7世紀の三輪白坂横穴群と三輪という地名の由来にもなっている椙山神社
前回、予想を上回る素晴らしさの町田市の三輪城跡を見てまわりましたが、そのすぐ横の坂道には遺跡がありました。
三輪白坂横穴群で町田市指定史跡になっています
崖面に横穴を掘った古墳時代における有力者のお墓です。
この崖が凝灰岩のような白っぽい岩石なので白坂なのか、城坂から来ているのかどちらかなのでしょう。
三輪白坂横穴群は二つの群13基あり、この第一支群は6基あります。
鶴見川のすぐ近くですが、三輪城を築こうとするくらいですから高低差のある地形です。坂道の途中の斜面で標高50メートルほどのところに位置します。
内部には川原石が敷詰められて、遺骨とともに刀子や須恵器が発見され7世紀に造られたと想定されます。
見学できるのはこの2基だけです。
↑この東の鶴見川に沿った崖には第二支群の7基があり標高35メートル付近に位置します。
この鶴見川すぐ下流沿いの三輪小学校があります。
開校前の発掘調査では、町田市内では珍らしい弥生時代後期の住居址二軒土器二個を組み合わせた墓などが発見されました。
斜面に立地しているため、高い位置の裏門側に案内板だけがありました。
椙山神社北遺跡という名で、縄文時代の中期、後期、晩期の土器破片や古墳時代後期(7世紀頃)の住居址5軒も西側で発掘されています。
7世紀ということは白坂横穴群と同じ時期です。
↑ その名の椙山神社は、この遺跡というか小学校のすぐ南にありました。
椙山神社はここ町田市の三輪という地名の由来とも関係しているようです。
古事記や日本書紀にも記されている大和国の三輪の里にある大神三輪神社の御神体である三輪山に、この附近の山容がよく似ているというものです。
そのことから元慶元年(877)椙山神社は当地に勧請されたというのです。
こちらの御神体の鏡は裏面に、下三輪総鎮守寛文4年(1664)と刻まれているそうです。
杉山神社はこの周辺には数多く72社もあるということですが、ここの社号にある「椙山」は珍しく、唯一のものです。
↑鶴見川沿いから見た椙山神社も含めた山です。
この風景が奈良の三輪山に似ているということです。
まだ行ったことがないですから、是非見に行きたいものです。
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