片倉城西郭の南西方面の空堀と奥の沢の湧水と城の築城主
前回に引き続き、八王子市の片倉城址を見ていきますが、二の丸広場となっている西郭は東郭の約2倍の広さがあり、周囲には空堀が張り巡らされていました。
西郭の南から南西方向には視界が開けています。
↑南方からが無防備のようにも見えますが、少し先は崖となっていて兵衛川が流れています。
江戸時代まではこの城の南だけでなく東も北も沼だったといいます。
↑つつじ山という南西から西方向には空堀もあります。
今では埋まっていますが昔は深かったのでしょう。
それにしても、西の方角は丘陵が平坦に続いており他の方とは雰囲気が違います。
片倉城跡は東京都指定史跡となっていますが、その都教育委員会による説明板には「現道の配置等から第二郭の西方にも堀切りがなされ、三郭からなる直線連郭式城郭であった可能性」と書かれています。
この向こうに第三郭があったとしても、またその西側の防備は必要になりますからキリがありませんが。
↑第二郭(西郭)の空堀は北にまっすぐ向かうと、その先そのまま谷となっています。
この城は、四方向のうち一方向の守りに専念すればいいと考えれば、やはり防御しやすい城です。
室町時代の初期に築城、15 世紀後半に鎌倉幕府初期の重臣であった大江広元を祖に持ち、関東管領家の扇谷上杉氏の家臣であった長井氏によって築城されたといわれています。
↑地形としては南から北に向けての急な崖となっていますから、木々の隙間から八王子市街が見渡せます。
そして、こうした地形なので湧水もあるようです。
↑実際に水の流れを見ることができます。
東京都環境局による東京の名湧水57選に片倉城跡公園は入っています。
↑ここは空堀というよりも、水の浸食による天然の谷の地形で、水は北に向けて流れていきます。
片倉城は「新編武蔵風土記稿」などでは応永年間(1394〜1428)の大江備中守師親の在城が記されていますが、確証はないとのことです。
↑小高い丘を下りると菖蒲田や沼などがあります。
また、八王子駅南口の超高層ビルであるサザンスカイタワー八王子も見えます。
157.5メートルで41階建だといいます。
↑先程の湧水からの水だけを利用しているのではないと思われますが、水車が回っていました。
このような地形ですから、片倉城跡公園内には湧水箇所がいくつもあるそうです。
北部は沼だったといいますが、今では公園としてキレイに整備されています。
一般的には片倉城は、扇谷上杉朝定によって再築された深大寺城と築城の特徴が類似しており15世紀後半に築城されたと考えられています。
ただし、城郭としての配置や技法、古川越街道や鎌倉街道と隣接する交通の要衝であることから、小田原北条氏による築城や利用の可能性も指摘されています。
中世の城は不明な事も多いですが、逆にいろいろ想像も出来て面白いものです。
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