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2024年3月

2024年3月31日 (日)

越辺川の大川堤、鶴見線の大川駅や大川町の由来と横沼白髭神社

越辺川右岸の坂戸市側の土手のところに「大川堤遺跡」という石碑が立っています。

遺跡という名に惹かれて調べてみましたが、私が勝手に勘違いした古い時代の「遺跡」ではないようです。

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前回見た郷土の偉人大川平三郎の功績の一つです。

生誕の地である坂戸市横沼の辺りは、大雨が降ると越辺川の氾濫により水害が発生する状況でした。

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大川平三郎は私財を投じて南へ1150メートルの堤防を築き、大川堤と呼ばれるようになりました。

ここに架かる橋は道場橋といい、剣術家であった祖父平兵衛英勝の道場であり、平三郎の生家である大川道場から名付けられているようです。

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碑のある右岸下流側を見てきましたが、右岸上流側も同じような景色です。

奥に見えている高架は圏央道です。

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大川について調べていて驚いたのですが、JR鶴見線の大川駅や地名の大川町も大川平三郎に因んだ名前だったのです。

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2024年3月24日 (日)

坂戸の偉人である大川平三郎とロシアから移設されてきた頌徳碑

圏央道坂戸インターから降りると、「大川平三郎翁生誕の地」という大きな看板が目に付きます。

日本の製紙王・郷土の偉人とも書かれた坂戸市によるものです。

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前から気にはなっていたので、失礼ながら大川平三郎という人のことをよく知りません。周辺を見てまわりました。

郷土の偉人を訪ねてという地図が、坂戸市教育委員会による案内板があります。

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ここには、大川平三郎翁記念公園があります。

公園は7番となっており、大川道場のあったところで、平三郎の生家でもあったところです。

剣術家大川平兵衛英勝の孫として川越藩三芳野村(現在の坂戸市横沼)で生誕しました。

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叔父である渋沢栄一を頼って上京し、明治5年(1872)抄紙会社(現在の王子製紙)に入社しました。

毎日早朝から出社して製紙技術を学び、日本人初の製紙技師になり多くの会社経営に携わり、日本の製紙王と呼ばれるほどになったということです。

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↑公園内に頌徳碑があり、昭和9年(1934)に恵須取町民によって恵須取神社に建立されていたものが移設されたものです。

恵須取はエストルという岬が長く伸びているところを意味するアイヌ語だといいますが、北海道ではありません。

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2024年3月17日 (日)

ネーミングライツのアクアリウムさがみはらと高台にある山門の立派な宗祐寺

2回に渡って見てきた水郷田名ですが、かつては観光地として栄えたというものの、今では残念ながらそうした雰囲気はあまりありません。

ある程度人が集まりそうなところと言えば、「アクアリウムさがみはら」でしょうか。

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相模原ふれあい科学館として昭和62年(1987)にオープンしたといいます。

昭和時代だし、国鉄が分割民営化されJR各社となった年ですから、若い人から見たらここも歴史的なところです。

科学館というだけあって、敷地内にはアルキメデスのポンプなんていうものもあります。

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平成26年(2014)リニューアルオープンするに当たり、水族館をアピールするため「アクアリウムさがみはら」という愛称も付けたということです。

ホームページによると、ネーミングライツの契約期間が令和6年3月31日までとなっていますから間もなく切れます。

どうなるのでしょう。(株)江ノ島マリンコーポレーションとのネーミングライツ契約のようですが、令和11年3月までの指定管理者に決まったということですから、名称も更新契約するのでしょう。

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「豊かな相模川の水を利用した水路が施設前の公園に広がり、建物も水上に浮かんでいるようなデザインだ」とも載っていました。

かながわの建築物100選のひとつに選ばれています。

↑地下水を汲み上げて流していると思いましたから、相模川の水とは知りませんでした。

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↑確かに、敷地のすぐ脇には、相模川幹線用水路(大堀)が流れていました。

烏山用水を掘り下げて堤防を築いた江成久兵衛翁像のあったところです。

図を見ても2本の用水路がこの辺りに流れているようです。

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↑その上流側で、案内図にも載っていた宗祐寺は石段の上の高台にあります。

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2024年3月10日 (日)

小田急多摩線の田名への延伸計画と田名八幡宮の微妙な時期の改称

前回見てきた相模原市の水郷田名を巡っていると「小田急多摩線を田名に延伸させよう」という立看板をいくつか見かけました。

小田急線の新百合ヶ丘から多摩ニュータウンへのアクセス路線として唐木田まで整備されている路線です。

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そんな延伸話あるのかと戻って調べてみると、相模原市ホームページにも載っていました。

「小田急多摩線について、町田市を通り、JR横浜線相模原駅、JR相模線上溝駅、更には、田名地区を経由し、愛川・厚木方面へ延伸する計画です。」とあります。

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平成28年に国の交通政策審議会答申「東京圏における今後の都市鉄道のあり方について」で、小田急多摩線の延伸が、東京圏の都市鉄道が目指すべき姿を実現する上で意義のあるプロジェクトの一つとして位置付けられましたということです。

↑ただし、その答申本文を見てみましたら、唐木田から上溝までの延伸で、記載されているのも上図です。

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なお書きで「更なる延伸を検討する場合は本区間の整備の進捗具合を踏まえつつ行うことが適当」とされています。

↑田名から相模川対岸の愛川町ホームページではこのような図も載せられ、やはり地元は盛り上がっているようです。

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↑最初の写真の水郷田名自治会館敷地の左には消防団分団、さらに左には、田名八幡宮があります。

延暦17年(798)に天地大明神を勧請したのが始まりだと社伝にあります。

田名八幡宮となったのは建久2年(1191)といいますから、何時代というか微妙です。

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私は源頼朝が征夷大将軍となった1192(いい国)から鎌倉時代と覚えましたが、今は守護地頭を配置した1185(いい箱)説が有力だといいます。

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2024年3月 3日 (日)

相模川沿いの水郷田名と小沢頭首工という名称の水郷と頭首工の意味

いつもよりちょっと遠出して、車で相模原市の水郷田名に行きました。

相模川沿いに水郷という場所があるなんて知りませんでしたし、興味もありました。

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↑(国土地理院マップより)

相模川に架かる神奈川県道54号相模原愛川線の高田橋の北側です。

川の土手に「水郷田名の歴史」という説明板がありました。

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田名地区の中でも相模川に面した久所(くぞ)を中心とした地域をいうそうで、田名地区の歴史は古く、原始、古代の時代に遡ることができるという。

江戸時代後半には、橋本から下九沢を通る大山参りのための大山街道が通っていて、ここから「渡し」で相模川対岸の小沢に行っていました。

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相模川は水上交通の流通路として筏、高瀬舟などが往来していました。

その後、もともと盛んだった鮎漁に観光的要素をもつ鵜飼も加わり、旅館などが立ち並ぶ歓楽街として繁盛し、「水郷」と呼ばれるようになったということです。

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私のイメージしていた「水郷」とはちょっと違うものようなので調べてみました。

水郷とは、河川や湖沼の多くある景勝地、河川の下流域や湖沼周辺などの低平な湿地の広い地域をいうということです。

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