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2023年4月23日 (日)

蛇行する槻川に囲まれた天然の要害である小倉城跡

ときがわ町にある小倉城跡は平成20年に国指定史跡となっています。

嵐山町の菅谷館跡、杉山城、吉見町の松山城跡とともに比企城館跡群として指定されました。

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↑城山と呼ばれる山の山頂から中腹にある戦国時代の山城で、攻守一体で様々な工夫が凝らされたもので削平地を連ねています。

車で行けば、大福寺前に駐車場もあります。

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↑そこにあったコースマップで見ると、上の方から右下に向かい流れている川と下にあるのは同じ川です。

この槻川は、右端欄外のすぐ先でヘアピンカーブして、今度は下では右から左に流れています。

つまり、小倉城のある城山は三方を槻川に囲まれていることになります。

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↑大福寺裏手にも登山道はあるのですが、それは戦国時代にはなかった道だというので、マップでの右、つまり北へ向かいます。

6分程歩いたところに山への入り口がありました。

小倉城の城主は、江戸時代の新編武蔵風土記稿では、戦国時代の小田原北条氏の重臣遠山氏を、武蔵志では遠山氏あるいは上田氏と伝えています。

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↑急坂を東から北へしばらく登ると尾根道になり、それを南に進むと桝形虎口があります。

この奥には郭1があり、ここでは内側の岩盤を直角に掘削して敵がまっすぐ進めないようにするため通行を規制する役割があります。

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最初に見たのがここなので、柵があり小倉城跡では郭内には入れないのかと思いましたが、それはここだけのようです。

この桝形虎口周辺区域では岩盤崩落危険箇所があるため安全柵が設置されているということです。

後ほど触れますが、ここの岩質が結晶片岩なので割れやすいため崩落もしやすくなっているようです。

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↑南にある郭1はもう少し高い土塁の向こうになります。

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↑ここでは東側に向けて眺望が開けるところがあり、見学コースのビューポイントともなっています。

山道の入り口からは10分ほどですが結構高いところにきています。

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↑先ほどの土塁の向こうは郭1です。

最初に見てしまいましたが、すべて城道がここにつながっていることや土塁の規模、虎口の造りなどから本郭と考えられています。

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発掘調査の結果、ここには3~4棟以上の建物が建っており、16世紀前葉から後半にかけて二期以上の変遷があるといいます。

郭1には北、東、南に虎口があり、南虎口を抜けて少し下ったあと、また少し登ると郭2があります。

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郭2は郭1に比べて少し低い位置にあり面積も少し狭いので二の丸となりますが、並列して配置された並郭式と考えられています。

ここでは今度は西に向けての眺望が開けており、ビューポイントとなっています。

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ここには水準点があり標高136メートルとなっていますから、80メートル近い比高の山城ということになります。

地図を改めて確認すると、ここまで歩いてきた尾根道は現在ではときがわ町と嵐山町の境界となっているようですし、さらにこの辺りの西は小川町との三町の境界です。

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↑改めて郭2を振り返ってみると、やはり相当の広さのある削平地であることがわかります。

平地といってもそれを東側から見てみると、土塁の向こう側にある攻め込みづらい高い位置になります。

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このほかにも、小倉城には大堀切や戦国時代ではあまり見ない石積みなどの見どころの多い城跡なので次回に続けます。

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