万葉集東歌に歌われていた越生町大谷の大谷ヶ原萬葉公園
埼玉県越生町の北部にある鹿下越生神社や学頭沼から東の方角にも、やはり大きなため池があります。
といっても、その間には一山あるので南から大きく迂回した先になります。
堤体の上は自動車は通れなさそうですが、その手前には数台は駐車できそうなスペースがあり、いくつもの案内板や石碑が並んであります。
ため池は大亀沼といい、ここは「大谷ヶ原萬葉公園」となっているようです。
左から2番目の越生町教育委員会等による公園の説明板によると、万葉集の東歌の一つに歌われているのがこの地だということです。
万葉集といえば、奈良時代の終わり頃にできたという日本で最も古い歌集です。
その中でも東歌は、当時は西日本中心の日本史にあって、珍しく東国のことが対象となっておりこちらに住んでいることから興味深いです。
右から2番目の石碑は歌碑となっており、その歌が「入間道の 大谷が原のいわいづら 引かばぬるぬる 吾にな絶えそね」と刻まれています。
「大谷が原」が、ここ越生町大谷の大亀沼周辺であるとされています。
この大谷ヶ原歌碑は越生町立図書館前にあったものを令和3年に大亀沼脇へ移設してきたそうです。
説明板にはここが万葉集に歌われた「大谷ヶ原」だという根拠がいくつか載っています。
室町時代の史料には、大谷に水田があったことを示す記述があり、古くから水田を潤す灌漑用の沼が利用されてきたものと思われています。
文政7年(1824)刊行の『武蔵名所考』に「大亀の沼とて五反ばかりの池あり、・・・萬葉にイワヰツラをよみたるは此池より生ぜる藺(いぐさ)なるべし」とあります。
明治初年に編纂された『武蔵国郡村誌』には「於保屋我波良 俗に大谷ケ原と云う」と記されています。