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2024年2月

2024年2月25日 (日)

ついに撤去されたカリヨンデッキといいアイディアな新宿駅西口駅前広場に建設中の巨大構造物

渋谷だけでなく新宿の街も大きく変貌をし始めました。

小田急百貨店が閉店して解体工事が進み、日々小さくなっていきます。

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↑そんな中の2月21日朝、旧小田急百貨店とハルク(現小田急百貨店)の間の景色に、さらに違和感が感じられました。

カリヨンデッキのブリッジ部分が無くなっているのです。

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↑以前から閉鎖されてはいましたが、先週撮った写真(2月15日)ではこのようにまだあります。

実は、真下には横断歩道もあるし、2階で小田急とハルク間を行き来する機会もあまりなく、渡ることはありませんでした。

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でも無くなるとなると、やはり懐かしさを感じますから不思議です。

↑地下にある西口駅前広場から小田急百貨店の方を見てみます。

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解体工事が進行して建物がどんどん低くなっていることよりも、右には気になるものがありました。

地上から地下へのスロープ上に覆いかぶさるように鉄骨が組まれています。

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↑何やら巨大な構造物を造っているようですが、西側では途切れています。

戻ってから調べたら、東京都都市整備局ホームページによると「仮設構台・スロープ」の整備工事のようです。

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2024年2月18日 (日)

銀座線渋谷駅車庫引込線の移設とJR線路上に建設している構造物

渋谷駅には行くたびに、駅や通路もそして周りのビルも変わっていて、毎回驚かされます。

地下鉄銀座線の線路を移設したときは大きくニュースにもなりました。

細かい話になりますが、渋谷駅から奥の車庫引込線もふと気付いたら少し移設されていました。

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↑駅から西口の渋谷マークシティ下の車庫方向を見ています。

乗客は下りた後なので目立ちませんが、向かって左側にあった引込線が右側に移されています。

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↑逆に駅ホームの方を見てみると、少しだけ、ここにかつてはレールがあったなという残骸?があります。

この車庫引込線の奥、つまり北側を見れば、こちらは何やら大規模な構造物が建設されています。

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銀座線とは垂直に交差しているJR山手線、埼京線の線路の真上に当たります。

昨年11月に山手線を運休して線路位置とホームを高くする工事を最後に、大きな運休はしないと言っていましたが、関係はないのでしょうか。す。

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↑外から見てみようと、まず東口の方に出て、先程いたところを見てみました。

これを見ても重厚な構造物であることしかわかりません。

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↑北側の先端部はまだ先がありそうにも感じられます。

現在複々線の4線ある線路の直上に、さらに線路を増やすとはさすが思えません。

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2024年2月11日 (日)

松風公園という高坂ニュータウンにある谷戸公園

前回見た東松山市はにわの丘は、関越自動車道を渡るひきのみちの東側にありましたが、それを西に向かうと「松風公園」があります。

「むさし緑園都市高坂ニュータウン」として住宅都市整備公団により開発されたこのエリアは歩車分離されています。

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岩殿丘陵の東端にあたり、この辺りから高くなっていきます。

昭和50年(1975)に関越道の川越東松山間が開通した後の、昭和59年(1984)に入居開始となる街開きでした。

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国土地理院の過去の航空写真を見てみると、松風公園のところは谷戸のようで、池があったようです。

↑公園入り口からすぐのところに大きめの池があり、地獄坊池といいます。

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↑西の上流側から水が流れてきます。

地獄坊池とはおどろおどろしい名前ですが、灌漑用ため池であり、古い開発前の航空写真でも直線の堰堤が見られました。

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↑さらに西へ上流側に行くと、菖蒲田があります。

ここにあった谷戸は呉器谷と呼ばれていたそうです。

ニュータウンらしく公園はいくつか整備されていますが、そのうちの二つの大きな公園の一つです。

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↑公園として整備されているので、橋が架けられていたり、東屋があったりもします。

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2024年2月 4日 (日)

はにわの丘はちょっと微妙なところだけど桜山窯跡群はすごいところ

いつものように地図を眺めていたら、はにわの丘というところが東松山市にありました。

関越自動車道の東松山サービスエリアの少し北東になります。

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↑「ひきのみち」と名付けられた歩行者自転車用道路の弁天山橋から、南の練馬方面を見たものです。

ひきのみちを東に進むと、「はにわの丘」があります。

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古墳時代後期である1450年前の須恵器や埴輪の窯の跡が見つかっています。

平成14年(2002)の東松山市教育委員会による説明板ですから、552年頃ということになります。

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日本に仏教が伝来したのが538年とか552年とか言われますから、その頃のものかと思うとやっぱり悠久の昔です。

昭和55年(1980)に行われた発掘調査で、ここに須恵器の窯跡2基があったということです。

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土器の中で、須恵器というものがよくわかっていませんでしたが、青灰色の1200度ほどの高い温度で焼かれた焼き物だということです。

それまでの縄文土器や弥生土器、土師器のように野焼きで作れるものではないところが大きな違いです。

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↑斜面に沿って舟底型に長さ7メートル、深さ1メートルほどに穴を掘り、その上に天井を付ける登り窯です。

低い方に焚き口、高い方に煙道があり、高温にできるため硬く引き締まった土器ができるようになりました。

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