八王子の三方を川で囲まれた台地上の片倉城跡の空堀と住吉神社
JR横浜線にも京王電鉄高尾線にも片倉駅がありますが、片倉というところはそんなに大きなターミナル駅の街なわけではありません。
それでも国道16号が通っている古くからの交通の要衝でしたし、かつて片倉城もあったところです。
城のあったところは、16号沿いの東側の入口から入ると「片倉城跡公園」となっており、そのすぐ北側には湯殿川が流れています。
↑南方が高くなっていますが、鳥居があります。
神社がありますので、長い石段を登り、まずはそちらを目指します。
片倉住吉神社は、片倉城主の長井大善大夫道広が城の鎮守の神として、摂津国(大阪市)の住吉大社を応安5年(1327)勧請したといいます。
この公園というか城跡の北には湯殿川が、南には兵衛川が流れており、東で合流しますから、北東方面に張り出した丘陵先端部に位置します。
↑拝殿には、江戸時代の数学である和算の問題が解けたことの感謝と一層勉学に励むことを祈念して奉納された絵馬である「算額」もありました。
この神社社殿のあるところは片倉城の腰郭となっていたようです。
社殿の左後方はさらに高くなっており、主郭があります。
↑斜面を登って行くと、丘陵の東先端部が主郭(東郭)で本丸広場となっており、方角が東となる木の奥の方は崖になっています。
北が石段となっていたように北・東・南の外周部は約30メートルの急崖となっており、自然地形を生かした城郭なのです。
↑同じく東郭で、逆に東から西を見ると奥には橋が架けられており、その向こうは西郭があった二の丸広場です。
ちょっと方向感覚が分かりづらくなってきたので位置を確認することとしました。
↑入り口で撮影した案内図を確認すると、東郭と西郭の間には空堀があるということです。
二つの郭は空堀によって区画され、 空堀は鉤の手に掘り込んであり、曳橋か跳橋で連絡されていたといいます。
↑実際に現在架けられている橋から見てみると、空堀があるとはいいますが雑草が生い茂っていてよく分かりません。
本丸広場と二の丸広場間の空堀は分かりづらかったですが、二の丸広場北側(地図では下)にも空堀が残されています。↑
西郭の北側はもともと急な斜面となっていますが、さらに空堀で防御しているのがこちらでは分かります。
↑西郭に行って東南方向を見ていますがかなり広く、先程いた主郭はこの左手となります。
この城の地形は西側を防御する必要があるので、西郭は南にも大きく張り出し、東部の主郭を守るような形となっています。
なお、奥の森の向こうはやはり崖となっています。
↑同じく西郭で東側から西側を見ています。
片倉城を北東側から急斜面を登ってきて、腰郭、東郭、西郭と見てきた中で、ここが舌状台地である小比企丘陵の東端であり、こちら側からは敵が攻め込みにくい城であることは分かりました。
さらに南や西、北西側の様子や城の歴史についても次回引き続き見ていくこととします。
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