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2023年12月

2023年12月31日 (日)

水没する前提の狭山台図書館駐車場と狭山台団地の広い調整池

狭山市にある狭山台図書館は体育館やプールも併設されており、すぐ横には久保川が流れています。

通常流れている水はごく少量です。

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久保川は川越市を通り不老川へと流れる準用河川です。

駐車場があり、出入り口にはブースと遮断棒がありますが今は使われていないようです。

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ただし、入ってすぐのところには、ちょっと気になる看板が立っていました。

駐車場は下へのスリープで降りていくのですが、地形のためか半地下構造です。

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奥にはグラウンドのような広い空間が広がっています。

そちらから建物と駐車場を振り返れば、地下とは思えない一階部分です。

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駐車場から図書館や体育館へ行く階段には多くの警告板があります。

降雨時水没注意、この駐車場は降雨時水没しますなどと書かれています。

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狭山市ホームページによると、雨水調整池を利用した駐車場だということです。

その際は緊急放送するから車を移動させろとのことです。

場内には最高水位と記された表示があります。

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2023年12月24日 (日)

国分寺崖線西端の国分寺市西町にある西向きの西町神明社と中藤公園

国分寺崖線は、古代多摩川が南へと流れを変えていく過程で武蔵野台地を削り取ってできた河岸段丘の連なりで、30キロほどあります。

立川市ではほとんど高低差はありませんが、国分寺市からは崖線らしい高低差があり、東南に向け大田区田園調布まで続きます。

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↑その国分寺崖線の西端となるところに西町神明社があります。

村社神明社と刻まれた石碑があります。

この付近はかつて中藤新田と称されおり、江戸時代の享保年間(1716〜35)に新田開発と考えられています。

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ここに限らず北多摩地区を巡っていると、至るところで享保年間の開発地があると感じられます。

学校で習う享保の改革が実際にあったことが実感できます。

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本殿拝殿などの建築は昭和3年(1928)ということです。

社殿は西向きに建てられており、石段から鳥居を振り返ってみると、さらに西向きの道が延びています。

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国分寺崖線もこの辺りでは既に10メートルほどの高低差があります。

崖下正面の道は崖線に沿うように少し曲がりながら進む道です。

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2023年12月17日 (日)

さいたま市西区にあるプラザという多摩プラーザのように有名にはならなかったカタカナ地名

多摩プラーザは東急田園都市線の有名な駅名ですし、街としても有名です。

さいたま市西区にプラザという地名があるので行ってみました。

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↑住居表示版にもカタカナで「プラザ」と表示されています。

数週間前に見た馬宮や西優馬のすぐ近くで、失礼ながら、あまりプラザというイメージとは違うところです。

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↑郵便局も大宮プラザ郵便局という名です。

昭和59年(1984)にプラザという大宮市内で唯一のカタカナ地名になったということです。

当時の大宮市だけでなく今に比べてカタカナ地名は珍しかったはずです。

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↑スーパーのマルエツも大宮プラザ店です。

この地区は総面積31万2600平方メートルは、昭和46年(1971)から東急不動産が「大宮プラーザ団地」として販売をしました。

プラザではなく、プラーザです。

田園都市線の多摩プラーザ駅で聞き覚えのあるプラーザです。

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↑区域内の公園はプラザ中央公園となっていますが、マルエツの写真の右の三段目の看板にはプラーザ商店街という表示が残っています。

昭和44年(1969)に赤坂東急プラーザを竣工した時から東急ではプラーザという呼称を使っていたそうです。

それも、今では赤坂東急プラザです。

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↑看板四段目にあった自治会館は見当たりませんでしたが、少し離れたところに大宮プラザ自治会館として建て替えられているようです。

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2023年12月10日 (日)

新宿西口で進む再開発によるビル解体と新築工事の2023年12月の状況

11月中旬から新宿駅西口地下の歩行者の通り道が変更されています。

西口地下広場と丸ノ内線の間の通路が通れなくなったのです。

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小田急百貨店の解体工事が進められているので、理由はわかっており当たり前のことなのですが、ついに地下まで影響範囲がきました。

↑新宿駅山手線ホームから見ると、小田急百貨店の北側半分は既に無くなっており、向こうが見通せます。

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↑現在の小田急百貨店として営業されているハルクの横から見ても同様です。

今年2月に解体工事が始まったころ、見に来て初めて知った、実は建物は二つに分かれていたことが実感としてわかりました。

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↑西口駅前広場の向かい側からも見ると、見えないはずのスタジオALTAなどが見通せます。

2014年3月に「笑っていいとも」の生放送も終わり、明太子のかねふくの看板ばかり目立ち、すっかり存在感が薄れてますが、しっかり今も新宿駅東口駅前にあります。

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↑小田急百貨店の解体工事現場を、現在もまだ頑張って営業している京王百貨店屋上から見てみました。

北に向かって開けているところはあまりありませんが、かろうじて見ることはできます。

現場目の前の道路も通行車線の位置が変わっています。

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2023年12月 3日 (日)

陣屋跡でもある文化財としての永田家長屋門と簓子塀と立隠れ

さいたま市西区土屋に永田陣屋跡や土屋陣屋跡といわれるところがあります。

県道57号さいたま鴻巣線沿いで、前回見た馬宮コミュニティセンターの県道向かい側になります。

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説明板らしきものはあるのですが、雑草が生い茂った民有地の中のようなところで近寄れませんでした。

目的の建物には、右の道路から迂回して行くことができます。

Googleマップでは「永田陣屋跡」と表示されているところになります。

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さいたま市というか大宮市の時の文化財説明板があり、そこには「永田家長屋門及び築地塀」とあります。

長屋門は桁行き21メートル、梁間5メートル、棟高6メートル、面積100平方メートルと市内最大規模です。

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門の両端に接しているのが「忍び返し」の付いた築地塀だとあります。

大宮市で市内最大だとありますが、浦和市、与野市と合併した現さいたま市でも最大なのかどうか、念のためホームページで調べてみました。

文化財の情報を見ましたが簡易なものなので、その答えは結局わからず、さらに疑問が一つ湧いてしまいました。

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名称が若干変わって「永田家長屋門及び簓子塀」と表記されており、建築物として市指定有形文化財となっています。

漢字からして難しくなりましたが、簓子はササラコと読み、「簓子塀」は簓子下見板の付いた塀ということらしいのですが、これもわかりません。

簓子下見板とは、つまり細い角材で押さえた下見板を取り付けた塀ということのようです。

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またホームページには「立隠れあり」とも書かれていますが、これも意味がわかりませんでした。

調べてみても、これは一般的な用語ではないようですが、さいたま市の文化財解説ではよく使われているようです。

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