のびる沢の先にある須賀神社奥の院と六道山公園展望台からの眺め
2年前に武蔵村山市の須賀神社に行きましたが、そこは以前は遥拝所であり社殿は別のところにあったといいます。
丘山の上にあったという場所にいつか行きたいと思っていたところでした。
↑都立野山北六道山公園にある里山民家の東側から北に向かい登っていくと鳥居があります。
この公園は狭山丘陵にいくつも深い谷戸が入り込んでいます。
↑のびる沢に沿って登って来ましたが、振り返って見ると谷戸となっているのが分かります。
さらに石段の上に須賀神社奥の院があります。
麓の須賀神社に行った時にも書きましたように、社殿は江戸時代の寛永10年(1663)建立されたといいます。
それは丘山の上にあり、麓に寛政2年(1790)遙拝所が創立されました。
その遥拝所を昭和51年(1976)に本殿としたのが現在の須賀神社になります。
東京都神社庁のホームページによると、元々は2000メートル余隔てた丘山にあったということです。
↑それが須賀神社奥の院という名から、ここかと思われます。
社殿横の案内板には、麓の須賀神社の縁結びの木のことが写真付きでありますから、両社は関係社であることは確かです。
しかし、改めて公園のパンフを見ながら直線距離を測ってみても、2000メートルの半分以下しか離れていないのです。
さらに北は狭山湖の水源林で立ち入ることができませんが、人造湖である狭山湖造成前にはそこにあったというのでしょうか。
距離的には、標高の高そうな尾根部分をさらに越して、低いところとなってしまいそうなので、それも違う気はします。
奥の院から石段越しに南に下を見れば、その先の谷戸を含めて遥か彼方に遥拝所はあったわけですから、距離は少し誇張されたのかもしれません。
下から登ってくると大変ですが、公園内の狭山湖沿い尾根伝いの周回路までは少し登れば到着します。
それを北西に行くと広い空間があり、ここだけ瑞穂町立文化の森六道山公園になっています。
ここには高さ13メートルの展望台があります。
既にここの標高が192メートルということですから、205メートルの高さの景色が見られます。
↑東には東京都心部が見えて、左の方は新宿の超高層ビル群です。
↓南には昭島方面が見渡せ、左の方は立川でしょうか、だとすると二つある高い建物がわかりません。
景色だけでなく、この展望台というか展望塔の建物も魅力です。
かつてやったドラクエに出てきたようなデザインです。
.
.
.
« 平田篤胤を祀る平田神社と明治神宮の広い芝生と宝物殿と神社本庁 | トップページ | ねじれまくりの入西のビャクシンと石上神社古墳と成願寺 »
「07武蔵村山市」カテゴリの記事
- のびる沢の先にある須賀神社奥の院と六道山公園展望台からの眺め(2022.08.28)
- 萌芽に期待する三本榎と引又街道と拡幅されていく新青梅街道(2021.01.10)
- どこなのか謎の本殿から2000 メートル離れた元遥拝所の須賀神社とその前の350メートルだけの広い道路(2020.11.15)
- 多摩湖自転車道沿いの谷津仙元神社と富士塚とそこから南向きの謎の道(2019.06.09)
- 貢物を調製するから三ツ木村にある和銅創立だという十二所神社(2019.03.31)
「09西多摩」カテゴリの記事
- 南一揆の逃げ込み城であり北条氏の伝えの城になった網代城跡(2024.08.25)
- 貴志嶋神社洞窟と岩山の網代弁天山と山頂景色(2024.08.18)
- 白丸ダムでの東京都交通局の電気事業と売電先、東京発電の氷川発電所(2024.07.14)
- 鳩ノ巣渓谷とその名の由来と双竜の滝、水神の滝(2024.07.07)
- 水面に浮かんでいるようだという浮島神社と他県に迷惑かけないための霞川調節池(2024.04.07)
「神社」カテゴリの記事
- 読めないけど延喜式にも載る大麻止乃豆乃天神社のある大丸(2024.09.15)
- 貴志嶋神社洞窟と岩山の網代弁天山と山頂景色(2024.08.18)
- 昭和、明治に次ぐ長期の応永年間からの鰐口もある南畑八幡神社(2024.06.16)
- 金子十郎家忠に関わる入間市木蓮寺の瑞泉院と桂川神社(2024.06.02)
- 村社越生神社だが越生ではなく鹿下の方の越生神社と学頭沼(2024.05.19)
« 平田篤胤を祀る平田神社と明治神宮の広い芝生と宝物殿と神社本庁 | トップページ | ねじれまくりの入西のビャクシンと石上神社古墳と成願寺 »
コメント