豊田の総鎮守という若宮神社と豊田南地区の区画整理により出来つつある水路
日野市の豊田駅周辺は浅川の河岸段丘によるものであろう高低差があり、湧水に恵まれたところです。
そのJR中央線北側の湧水はかつて見に行きましたが、線路南側にも高低差はあります。
↑そこには石段があり若宮神社があります。
日野市ではいくつかの土地区画整理事業が行われており、ここ豊田南地区の87.1ヘクタールでも施行中です。
↑石段の上まで行って振り返ると遠くまで見渡せますが、ちょうど石段の登り始めの辺りに、都市計画道路である日野3・4・15号線が通ることになっています。
区画整理の事業期間は昭和61年度から令和10年度までの予定ですから、かなりの長期に及んでいますし、さらに期間は延伸されることでしょう。
↑一旦下りて少し南東に行くと、北が高くなる地形の高低差のためにある東豊田陸橋の手前のところは、道路と水路とビニールハウスというありふれた風景となっています。
しかし、これも区画整理事業をしているところのようです。
↑日野市HPを見ると、豊田南地区の令和元年度から5年度までの新5か年計画があり、右上に書かれていますが令和2年度としてはこの区画道路と湧水路の整備が行われることとなっています。
畑のところにあった説明幕があり書かれていますから、あれが整備後の姿なのでしょう。
それとも整備が遅れているのか分かりません。
因みに、この手前の道路は3年度計画で整備する予定であるところですが、こんな感じです。
↑こちらは道の左端に水路があり、右端にあった先程のところとは違っているのがわかります。
なんかこの水路の方が良かった気がしますが、全体像を見てみないと判断できないです。
さて、若宮神社の方に戻りますと、ここは豊田の総鎮守だ書かれたとの幟旗が立っていました。
若宮神社は慶安5年(1652)に豊田村の領主であった旗本大久保勘三郎忠良が創立、実際にはそれよりも前からあったといいます。
参道を進むと、茅の輪くぐりができるようになっていました。
茅の輪くぐりは潜るだけでいいのか、ルールというか順番がわからなくて困ることがありますが、ここではまず左から回って次に右に回ってというように図で描かれているので助かります。
昔の豊田村には下組、中組、上組、矢崎の4つの地域があり各々の地域で神社を祀っていました。武蔵野の雑木林だった今の多摩平や旭ヶ丘地域も含まれていたということです。
明治39年(1906)の政令により1村1鎮守が進められ、豊田の地域では若宮神社に合祀されました。
それでここが豊田の総鎮守ということです。
その後も、各神社の氏子が祀りを行っているといいます。
区画整理の事業地域内ですが、さすがに境内はそのままになるようです。
日野3・4・15号線は東豊田陸橋交差点の三叉路まで来ている道が豊田駅南口のロータリーにつながる計画となっています。
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