海まで遠い昭島の多摩川沿いで見つかったクジラの奇跡と八高線橋梁や堰
多摩川左岸の多摩大橋と拝島橋の間には「くじら運動公園」があります。
近所によくある児童遊園のような「くじら」のオブジェがあるからそう呼ばれているのではなく、ここには立派な由緒があります。
ここは東京都昭島市で東京湾までは約40キロあり、標高も海抜100メートルほどの場所ですが、200万年前は海の中でした。
昭和36年(1961)にこの辺りでクジラの全骨格の化石が発見されたのです。
↑多摩川河川敷JR八高線多摩川鉄橋の11番橋脚の下流約36メートルの地点だといいます。
もう少し左かもしれないので、帰り掛けに撮ったこちらの方かもしれません。
これまで長い間、ヒゲクジラの仲間で現存のコククジラの一種と考えられていました。
それが平成30年に、これまで世界で発見されたことのないヒゲクジラの新種だということが発表されました。
学名はラテン語でエスクリクティウス アキシマエンシス、和名はアキシマクジラと発表されたのです。
こうした化石の発見がここだけであったのは、いくつもの奇跡によるものだそうです。
骨が比較的早く堆積物に埋まり破壊されずに化石として保存されたこと、約200万年もの間、地殻変動や地層の高い温度変化や圧力の影響がなかったこと、化石の一部が露出した一瞬のタイミングに発見されたことなどです。
露出後に大雨が降れば化石は川に流されていたといいます。
↑この説明板と並びの多摩川土手沿いにはサクラが綺麗に咲いていますが、鉄道車輪も置かれています。
第二次世界大戦終戦から9日後の昭和20年(1945)8月24に、この橋梁上で列車正面衝突事故が発生し、死者105名の大惨事となってしまいました。
その後、引き上げられた二対の車輪は事故を後世に伝えるため設置されているそうです。
↑八高線の橋梁と多摩川土手との間はかなり狭くなっており、屈まないと通れません。
歩行者や自転車のために当然に右側に道はありますが、たまに腰を大きく曲げながら通る人もいました。
↑多摩川のこのすぐ上流には堰がありました。
こちら左岸側にいると何のためにあるのかわかりづらいですが、日野用水堰のようです。
確かによく見ると右岸側に用水の取り入れ口があります。
それにしても、かつてこの辺りには多くの海の生き物が生息していたとは今となっては不思議です。
しかし、アキシマクジラの化石とともにサメの歯や魚や貝の化石が発見されていますから自然の力は大きいです。
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