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2023年10月

2023年10月29日 (日)

足利尊氏と新田義貞の子義宗の決戦が行われていた鎌倉街道の笛吹峠

笛吹峠は、埼玉県鳩山町と嵐山町の境になっている峠です。

かつては鎌倉へと続く「鎌倉街道上道(かみつみち)」がここを通っていました。

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鳩山町ホームページには、「眼下に須江地区の集落が広がる、眺望のすばらしい笛吹峠は鎌倉街道で一番の難所で」とあります。

一番の難所は否定しませんが、眺めは全く見えません。

↓南に向けての鳩山町方面です。

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また、この峠は、鎌倉時代以降広まる坂東札所めぐりの中で、九番ときがわ町の慈光寺と十番東松山市の正法寺を結ぶ巡礼街道との交差点にもなっています。

↓東に向けての正法寺方面です。

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正法寺は、2年前に見た岩殿観音で岩殿の名の通り、岩の壁と樹齢700年の大銀杏はインパクトがありました。

林の中を進む道ですが、鎌倉街道も当時はこんな感じだったのでしょう。

西に向けての慈光寺方面は民家への入り口のように見えますが、少し先からやはり林の中の細い道があります。

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↓ 東の正法寺方面への入り口右の石碑には「史蹟笛吹峠」と書かれています。

ここが史蹟とされているのは、室町時代初期の南北朝時代に足利尊氏と新田義貞の子義宗が決戦をしたところだからです。

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鎌倉幕府を滅ぼすのに活躍して有名な新田義貞ですが、室町時代になってからの日本史ではあまり話題になりません。

実は北朝方の足利尊氏に対し、新田義貞は南朝の後醍醐天皇方につきました。

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2023年10月22日 (日)

巨大で景色を見ることもできる荒川ロックゲートと歴史ある小松川閘門

都営新宿線東大島駅周辺では、荒川の右岸である西側すぐ横には旧中川が流れています。

その旧中川は荒川に合流するのですが、そこには大きな水門があります。

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荒川ロックゲートという名前の閘門になります。

コウモンという読みのイメージが良くないからではないでしょうが、荒川閘門ではなく荒川ロックゲートです。

6階建ての建物のように階段があり、昼間は上に登ることができます。

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↑いわば展望台から見ると、もともと水量も豊富な荒川ですが、河口間近でもあり川幅はかなり広いです。

閘門・ロックゲートは、水面の高さが違う二つの川で、船が通行出来るようにするための施設です。

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川と川の間に二つの水門を作って水位を調節し、水面の高さを同じにして船を通します。

↑門の高さは18.2メートルもありますから、通行のための水路はかなり下に狭く見えます。

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↑降りて改めて振り返ってみれば、水路幅は14メートルもあり12メートル幅の船が通れるようになっています。

先程登っていた荒川側にあるのが前扉となります。

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↑旧中川側が後扉で、こちらの高さは14.7メートルです。

荒川と旧中川は水面差が最大3.1メートルあるため船の往来が不可能となっていましたが、荒川ロックゲートの完成によって両河川は船で結ばれました。

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2023年10月15日 (日)

新河岸川から500メートルも離れている江戸時代の前河岸跡

新河岸川は、江戸時代には江戸と川越を結ぶ重要な交通路であり、資材や農産物の舟運が盛んに行われていました。

富士見市には6カ所の河岸という船着場がありました。

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Googleマップを見ていて、そのうちの一つが現在の新河岸川からかなり離れた位置が表示させているので見に行きました。

↑右岸側で上流を見て、水谷第二樋管のあるここに左側から、河川改修工事前には旧の新河岸川が流れていたようです。

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地図上では現在も流路があるように表示されていますが一部暗渠化されており、ここには別所雨水ポンプ場がありました。

↑そのポンプ場に流れ込む逆側(旧の上流側)から見ましたが、やはり旧河川にも今でも多くの水が流れているようです。

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↑さらにこの旧河川を少し上流に向かうと、大きく蛇行しています。

もともとは、新河岸川は「九十九曲がり川」ともいわれ、和光市での荒川との合流地点まで数多くの蛇行をしていました。

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↑600メートルほど上流の埼玉県道266号ふじみ野朝霞線のところから見ても、多くの水量に耐えうるための川幅となっているのがわかります。

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↑その道路を渡った、さくら記念病院のある辺りまで以前の新河岸川は大きく蛇行していました。

富士見市では新河岸川にあった6ヶ所の河岸跡に案内板を設置しています。

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2023年10月 8日 (日)

白子川沿いの高低差のところにある市場豊川稲荷神社

練馬区大泉周辺から流れている白子川は、和光市白子を通っているからこそ名付けられています。

白子は白子川沿いに細長く、南北に4〜5キロくらいの距離があります。

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↑白子川は和光市と板橋区の境界を北に流れていますが、笹目通り側から行くと川に向けての結構な高低差があります。

林になったところには神社がありました。

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↑鉄道でいえばスイッチバックとなっているような、道路が二股に別れた北側から入る参道があり、映える?ような鳥居がいくつもありました。

Googleマップでは豊川稲荷神社・氷川神社となっています。

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↑左の南東側からも急な石段の参道があります。

正式には5年ほど前に行った白子熊野神社に合祀されているそうです。

しかし、見ての通り立派に神社であり豊川稲荷神社・氷川神社となっています。

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↑こちらからの先にもいくつもの鳥居がありました。

どうやら地元の講によって運営されているようです。

豊川稲荷を祀っており市場地区にあるので市場豊川稲荷神社ともいわれているようです。

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2023年10月 1日 (日)

石神井川新青梅街道付近の河川改修工事と太田道灌が築いたともいう愛宕山城

石神井川の大雨対策の河川改修工事は、上石神井周辺で新青梅街道と交差する辺りから下流については、既にほぼ完了していました。

大泉学園と上石神井の間のバス通りに架かる愛宕橋と新青梅街道の間の区間も工事が進んだようです。

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↑上を通る新青梅街道の扇橋のすぐ下流に架かる小ヶ谷戸橋は、新たな橋梁に架け替えられていました。

コロナ緊急事態宣言が出る直前の3年半前に見に行った時は、工事で架け替えで通行止めになる直前でした。

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↑橋から下流を向くと、左岸側は歩行者自転車道が上下二段に分かれてありました。

下流の愛宕山橋から見ても、親水のため川に近づく意図でもなさそうで、地形的な配慮でしょうか。

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通行する人や車のことを考えて、仮橋を横に通すのが一般的ですが、この小ヶ谷戸橋は3年も単に通行止めとされていました。

見たところ、車はあまり多くなく歩行者は愛宕橋に迂回すればいいと思われてしまったのでしょうか。

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↑小ヶ谷戸橋に戻り上流側を見ると、こちらはまだ拡幅前であり作業用の仮橋のようなものが見えます。

橋の架け替えに際しては通行用仮橋は無かったのにどういうことでしょう。

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↑高い位置にある新青梅街道の扇橋から見ると仮橋でもなさそうです。

大型重機が行き来するだけでなく、護岸に杭打ち等もする重機も乗せて作業できるような頑丈なもののようです。

小ケ谷戸橋が架け替えられても、ここの工事はまだまだこれからのようです。

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