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2024年5月26日 (日)

万葉集東歌に歌われていた越生町大谷の大谷ヶ原萬葉公園

埼玉県越生町の北部にある鹿下越生神社や学頭沼から東の方角にも、やはり大きなため池があります。

といっても、その間には一山あるので南から大きく迂回した先になります。

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堤体の上は自動車は通れなさそうですが、その手前には数台は駐車できそうなスペースがあり、いくつもの案内板や石碑が並んであります。

ため池は大亀沼といい、ここは「大谷ヶ原萬葉公園」となっているようです。

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左から2番目の越生町教育委員会等による公園の説明板によると、万葉集の東歌の一つに歌われているのがこの地だということです。

万葉集といえば、奈良時代の終わり頃にできたという日本で最も古い歌集です。

その中でも東歌は、当時は西日本中心の日本史にあって、珍しく東国のことが対象となっておりこちらに住んでいることから興味深いです。

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右から2番目の石碑は歌碑となっており、その歌が「入間道の 大谷が原のいわいづら 引かばぬるぬる 吾にな絶えそね」と刻まれています。

「大谷が原」が、ここ越生町大谷の大亀沼周辺であるとされています。

この大谷ヶ原歌碑は越生町立図書館前にあったものを令和3年に大亀沼脇へ移設してきたそうです。

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説明板にはここが万葉集に歌われた「大谷ヶ原」だという根拠がいくつか載っています。

室町時代の史料には、大谷に水田があったことを示す記述があり、古くから水田を潤す灌漑用の沼が利用されてきたものと思われています。

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文政7年(1824)刊行の『武蔵名所考』に「大亀の沼とて五反ばかりの池あり、・・・萬葉にイワヰツラをよみたるは此池より生ぜる藺(いぐさ)なるべし」とあります。

明治初年に編纂された『武蔵国郡村誌』には「於保屋我波良 俗に大谷ケ原と云う」と記されています。

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最初に1番右にあった看板には「明治47年 野田宇太郎 文学散歩踏査の地」と書かれていました。

「文学散歩」という語を生み出したのが詩人で評論家の野田宇太郎であり、ここを訪れ、東京文学散歩 武蔵野編で「大家が原と万葉歌」を著したということです。

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ところで「いわいづら」が何のことだかわからず、「じゅんさい」のことだということですが、じゅんさいのことも知りませんでした。

沼や池に自生するスイレン科の植物で、水底の根茎から長く伸び、蓮の葉のように水面いっぱいに浮葉を広げるものだそうです。

この辺りでは、じゅんさいはもう絶滅してしまっていますが、秋田県三種町では名産品となっているようです。

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歌の意味は「入間の郡の府へ通じる路の大谷ヶ原に生える『いわいづら』のように、自分の方に引いたら、ずるずるとなびき寄って私に絶えない(離れない)でほしい」というものです。

沼に小島があり橋も架けられていますが、橋手前の柵で入れなくなっています。

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大亀沼は昭和61年(1986)から4年間の工期で堰堤改修工事が行われ、周辺は平成4年から3年かけて公園として整備されました。

現在も沼水は水田用水として重要な役目を担っているということです。

橋の奥を見てみると祠があります。

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最初に左にあった看板「ヘルスロード⑧大亀沼コース 3.6km 50分」については、現地に案内図もないし、検索しても見当たらずよくわかりませんでした。

越生町としては既にヘルスロードはあまり観光のためには使えないと考えているのでしょうか。

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