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2024年9月

2024年9月29日 (日)

西高勾配のため景色では半分不利だけど意外と運動になる龍崖山

飯能市美杉台とともに飯能大河原地区も、ビッグヒルズとして都市機構により開発されました。

137.7ヘクタールの敷地で土地区画整理事業が行われました。

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ここには龍崖山公園があります。

↑公園傍らには龍崖山がありますし、整備された調整池は地下に整備されて緑地保全も図られています。

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龍崖山にはハイキングコースがあり、案内板も充実しています。

公園東側入り口では標高150メートルほどです。

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↑公園から山に入ると、当然ながら急坂となります。

思っていた以上の山道を進んでいきます。

せっかく登ったというのにまた道を下っていき、谷状の土地となり水の流れがあったりもします。

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↑橋であるとともに堰堤にもなっているように見られます。

途中には、燧山(ひうちやま)山頂があります。

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標高234メートルと書かれています。

ここは西に向けて展望が開けているのですが、ちょっと残念なことに工場の屋根が大きく見えています。

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アップダウンがあったものの80メートル以上の標高を登ったはずなのにそう感じられない風景です。

この辺りでは西に向けて勾配がどんどん高くなる地形なので、調べてみると工場のある辺りの標高は203メートルもあるようです。

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↑ここが一つの山の頂上ということで、予想通りまた下り坂です。

しかも鎖が付いた急な坂で、結構いい運動になります。

そしてようやく再び眺望の開けたところに着きました。

見晴台テラスとなっています。

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2024年9月22日 (日)

無形民俗文化財まんぐりの川越市にある八咫神社と寺山堰

川越市上寺山に八咫神社があります。

川越市街地の北西方面で川越北環状線と入間川の間に位置します。

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八咫というと、JFA日本サッカー協会のマークでもお馴染みの八咫烏が祭神なのかと思いましたが、そうではないそうです。

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江戸時代の新編武蔵国風土記稿には八口社と載っており、大正時代初めの入間川堤防工事前には、もう少し北西の小字八ツ口にあったといいます。

八ツ口は、出雲神話で素盞嗚命が退治した頭尾八つに分かれた八岐大蛇からきているようです。

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出雲の簸川を大蛇に見立てたように、毎年氾濫する入間川を治めるために神を祀ったものです。

また、神社の杜に鳥か多く棲んでいたことからこれを八咫烏と考え、社名に八咫をつけたというのもあるようです。

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↑覆殿の隙間から本殿も見ることができました。

まんぐりは、大山信仰を基とした夏祈祷の行事です。

ちょっとエッチな響きですが、そんなことはありません。

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2024年9月15日 (日)

読めないけど延喜式にも載る大麻止乃豆乃天神社のある大丸

稲城市にあったという大丸城跡を1年前に見ました

その城跡のある公園には、はるか下の方に向かう長い階段があり、[「大丸神社近道」と書いてあるのは知っていたのですが、行くと再びここを上って来なければと考えて、行ってはいませんでした。

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最近は、自分の体のことも考え、なるべく登り坂や階段には積極的に挑戦するようにしています。

今回はここもあえて下ってみました。

といっても、標高84メートルから42メートルほどのところに行っただけです。

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↑大丸神社というのかと思いましたが、鳥居には「大麻止乃豆乃天神社」とあります。

数多くののぼり旗にも書かれていますが、なんと読むのでしょう。

よく見ると参道右にひらがなで大きく、「おおまとのつのてんじんじゃ」と書いてありました。

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鳥居から先の石段も進むと社殿があり、63メートルほどのところで、大丸城のあった丘の中腹に位置します。

大麻止乃豆乃天神社の創建年代は不詳ですが、平安時代の延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に記載されているといいます。

これまでもいくつか見てきた、多摩郡八座のうちの一社、大麻止乃豆乃天神社の論社とされています。

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ただし、武蔵御嶽神社も論社とされており、そちらの方が有力ともいわれています。

大丸の方は江戸時代には、丸宮社・丸宮明神と称していました。

「おおまとのつ」とは「大きく丸い平地にある船着き場」という意味ではないかと考えられています。

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2024年9月 8日 (日)

ついに登れたファインタワーからの景色と都市景観大賞のファインヒルいなぎ向陽台

昨年の年明けには稲城市にある、なんちゃって城跡である城山公園に行きました

その時、また昨年夏にも行こうとしたのに入ることの出来ないところがありました。

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城山公園にある「ファインタワー」という名の展望台です。

↑水の広場という標高83メートル地点から階段を登った先にタワーがあります。

タワーの地盤面で既に標高111メートルになります。

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↑ファインタワーは鉄骨造の塔で、高さ24メートルあります。

説明板があるのですが、金属製で鏡のようにこちら側が反射してしまうので斜めに撮影です。

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ファインタワーという名称にちょっと不思議さを感じますが、昭和63年10月完成とありますから、あと3ヶ月で昭和が終わる頃の空気感でしょうか。

多摩ニュータウンというと、多摩市と八王子市のイメージが強いのですが、稲城市と町田市にも区域は及んでいます。

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その稲城市分の名は「ファインヒルいなぎ」といいます。

標高127メートルのファインタワー展望台まで登るとさすがに景色は良く、南方にそのファインヒルいなぎ光陽台地区が広く見渡せます。

↑南西、↓南

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美しい景観を目的に、丘陵の地形に合わせて建物の高さが低層から高層となるように住宅が整備されました。

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2024年9月 1日 (日)

古くからの盛衰のあった岩殿観音への長い参道と比企能員の判官塚

東松山市にある岩殿観音には3年前にも来ており、その正法寺や岩壁を見てきました

あの時に境内石段の上から見た、こちらに向かい真っ直ぐ進む参道、あそこを通ってみたくて来てみました。

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今回も、東からは埼玉県道212号岩殿観音南戸守線、西へは県道343号岩殿岩井線沿いにある駐車場からです。

つまり、標高では120メートル辺りの県道から凝灰岩の岩壁の高さに相当する階段を下ってきました。

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↑この観音堂などのあるところで標高100メートルです。

前回は涼しい秋の日なのに行くのを躊躇した石段の昇り降りを、この猛暑日にするとは不思議なものです。

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↑まずは石段を下り、700メートル先の参道の入り口まで行きました。

惣門橋という橋が九十九川に架かっており、その名の看板もありました。

この交差点のところには「岩殿観音参道絵図」というのがあります。

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参道には五十戸が門前町を形成しそれぞれに屋号があったと書かれています。

建物は建て替えられて昔ながらの街並みは残っていませんが、屋号の看板が各戸に付けられています。

参道を歩いていくと途中左手に判官塚入り口と書かれています。

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比企大神ともいいますから坂を登って行ってみました。

比企能員を追福するために造られたもので、比企能員の官職である判官(右衛門尉)から「判官塚」と呼ばれているそうです。

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判官贔屓という時の判官です。

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