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2023年10月15日 (日)

新河岸川から500メートルも離れている江戸時代の前河岸跡

新河岸川は、江戸時代には江戸と川越を結ぶ重要な交通路であり、資材や農産物の舟運が盛んに行われていました。

富士見市には6カ所の河岸という船着場がありました。

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Googleマップを見ていて、そのうちの一つが現在の新河岸川からかなり離れた位置が表示させているので見に行きました。

↑右岸側で上流を見て、水谷第二樋管のあるここに左側から、河川改修工事前には旧の新河岸川が流れていたようです。

Img_4227a

地図上では現在も流路があるように表示されていますが一部暗渠化されており、ここには別所雨水ポンプ場がありました。

↑そのポンプ場に流れ込む逆側(旧の上流側)から見ましたが、やはり旧河川にも今でも多くの水が流れているようです。

Img_4229a

↑さらにこの旧河川を少し上流に向かうと、大きく蛇行しています。

もともとは、新河岸川は「九十九曲がり川」ともいわれ、和光市での荒川との合流地点まで数多くの蛇行をしていました。

Img_4233a

↑600メートルほど上流の埼玉県道266号ふじみ野朝霞線のところから見ても、多くの水量に耐えうるための川幅となっているのがわかります。

Img_4243a

↑その道路を渡った、さくら記念病院のある辺りまで以前の新河岸川は大きく蛇行していました。

富士見市では新河岸川にあった6ヶ所の河岸跡に案内板を設置しています。

Img_4240a

↑現在地とあるこの辺りが大きな曲がり点だったようで、ここまで北から南西に流れていた川は、東へそして北へと流れてポンプ場の方に向かっていたことがわかります。

ここに「前河岸」があったといいます。

以前のという意味ではなく、固有名詞としての前河岸です。

Img_4241a

ここから旧河川での上流側は、現在は新河岸川からの水は流されていません。

ここからは雨水等を新河岸川に流すため、逆向きに水は流れていくようですが、大雨後とかではないこの日は水量はわずかです。

Img_4245a

↑現在の下流、以前の上流に向かうと、湿地帯または池として水が溜まるようになっており、木道が整備されています。

さらに進むと、コンクリート護岸の狭い水路ながら河川敷は広いままで現在の新河岸川に着きます。

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↑現在の新河岸川右岸から見た旧流路です。

現在は手前に向けて、昔は奥に向けて水は流れていました。

ここには水谷東第三排水機場という大層な名前の樋管がありますが、ここから左に向けて新河岸川は流れていたとは今では誰も思わないでしょう。

Img_4251a

江戸時代にだって舟運のために今のように少しは直線化すればいいのに思ってしまいます。

しかし、この蛇行は舟運のための一定の水量維持が必要だったからといいますから、言われてみれば妙に納得です。

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コメント

江戸時代の水運・治水関連の施設は大変興味深いです。近くに行く機会があったら訪ねてみます。

ひらさん、コメントありがとうございます。

重機のない中での河川整備等は本当に大変だったと思います。
新河岸川沿いには、こうした河岸跡がいくつもあるので、巡っていきたいと思っています。

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