7世紀の三輪白坂横穴群と三輪という地名の由来にもなっている椙山神社
前回、予想を上回る素晴らしさの町田市の三輪城跡を見てまわりましたが、そのすぐ横の坂道には遺跡がありました。
三輪白坂横穴群で町田市指定史跡になっています
崖面に横穴を掘った古墳時代における有力者のお墓です。
この崖が凝灰岩のような白っぽい岩石なので白坂なのか、城坂から来ているのかどちらかなのでしょう。
三輪白坂横穴群は二つの群13基あり、この第一支群は6基あります。
鶴見川のすぐ近くですが、三輪城を築こうとするくらいですから高低差のある地形です。坂道の途中の斜面で標高50メートルほどのところに位置します。
内部には川原石が敷詰められて、遺骨とともに刀子や須恵器が発見され7世紀に造られたと想定されます。
見学できるのはこの2基だけです。
↑この東の鶴見川に沿った崖には第二支群の7基があり標高35メートル付近に位置します。
この鶴見川すぐ下流沿いの三輪小学校があります。
開校前の発掘調査では、町田市内では珍らしい弥生時代後期の住居址二軒土器二個を組み合わせた墓などが発見されました。
斜面に立地しているため、高い位置の裏門側に案内板だけがありました。