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55神奈川県

2024年3月17日 (日)

ネーミングライツのアクアリウムさがみはらと高台にある山門の立派な宗祐寺

2回に渡って見てきた水郷田名ですが、かつては観光地として栄えたというものの、今では残念ながらそうした雰囲気はあまりありません。

ある程度人が集まりそうなところと言えば、「アクアリウムさがみはら」でしょうか。

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相模原ふれあい科学館として昭和62年(1987)にオープンしたといいます。

昭和時代だし、国鉄が分割民営化されJR各社となった年ですから、若い人から見たらここも歴史的なところです。

科学館というだけあって、敷地内にはアルキメデスのポンプなんていうものもあります。

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平成26年(2014)リニューアルオープンするに当たり、水族館をアピールするため「アクアリウムさがみはら」という愛称も付けたということです。

ホームページによると、ネーミングライツの契約期間が令和6年3月31日までとなっていますから間もなく切れます。

どうなるのでしょう。(株)江ノ島マリンコーポレーションとのネーミングライツ契約のようですが、令和11年3月までの指定管理者に決まったということですから、名称も更新契約するのでしょう。

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「豊かな相模川の水を利用した水路が施設前の公園に広がり、建物も水上に浮かんでいるようなデザインだ」とも載っていました。

かながわの建築物100選のひとつに選ばれています。

↑地下水を汲み上げて流していると思いましたから、相模川の水とは知りませんでした。

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↑確かに、敷地のすぐ脇には、相模川幹線用水路(大堀)が流れていました。

烏山用水を掘り下げて堤防を築いた江成久兵衛翁像のあったところです。

図を見ても2本の用水路がこの辺りに流れているようです。

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↑その上流側で、案内図にも載っていた宗祐寺は石段の上の高台にあります。

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2024年3月10日 (日)

小田急多摩線の田名への延伸計画と田名八幡宮の微妙な時期の改称

前回見てきた相模原市の水郷田名を巡っていると「小田急多摩線を田名に延伸させよう」という立看板をいくつか見かけました。

小田急線の新百合ヶ丘から多摩ニュータウンへのアクセス路線として唐木田まで整備されている路線です。

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そんな延伸話あるのかと戻って調べてみると、相模原市ホームページにも載っていました。

「小田急多摩線について、町田市を通り、JR横浜線相模原駅、JR相模線上溝駅、更には、田名地区を経由し、愛川・厚木方面へ延伸する計画です。」とあります。

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平成28年に国の交通政策審議会答申「東京圏における今後の都市鉄道のあり方について」で、小田急多摩線の延伸が、東京圏の都市鉄道が目指すべき姿を実現する上で意義のあるプロジェクトの一つとして位置付けられましたということです。

↑ただし、その答申本文を見てみましたら、唐木田から上溝までの延伸で、記載されているのも上図です。

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なお書きで「更なる延伸を検討する場合は本区間の整備の進捗具合を踏まえつつ行うことが適当」とされています。

↑田名から相模川対岸の愛川町ホームページではこのような図も載せられ、やはり地元は盛り上がっているようです。

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↑最初の写真の水郷田名自治会館敷地の左には消防団分団、さらに左には、田名八幡宮があります。

延暦17年(798)に天地大明神を勧請したのが始まりだと社伝にあります。

田名八幡宮となったのは建久2年(1191)といいますから、何時代というか微妙です。

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私は源頼朝が征夷大将軍となった1192(いい国)から鎌倉時代と覚えましたが、今は守護地頭を配置した1185(いい箱)説が有力だといいます。

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2024年3月 3日 (日)

相模川沿いの水郷田名と小沢頭首工という名称の水郷と頭首工の意味

いつもよりちょっと遠出して、車で相模原市の水郷田名に行きました。

相模川沿いに水郷という場所があるなんて知りませんでしたし、興味もありました。

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↑(国土地理院マップより)

相模川に架かる神奈川県道54号相模原愛川線の高田橋の北側です。

川の土手に「水郷田名の歴史」という説明板がありました。

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田名地区の中でも相模川に面した久所(くぞ)を中心とした地域をいうそうで、田名地区の歴史は古く、原始、古代の時代に遡ることができるという。

江戸時代後半には、橋本から下九沢を通る大山参りのための大山街道が通っていて、ここから「渡し」で相模川対岸の小沢に行っていました。

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相模川は水上交通の流通路として筏、高瀬舟などが往来していました。

その後、もともと盛んだった鮎漁に観光的要素をもつ鵜飼も加わり、旅館などが立ち並ぶ歓楽街として繁盛し、「水郷」と呼ばれるようになったということです。

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私のイメージしていた「水郷」とはちょっと違うものようなので調べてみました。

水郷とは、河川や湖沼の多くある景勝地、河川の下流域や湖沼周辺などの低平な湿地の広い地域をいうということです。

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2022年11月27日 (日)

津久井湖に沈んだ荒川八幡宮が移転した二本松八幡宮と式内社の石栃尾神社かという諏訪明神

相模原市にある津久井湖は天然の湖ではありませんから、以前は存在しませんでした。

昭和40年(1965)に完成した城山ダムに伴いできた人造湖です。

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元々そこには当然に住んでいる人もいたので、鎮守社もあったということです。

↑当時の津久井町荒川集落からは相模原市二本松へ多くの家が移転し、そこにあった荒川八幡宮も昭和37年(1962)に移転して二本松八幡宮となりました。

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その津久井町も今では相模原市と合併して相模原市の一部となっています。

↑二本松八幡宮の手水舎は今時の自動水栓のようで、筒下の手を入れると水が出ます。

コロナ対策でこうしたものが増えてきました。

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相模原市は平成18年3月に津久井町・相模湖町と、19年3月には城山町・藤野町と合併して政令指定都市となっています。

荒川八幡宮の創建は建久2年(1191)といいますから、源頼朝が鎌倉幕府を開いた頃です。

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↑すぐ隣には御久稲荷がありますが、境内社のようで、敷地の外だから別の神社でしょう。

ここから距離としては1.5キロほど離れていますが、諏訪明神にも立ち寄ってみることとしました。

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↑こちらは神社の400メートルほど南に、一の鳥居があります。

村社諏訪明神は相模原市緑区大島にあります。

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2021年8月 1日 (日)

徳川二代将軍正室の御化粧料だった王禅寺村と柿生の由来ともなった王禅寺を守る市街化調整区域

前回、大きな鳥居のある武州柿生琴平神社の儀式殿を見ましたが、その本殿に行きます。

長い石段入口左には市街化調整区域の案内板があります

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都市計画区域内において、優先的かつ計画的に市街化を進めるのは「市街化区域」で、用途地域として第1種低層住居専用地域や近隣商業地域、準工業地域などが定められています。

その市街化を抑制しようと定められているところが「市街化調整区域」です。

結構急な石段を登り振り返ると、高さがわかると同時に、この辺りは起伏の多い地形であることが分かります。

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市街化調整区域では原則として開発行為や建築行為は出来ません。

神社の方は正面には社殿と右には手水舎があります。

この手水舎は「がまんさん」と呼ばれる四人の山伏が手水鉢を支えています。

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本殿の方は平成19年に火災があり、花鳥山水の描かれた渡辺崋山の筆という天井の63枚の板絵は焼失してしまいました。

旧王禅寺村は由緒あるところのようで、江戸時代の徳川二代将軍秀忠の婦人であるお江与の方に、嫁入りの際に与えられた領地である「御化粧領」でした。

その後も徳川家の菩提寺である芝増上寺の領地でした。

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↑再建された本殿の下部には「地下雨水流出抑制施設」との表示板がついています。

防火用水を貯めているのかとも思いましたが、大雨の時に雨水を一時貯留して少しずつ下に下に流すための施設です。

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↑本殿右側には鳥居があるので境内社かと思いましたが、そうではない金子稲荷大明神でした。

また左の階段の先は墓地になっているので、どこかの寺院の敷地かと思っていました。

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2021年7月25日 (日)

川崎市は相模国でなく武蔵国だったことを思い出させてくれる武州柿生琴平神社

小田急線の新百合ヶ丘駅は大きな駅ですが、その南側に王禅寺地区があります。

川崎市麻生区になります。

柿生大橋ができる以前は、車で東名川崎インターから多摩地区に行こうとする時には、王禅寺付近は道が分かりづらかったので生田の方から大きく迂回したものです。

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↑その王禅寺地区で、武州柿生琴平神社という看板をよく見かけますので行ってみました。

朱塗りの大きな鳥居で幅14メートル、高さ13メートルあるといいます。

夏越の大祓いの茅の輪があり、また夏詣と書かれた幟もあります。

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↑本殿かと思われた奥にある建物は「儀式殿」とされており、本殿は別にあるようです。

由緒としては、室町時代末期の元亀元年(1570)から神明社が祀られていたと伝えられています。

地元に残る古文書では、正徳元年(1711)以前には「伊勢山」と呼ばれる現境内地に社殿、小祠があったそうです。

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後方の丘というか森がその伊勢山でその上に本殿があるのかと思いましたが、ちょっと違うようです。

文政9年(1826)には王禅寺村名主の志村文之丞により四国金刀比羅宮の御祭神を勧請し、神明社・琴平社の合社となったといいます。

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↑文化元年(1804)の創建であると伝えられている銭洗弁財天もあります。

元々は王禅寺内に建立されていたものがここに再建されました。

小さな山の斜面にあるため湧水でしょうか。

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ところで、神社の名称の「武州」とは武蔵国のことですが、一瞬不思議に思いました。

東京都と埼玉県は武蔵国、神奈川県は相模国だったと一般的には思っているからです。

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2021年2月21日 (日)

與瀬神社(与瀬神社)からの帰り道に立ち寄った相模湖と御供岩

前回見てきた、中央高速道路を参道で跨いで行く與瀬神社(与瀬神社)にはいくつもの境内社があります。

神社の後ろは山の切り立った斜面となっています。

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↑右は熊野神社、客神社、天神社と書かれており、左は平安神社です。

輿瀬神社は江戸時代には蔵王社と呼ばれるようになっていましたが、元は熊野権現が氏神で、熊野神社が鎮座していたところに、蔵王権現を祀ったといいます。

そして、熊野神社は境内社として祀られたとのことですですが、この辺りの縁起譚もある経緯については、後に立ち寄った相模湖に行って理解できました。

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↑社殿のすぐ左にあるのは幸の神で、陰陽和合が万物発動の元だということです。

拝殿と本殿の間にある彫刻は見事なものでした。

本殿の方から振り返ると、拝殿の右前に位置する建物(写真中央)は参拝者控所と書かれていましたが、絵馬殿のようで二階建てのものです。

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新編武蔵風土紀稿によると、大和国吉野から遷座したため、この辺りには吉野、與瀬、小原という地名になったとあります。

確かに、小原宿本陣が相模湖駅の東にあり、藤野町に合併する前は吉野町があり、JR中央線には相模湖駅の隣に藤野駅があります。

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↑やはり帰り道も、社殿と神門の間の石段は急で、ゆっくり行かないと下るのは怖いです。

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↑神門前の石段も下ると、その先は見晴らしも良い緩やかな下り坂で、隣の慈眼寺の鐘楼と三之鳥居越しに相模湖が見えてきます。

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↑鳥居を潜って左を見ると、與瀬神社と慈眼寺の共用参道として中央高速道路に架けられた橋というかテラスがあり、その大きさがわかります。

奥の方にあるはずの相模ダムはちょっと見えません。

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2021年2月14日 (日)

参道で中央高速道路を跨ぎ相模湖も眺望できる與瀬神社(与瀬神社)

相模湖近くの国道20号甲州街道沿いに與瀬神社(与瀬神社)の鳥居があります。

與という字は普段見慣れない漢字ですが、与の旧字体になります。

通称権現山という山の南麓にあり、幼児の虫封じの霊験あらたかな神として有名です。

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「虫封じ」といいますが、昔は病気になるのは身体の中にいる虫のせいで、子供が夜泣きしたり、ぐずるのは「かんの虫」のせいだと思われていたいいます。

最近は見かけませんが、以前は宇津救命丸のテレビCМで「かんの虫」と聞いて何の事だろうと思っていたのを思い出します。

神社へと続く長い石畳と石段の参道の脇には、天然記念物の樹齢600年を越える杉の木が茂っているといいます。

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↑ニノ鳥居の前の道が旧甲州街道で、この辺りは與瀬宿があったところです。

鉄道も明治34年(1901)の八王子上野原間の中央本線開通時は、相模湖駅ではなく與瀬駅でした。

ところで、ここから先の石段は、最初の石段とはちょっと雰囲気が違います。

上がった先は踊り場というかテラスのようになっています。

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↑先は二つの入口があり、左に與瀬神社、右は慈眼寺となっています。

 驚くことに下には中央高速道路が走っています。

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↑左を見れば、西の甲府方面です。

↓右を見れば、東の東京方面です。

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昭和43年(1968)12月20日に開通した高速道路の建設のため、ここにあった與瀬神社の赤鳥居と慈眼寺の鐘楼を現在の位置に移設したと、ここに立つ記念碑に書かれていました。

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↑さらに振り返れば、相模湖が見えます。

そしていよいよこの先が山麓の神社らしい景色になります。

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2020年8月30日 (日)

7世紀後半の神奈川県指定史跡の古墳や富士塚もあり貨物ターミナルも見渡せる馬絹神社の高台

川崎市にある宮前区や宮前台、宮崎平の由来となった馬絹神社境内の続きですが、ここには富士塚もあります。
そして、さらにはすぐ隣に古墳もあります。
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↑馬絹という地名の由来ともいわれる、源頼朝が馬の袖衣を掛けた「御神木千年松の祠」があるところには、富士塚の入口があります。
祠のところから右上に上がっていけるようになっています。
石段の手前には、「参明藤開山 富士浅間大神」と刻まれた石柱があります。
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↑上がっていくと途中には、富士講碑、二十三夜塔、地神塔などがあります。
やがて広い空間に出ると、馬絹神社本殿の屋根も見渡せるのですが、富士塚らしき祠などが見当たりません。
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探していると、折り返したもう少し高いところがありました。
頂上に着くと、石碑があり注連縄などが雨で濡れないように、保護されています。
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この富士塚はあえて山を築いたというよりは、元々あった矢上川沿いの台地を利用しているようです。
そして、先程の広くなったところから東側をみると、そちらにも小山があります。
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↑ 馬絹古墳といい、矢上川の沖積低地を望む標高43メートルほどの台地の南縁辺に立地している7世紀後半に築造された古墳です。
つまり、飛鳥時代の大化の改新以降、天智・天武・持統天皇の頃といういことになります。
こちらの敷地は、馬絹古墳公園となっています。

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2020年8月23日 (日)

川崎市宮前区の地名の由来となった馬絹神社は宮崎台の由来でもある

川崎市には宮前区が、そして東急田園都市線には宮前平駅があります。
神社つまり宮の前だから宮前でしょうが、思い当たる神社がありませんでした。
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↑地元の方は当然に知っているのかも知りませんが、この馬絹神社が地名の由来のようです。
国道246号線から東名自動車道の川崎インターに向かう、尻手黒川道路との交差点名として、「馬絹」という名前は聞いたことがありました
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室町時代末期の永禄年間(1558~1570)に、稲毛庄馬衣郷を分割して馬絹村、梶ヶ谷村、土橋村の三村ができました。
そして、明治22年(1889)の町村制施行により馬絹、土橋、有馬(当時有間)、野川、梶ケ谷の5村と溝口村の飛び地が合併して、宮前(みやさき)村ができました。
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馬絹神社は、創建年は江戸元禄以前で詳細は不明で、元は女躰権現社と称していました。
明治43年(1910)に近隣の八幡、三島、熊野、白山神社の4社を併合して神明神社に改称し、馬絹村の村社となりました。
昭和61年(1986)に本殿を新築するとともに、社名を神明神社から馬絹神社へと改称しました。
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宮前の地名になった由来としては、馬絹村のほぼ中央に位置した女躰権現社(現在の馬絹神社)が「馬絹村字宮ノ前(みやのまえ)」にあり、この付近に村役場が設置されたことによります。
そこから名付けられ、地名の「みやのまえ」から「みやまえ」になり、現在の宮前区や宮前平へとなっています。
調べていくと驚いたことに、宮崎台の由来もこちらのようです。

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