岸段丘のためか結構な下り坂となっています。↓

ということは、相模川からの水がここに流れているのだとしたら、水にとっては辛い登り坂です。

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この先は県道52号相模原町田線を横断しますが、自動車通行量が多い道で、少し迂回して横断歩道を渡ります。

この道の西側も相模原公園なのですが、こちらは「水と緑と人のふれあい空間づくり」をテーマに造られた「せせらぎの園地区」となっています。

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すぐ横を流れる道保川に沿うような位置にあり、いくつかの池などが整備されています。

さらに、この公園に沿うように水道みちも続いていきます。

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2017年3月19日 (日)

デパート屋上に観覧車がビルトインされている不思議な名前のセンター北駅と古墳へと発展しそうな方形周溝墓のある歳勝土

子供の頃は、デパートに行く楽しみの一つに屋上の遊園地がありました。

観覧車などの遊具が数多くありましたが、今ではすっかり珍しい存在となってしまいました。

それが、「モザイクモール港北」という、センター北駅前の「都筑阪急」の屋上にはあります。

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屋上にある観覧車というと、もう少し小さいイメージですが、ここにあるものは直径45mもあります。

首都圏では初めての、そして現在でも唯一であるビルトインタイプの観覧車で、高さは地上67mなります。

後から屋上に設置したのではなく、ビル建設当時から建物の構造の一部として設計されて、建物の構造に組み込まれているようです。

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確かに後からこの大きさのものを設置したら、不安定でしょう。

ところで、この「センター北駅」という名称にはちょっと違和感を感じます。

大抵は「〇〇センター北」とかいう名前にして、どこにあるのか、何の施設のセンターなのか、わかるようになっているように思います。

横浜市営地下鉄の駅ですから、市民は当然、港北ニュータウンの中心市街地であるセンターだとわかるに決まっているということでしょうか。

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ここは地形的にも特殊のようで、あざみ野駅から来た地下鉄ブルーラインも、日吉駅から来た地下鉄グリーンラインも、このセンター北駅で地下から地上に出て来て、センター南駅で再び地下に潜り、それぞれ中山駅方面と横浜駅、湘南台駅方面へと向かいます。

↑センター北駅から南駅を向いていますが、右がブルーラインは横のサードレールから電気を取り入れており、左のグリーンラインは上の架空電線からパンタグラフで電気を取り入れているので景色が違います。

この辺りは、早渕川を挟んで谷となっていますから、このセンター北駅とセンター南駅間は地上でしかも高架上を走っているのです。

センター北駅の辺りの標高は31m、センター南駅の辺りも標高は31mです。

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早渕川のところでは標高は13mと低くなっています。

↑前回から見てまわっている大塚歳勝土遺跡公園は高台にあることがわかりますが、茅ヶ崎城址公園とは早渕川を挟んで反対側となります。

北と南にこうした地形となっていますから、この早渕川はかつては水量の多い急流の川だったことでしょう。

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港北ニュータウンの開発で地形も大きく改変されていますから、以前の様子はわかりません。

↑しかし、遺跡は大塚・歳勝土遺跡公園は標高50mほどの高さがありますが、公園として保全され、そこには地形模型があります。

前回見た大塚遺跡の弥生時代の住居跡でしたが、歳勝土遺跡は墓地があったところです。

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2017年3月12日 (日)

弥生時代に既に空堀や土塁があった大塚歳勝土遺跡、当時は都筑まもる君がいなかった

今から2000年ほど前の、この地方で稲作を始めた人々の暮らしていた、弥生時代中期のムラとその墓地が一体的のわかる貴重な遺跡も横浜市都筑区にあります。

大塚・歳勝土遺跡として国指定史跡となっています。

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弥生時代の住居跡に竪穴住居が復元されています。

大塚遺跡は外周600mに及ぶ大きな溝を廻らせた大規模なムラ全体が発掘され、85軒もの竪穴住居跡と25棟の高床倉庫があったようです。

↑これは中型住居で標準的な大きさです。

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↑大規模な住居もあり、ムラ長の住居だったようで集会所としても使われていたといいます。

いずれも中に入れるようになっており、結構しっかりした作りになっていることから当時の技術水準に驚かされます。

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↓竪穴住居の発掘跡が保存されています。

2回の建て替えが行われたことがわかり、壁の一方には通路があったこともわかったそうです。

こうした発掘とその検証の技術の高さにも驚かされます。

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ところで、竪穴式住居とか高床式倉庫とか、歴史の授業では「式」が入って教えられた気がしますが、案内板には「式」無しで表示されています。

現在の山川日本史の教科書を見てみると、確かに竪穴住居、高床倉庫と記載されていました。

その高床倉庫も復元されています。

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柱にはネズミ返しという侵入を防ぐためのものも既に設置されていたといいますから、予想以上に発達した社会です。

このムラの周りには溝があったといい、さらには柵も廻らされていたと言います。

幅4m深さ2mもあったといい、復元されていますが、弥生時代から何のためにあったのでしょうか。

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2017年3月 5日 (日)

早渕川からの崖の上にあって高低差を実感できる茅ヶ崎城の郭や土橋

前回に続き、横浜市都筑区にある中世城郭の様子がよく保存されている茅ヶ崎城址公園を見て回ります。

横浜市指定史跡となっています。

ここは案内板がとても丁寧で、郭についても説明されています。

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最初に見た地図とは上下が逆で、北が上になっています。

北郭、西郭、中郭と見てきましたが、その中郭の南側から次に東郭に向かうと、まず一旦下り、その先は急な上りとなっています。

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中郭と東郭の間には幅14m、深さ7mの空堀がありましたが、この2つの郭は土橋で繋がれていたようです。

土橋があったら、簡単に攻め込むことができてしまい、防御の上では不利のように思われます。

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しかし、この土橋は中郭よりも2m低い位置で、東郭からは4mも低い位置でしたから、東郭に向けては何かに掴まらなければ登れないほどの旧斜面だったといいます。

そして、この茅ヶ崎城では一番高い標高35mのところに東郭があります。

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この東郭が主郭と考えられており、南北幅50m、東西幅20mもの広さがあります。

建物の跡などは見つかっていません。

ここからは遠くが見渡せ、かつては鎌倉道「中の道」が近くを通っている交通の要衝でしたから、軍事上も有利だったことでしょう。

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東に中原街道、西に大山道も通っていますし、すぐ近くの早渕川沿いの道は神奈川湊と武蔵国府を結ぶるルートでした。

現在は、左の方に横浜市営地下鉄センター北駅前の商業施設の賑わいも見ることができます。

また、家の屋根が低いところに見えますが、少し向こう側はさらに低い土地となっているようで、かなり下に屋根が見えます。

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東郭から出て南側を戻り下っていくと、東郭虎口があったと思われるところがあります。

ちょうど先程の、中郭と東郭間の土橋のあった空堀につながるような位置になります。

この南側斜面の下には、根小屋という城下町のようなものがあったようです。

中世の城では城主や重臣たちは、主郭や本丸には住んでおらず、麓の根小屋に居住していて、戦になると城に籠って戦っていたそうです。

4つの郭以外にもいろいろあるようなので、さらに見てみます。

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2017年2月26日 (日)

茅ヶ崎城址は横浜市都筑区にあり中世城郭の空堀や土塁が良好な状態で見られる

茅ヶ崎城と言われれば、普通の人なら茅ヶ崎市にあると思いますが、しかし、なぜか横浜市都筑区にあったという城です。

ここにも茅ヶ崎という地名なので、この名がついています。

さらに、そもそも横浜市に都筑区なんてあったかなとも思いましたが、1994年(平成6年)に発足した比較的新しい区だそうです。

港北ニュータウンのある辺りといえば、場所のイメージがわかる方も多いことでしょうか、港北区の一部だったはずです。

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横浜市営地下鉄のセンター南駅から歩車分離された自転車歩行者道を300~400mほど歩くと、小高い丘のようになっています。

↑ここが茅ヶ崎城址公園として中世城郭がとても良好な状態で保存されている所です。

南側の方から入口を探しましたが見当たらないので、西側に沿って行くと北に入口はあるようです

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↑さすが、中世の山城らしく、入口からすぐに急な階段です。

もう一カ所がメインともいえる入り口で、そちらはもう少し先にありスロープとなっていました。

そちらから少し上ると、広い空間が広がっていますが、そこは北郭です。

「くるわ」はこのように郭と書いたり、曲輪だったりしますが、ここでは郭のようです。

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ここには案内板があり、それによると、

茅ヶ崎城址は、空堀、郭、土塁などが良好な状態で残る貴重な中世城郭遺跡で、早渕川を北に望む自然の丘を利用して築城されているとあります。

14世紀末〜15世紀前半に築城されたと推定され、15世紀後半に最も大きな構えとなり、16世紀中頃にはニ重土塁とその間に空堀が設けられましたとあります。

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築城には、それぞれの時期に相模・南武蔵を支配した上杉氏(室町時代)や後北条氏(戦国時代)が関与していたと推定されています。

北郭、中郭、西郭、東郭があるようですが、北郭は比較的低い位置になります。

次に、空堀だったところの通路を通り、西郭に向かいます。

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↑折れ曲がった辺りに北側の城の入り口である虎口(小口)があったのではないかと推定されているようです。

虎口のところは狭い通路となっており、上から城の防御のための攻撃をしやすいようになっていました。

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この先を右に曲がると、西郭になります。

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2016年10月 2日 (日)

いつのまにかロマンスカーは止まるし、ららぽーと海老名も開業もして大きくまちが変貌している海老名

海老名というと、東名高速の海老名サービスエリアがパッと頭に浮かぶほど有名ですが、鉄道の海老名駅の方はイメージが浮かびづらい感じでした。

特に、JR相模線の海老名駅の周囲には何にもないという印象でした。

相模線には昔から海老名駅があったのではなく、国鉄分割民営化直前の昭和62年(1987年)3月に海老名駅が開業したのです。

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↑その何もなかったはずの駅前に、大きな「ららぽーと海老名」ができており、びっくりしました。

この辺り16haは、元は開発することができない市街化調整区域でしたが、平成24年12月に市街化区域に編入され、鉄道用地を除く14.1haの区域を対象に、海老名駅西口土地区画整理組合が行われてきました。

そのうち約3haが大型商業施設として、平成27年10月にららぽーと海老名として開業しました。

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このJR相模線の海老名駅と小田急線・相模鉄道の海老名駅とは200mほど離れています。

幅4mの屋根なしの通路はありましたが、これが同じく平成27年10月に新しい「海老名駅東西自由通路」が完成しています。↑

幅も12mと広くなり屋根も付けられましたし、一部、動く歩道もありました。

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この自由通路の周囲はJR相模線と小田急線に囲まれた広いエリアですが、ここでも再開発が予定されています。

3.5haの敷地で小田急電鉄の所有地のようで、同社による再開発が平成27年8月に発表されています。

住宅エリアと賑わい創出エリアにわけて計画されています。

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↑JRから小田急線に向かって左側(北東側)には商業施設とオフィスが計画されています。

この下の写真の風景を見ていたら、なんか10年ほど前の記憶が頭の片隅によみがえってきます。

↓右側(南西側)にはサービス施設と高層分譲マンションが計画されています。

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茅ヶ崎海岸から車で帰るため、当時は圏央道も開通していないので、県道46号線相模原茅ヶ崎線(産業道路)を北上して、この辺りを通りました。

すると、道が急に狭くなり、何もない田んぼの真ん中で踏切を渡った記憶が残っています。

あれがこの海老名だったのでしょうか。

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2016年9月25日 (日)

厚木駅のある位置や相模鉄道との乗り換えなどのモヤモヤしていた位置関係を整理する

厚木駅と本厚木駅という駅がありますが、こうした名が付くのは一般的には、別の鉄道会社の離れた場所にある二つの駅だったり、元の中心市街地と現在の中心市街地が異なっていた場合の駅名などでしょう。

しかし、小田急線に両方の駅があるし、そもそも、相模川をはさんで対岸にこの駅は立地しているはずです。

地元の人に住む人にとっては、当然わかりきっていることなのでしょうが、離れて住む私にはモヤモヤっとしたイメージなので、確認しに行って来ました。

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厚木駅は小田急線とJR相模線の乗り換えもできる駅だというのに、小田急線では本厚木駅とは違い、特急も快速急行も急行も通過してしまいます。

↑左にJRと小田急共通の改札口があり、JRが地上、高架で小田急線のホームがあり乗り換えには便利な近さです。

でも、駅前に大きな建物はなく、小田急線の向こう側(南側)をホームから見てみても、あまり厚木の新旧いずれかの中心市街地という感じではないようです。

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県道43号線が通っているものの、駅前広場もないようですから、やはり本厚木駅の方が「本」厚木ということなのでしょうか。

調べてみれば、驚いたことにここは海老名市で、よくあるように市境がすぐ近くというわけでもなく、相模川の東が海老名市、西が厚木市となっていますから、どう見ても厚木とは思えないところにあります。

しかし、ようやくこの厚木駅の南側でも、厚木駅南地区市街地再開発事業が始まろうとしており、平成26年10月に再開発準備組合が発足したと、海老名市HPに載っていました。

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最初からこの駅名なのか調べてみると、1926年(大正15年)当時からここは海老名村だというのに、あえて「厚木駅」と名付けられたようです。

理由としては、神中鐡道(後に相模鉄道に合併される)が、この年5月に二俣川駅と厚木駅間で開通したのですが、相模川の対岸(西側)の厚木まで鉄道を敷設しようとしたが資金が足りなかったから、東側のここを厚木駅としたという説や、ここ海老名村は当時は無名だったから厚木町の方が名も知られているで、厚木駅にしたとかという説があるようです。

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↑昭和19年には国鉄に買収され、昭和62年からJRとなっていますが、この厚木駅は単線ながら両側にはホームがあり、今は左側だけが使われており、右側は使用されていません。

右ホームの奥には(現在の)相模鉄道の電車がみえていますが、その最初に「厚木」という名の駅を作った当時の神中鐡道(現在の相模鉄道)には「厚木駅」がありません。

私がもう一つモヤモヤしていたのは、JR相模線の車窓からこうした相模鉄道の電車が止まっているのが見えるのに、乗り換えはできないことでした。

相模鉄道の終点は一つ手前の海老名駅ということになっているので、ここはどうなっているのかということです。

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