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2021年8月 1日 (日)

徳川二代将軍正室の御化粧料だった王禅寺村と柿生の由来ともなった王禅寺を守る市街化調整区域

前回、大きな鳥居のある武州柿生琴平神社の儀式殿を見ましたが、その本殿に行きます。

長い石段入口左には市街化調整区域の案内板があります

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都市計画区域内において、優先的かつ計画的に市街化を進めるのは「市街化区域」で、用途地域として第1種低層住居専用地域や近隣商業地域、準工業地域などが定められています。

その市街化を抑制しようと定められているところが「市街化調整区域」です。

結構急な石段を登り振り返ると、高さがわかると同時に、この辺りは起伏の多い地形であることが分かります。

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市街化調整区域では原則として開発行為や建築行為は出来ません。

神社の方は正面には社殿と右には手水舎があります。

この手水舎は「がまんさん」と呼ばれる四人の山伏が手水鉢を支えています。

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本殿の方は平成19年に火災があり、花鳥山水の描かれた渡辺崋山の筆という天井の63枚の板絵は焼失してしまいました。

旧王禅寺村は由緒あるところのようで、江戸時代の徳川二代将軍秀忠の婦人であるお江与の方に、嫁入りの際に与えられた領地である「御化粧領」でした。

その後も徳川家の菩提寺である芝増上寺の領地でした。

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↑再建された本殿の下部には「地下雨水流出抑制施設」との表示板がついています。

防火用水を貯めているのかとも思いましたが、大雨の時に雨水を一時貯留して少しずつ下に下に流すための施設です。

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↑本殿右側には鳥居があるので境内社かと思いましたが、そうではない金子稲荷大明神でした。

また左の階段の先は墓地になっているので、どこかの寺院の敷地かと思っていました。

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↑その向こう側の広い空間は「王禅寺ふるさと公園」の敷地となっています。

隣接して斜面が開発された住宅地がありますが、先程の書いたように市街化調整区域では開発行為は出来ませんので、東側の広い区域に緑が残っています。

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川崎市制60周年記念公園ということで造られた約11ヘクタールもの広さの公園です。

多摩丘陵の豊かな自然を生かし、水と緑をテーマとして芝生広場、多摩川をイメージした流れ、散策道、展望広場等があります。

こちらから見ると先程の神社は意外に近く、本殿も見えました。

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後で調べたら、墓地は琴平霊廟という武州柿生琴平神社の神道墓地でした。

ところで、柿生の地名の由来は王禅寺の柿だといいます。

その「禅寺丸柿」はまず建保2年(1214)に王禅寺の山中で発見されました。

公園の隣りが王禅寺ですが、参道入口から先が見えない程広いところです。

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応安3年(1370)に焼失した王禅寺を再建するため、朝廷の命を受け用材を求めて寺の裏山に入った等海上人が、その柿のあまりの美味しさから寺に持ち帰って植え、村人たちにも栽培を勧め広まったと言います。

この禅寺丸柿の樹齢450年の原木の「ひこばえ」は、今も王禅寺境内に保存されているというから驚きです。

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