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2024年1月21日 (日)

多摩川沿いの新春飾りがまだあった阿蘇神社の古くからの由緒

多摩川サイクリングロードの上流端ともいえる羽村取水堰のあたりのことです。

左岸側をさらに少し進むと鳥居があります。

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↑阿蘇神社があり、都重宝とも書かれています。

参道とはいっても林多摩川沿いなのに林の中の古道のようないい雰囲気のところを300メートルほど進みます。

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↑用水路を渡り、多摩川の流れが再び見えたところに阿蘇神社入り口があります。

鳥居があり石段を少し登った先に本殿が見えます。

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阿蘇神社は以前は阿蘇大明神、阿蘇宮といい、創建は推古天皇9年(601)と伝えられています。

平安時代の承平3年(933)には平将門が社殿を造営し、天慶3年(940)には藤原秀郷が社殿を造営したといいます。

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藤原秀郷といえば、新皇を称した平将門を討った武将です。

両者とも阿蘇神社を余程重視したのでしょう。

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藤原秀郷がお手植えしたシイが本殿左にあり、東京都指定天然記念物になっています。

手前の木だとばかり思っていたのですが、奥だということで、残念ながらアップで撮影した写真はありません。

駐車場のある東参道もあるようで、こちらからの参拝者が多くいました。

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この阿蘇神社は、戦国時代以降もも小田原北条氏は神領、徳川家康は馬場と神馬、家光は朱印地と、歴代の武士、将軍からも信仰されてきました。

入り口に書かれていた東京都重宝は本殿のことで、現在は東京都有形文化財となっています。

こちらも覆殿の中で見ることはできません。

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謹賀新年との巻看板もありますが、1月14日に行ったものです。

関東では松の内の1月7日まで、関西では1月15日までが一般的のようですが、阿蘇神社ということでいいのでしょう。

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ただし、阿蘇山が御祭神な訳ではなく、阿蘇大神とも呼ばれる健磐龍命(タケイワタツノミコト)と、その妃である阿蘇都媛命(アソツヒメノミコト)です。

↑行きに来た南参道鳥居から外を見ると、多摩川川原がすぐ横です。

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↑戻る途中見つけたのは「氏子広場」の看板で「ここは当神社の神領として北条氏や徳川幕府代々将軍により寄進された由緒ある神領地です」と書かれていました。

単なる河川敷ではないということです。

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