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2021年10月10日 (日)

埼玉県元狭山村の四神社を合祀しているのに東京都にある元狭山神社

かつて東京都西多摩郡瑞穂町では駒形富士山探しをしたことがありました。

狭山神社があったりもしましたが、同じ瑞穂町には元狭山神社もあります。

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埼玉県入間郡元狭山村の四つの地区にあった四社を村の中央に移転合祀して、大正7年(1918)社号を元狭山神社と改めました。

とはいうものの、ここは東京都西多摩郡瑞穂町です。

明治22年(1889)町村制の施行の際、二本木村、高根村、駒形富士山村、富士山栗原新田が合併して埼玉県入間郡元狭山村となりました。

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↑参道右側の社務所はちょっと気になる建物です。

調べてみたら、明治27年(1894)落成の元狭山尋常小学校の旧校舎を移築したもので、現在の瑞穂町内における近代和風建築(日本在来工法でつくられた洋風建築)の典型だということです。

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↑参道左側の石燈籠も立派で、奥に見える通常サイズと比べると遠近感を差し引いても巨大なのがわかります。

話は戦後になり、昭和28年(1953)の市町村合併促進法により、翌年には元狭山村議会が東京都西多摩郡瑞穂町に編入することを決議しました。

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しかし、埼玉県は反対して埼玉県入間郡武蔵町との合併を要求して、ここの住民の意見も割れたようです。

結局、昭和33年(1958)に元狭山村のうち南のかなりの部分は東京都となり、北の一部は埼玉県に分かれてしまうこととなりました。

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元狭山村の四つの村落にあった四社は、駒形村にあった駒形神社、高根村にあった高根神社、駒形富士山村にあった八雲神社、富士山栗原新田にあった子安神社です。

本殿の後ろは林となっています。

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拝殿は駒形神社、本殿は八雲神社のものが移築されました。

元狭山地区である駒形、高根、富士山、栗原新田、二本木、松山を守護する氏神と案内板には書かれています。

当然ながら、神社は都県境とは関係ない存在ですから、元狭山神社の氏子も東京都と埼玉県の両方にいるのです。

その神社の隣りにも立派な建物がありました。

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「元狭山ふるさと思い出館」として図書室などがある瑞穂町の施設なのですが、閉館中で中には入れませんでした。

元狭山村役場の建物を復元したものだといいます。

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こちらは瑞穂町公式ホームページでは裏は取れませんでしたが、昭和6年(1931)元狭山村役場庁舎として竣工した建物だったといいます。

この建物と神社境内の間の道を行き、振り返ると林ののどかな風景です。

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↑右に元狭山神社と尋常小学校校舎、左には村役場庁舎があると考えると、道路が舗装されていなければ、昔の原風景のようです。

しかし、ここは国道16号線ショッピングモールの「ザ・モールみずほ16」のすぐ近くで、そこからも見えるところです。

住宅などの向こうの林が、先程までいたところになります。

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このモールでは、核店舗である西友リヴィンLIVINが2022年2月末で閉店するとのポスターが貼ってあり驚きました。

調べてみて、モール自体も閉館と知りさらにビックリするとともにとても残念です。

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