上尾市の県央ふれあいんぐロード沿いの小塚富士塚とアッピーお休み処と畔吉渡し場跡
荒川と入間川の合流地点から上流の荒川サイクリングロードは右岸側にありますが、左岸側にも一部通っています。
開平橋から県央ふれあいんぐロードがあります。
狭かったり曲がったりしていますが、のんびりポタリングするにはいい道です。
↑下流方向を向いていますが、西野橋という荒川にしては小さな橋のすぐ近くに「浅間様入口」と書かれています。
↑そこには小塚富士塚がありました。
オヅカと読むようですがオオツカとも呼ばれており、上尾市指定有形民俗文化財となっています。
↑鳥居の先には南西側から頂上への真っ直ぐな参道があります。
浅間塚、富士塚は江戸時代後半から流行した富士浅間信仰によるものです。
富士山参詣が難しい人も参拝ができるように、富士山を模した塚が祀られたものです。
↑頂上には文化13年(1816)の石祀と明治26年(1893)の登山大願成就碑があります。
高さは約4、6メートル、一辺約26メートルの方形の塚でした。
東と南の裾部は民家等で基盤まで削られていますが、その他の部分は残されています。
↑先程の荒川左岸と自転車道が見渡せます。
下りて、ちょっと上流方面も見てみます。
↑少し行くと「アッピーお休み処入口」との案内板があります。
何なのか期待して階段を登ってみましたが、普通の東屋があるだけで、左に見えるのもポンプ場建屋です。
調べてみると、アッピーとは上尾市のイメージマークとイメージキャラクターでした。
上尾のア、上昇や向上を意味するアップ、幸せのハッピーを合わせた「アッピー」でした。
この場所がというのではなく、市が設置したからこの名が付いていたみたいです。
↑ポンプ場は丸山都市下水路のものでしたが、その荒川との境には八塚樋管があります。
1999年に改築されたもののようです。
↑雲が多くなってきましたが、上流右岸の川島町方向には雨柱が見えます。
雷鳴も聞こえてますから、こんな周囲に何もない河原からは早く抜け出した方が良さそうです。
川面が見えないので分かりづらいですが、ここは「畔吉の渡し場跡」になります。
江戸時代に6箇所の河岸で行われていた荒川での舟運は、幕末にはより栄えて20箇所余りとなり、ここにも畔吉河岸があり、対岸への渡し場もあったということです。
大正末期まで渡し船があったといいますから乗ってみたかったと思いながら、雨もポツポツ来たしここで荒川沿いから離れます。
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