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2022年3月27日 (日)

坂戸市にある6世紀中頃の雷電塚古墳と周囲の円墳

坂戸市には古墳時代後期である6世紀中頃に造られたと考えられる古墳があります。

雷電塚古墳という前方後円墳です。

東側から見ると、右が後円部で左が前方部です。

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この名称は何のことかと思いましたが、後円部の墳頂に「雷電社」があるので雷電塚と名がつきました。

意外でしたが、坂戸市内では7基もの前方後円墳が確認されており、そのうちの1基です。

前方後円墳というとかなりの有力者の墓というイメージがあります。

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古墳の全長は47メートル、後円部の直径は25、5メートル、高さは3、8メートルあります。

西側の前方部と後円部の一部が削られていますが、前方後円墳の形状がよく残っているといい、埼玉県指定史跡となっています。

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周溝の中からは、円筒埴輪の破片をはじめ、朝顔形埴輪、須恵器などが出土しました。

これらの遺物から古墳を築造した年代は六世紀中頃と考えられたということです。

538年に日本に仏教が伝来した頃のことと思うと歴史を感じます。

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また、雷電塚古墳の周辺を調査した結果、これまでに10基の円墳の周溝が発見されました。

今は墳丘が削られてしまいましたが、雷電塚古墳の周りには多くの円墳が造られていたと考えられています。

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↑先程のものを1号墳といい、2号墳はすぐ南にあります。

径15メートル程の円墳だということですが、はっきりとは形がわかりません。

こちらも墳頂に祠があります。

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3号墳も北に100メートルほどのところに残されているということで行ってみました。

東光寺の境内にあり、雷電塚3号墳は東光寺古墳とも言われます。

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東光寺本堂脇に所在する径20メートル、高さ2メートルほどに円墳です。

東光寺には、元弘3年(1333)新田義貞による鎌倉攻めにかかる伝承があるようです。

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鎌倉街道を通り別所山で休息していたところ、東と西に光を放つところがあり、そこに東光寺、西光寺を建てたのだというものです。

霊園の方から古墳を見ていましたが、本堂の裏側からも行けるようです。

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こちらの方が正面のようで、やはり墳頂に祠があります。

前方部が破壊された前方後円墳の可能性の指摘もあるのだといいます。

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↑これを聞いて墳頂から東の方を見ると、なんとなく前方後円墳があったようにもから不思議です。

ここは鎌倉街道上道からかなり離れていますが、新田義貞ので伝承もあるように歴史には謎と魅力がいっぱいです。

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