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2021年7月

2021年7月25日 (日)

川崎市は相模国でなく武蔵国だったことを思い出させてくれる武州柿生琴平神社

小田急線の新百合ヶ丘駅は大きな駅ですが、その南側に王禅寺地区があります。

川崎市麻生区になります。

柿生大橋ができる以前は、車で東名川崎インターから多摩地区に行こうとする時には、王禅寺付近は道が分かりづらかったので生田の方から大きく迂回したものです。

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↑その王禅寺地区で、武州柿生琴平神社という看板をよく見かけますので行ってみました。

朱塗りの大きな鳥居で幅14メートル、高さ13メートルあるといいます。

夏越の大祓いの茅の輪があり、また夏詣と書かれた幟もあります。

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↑本殿かと思われた奥にある建物は「儀式殿」とされており、本殿は別にあるようです。

由緒としては、室町時代末期の元亀元年(1570)から神明社が祀られていたと伝えられています。

地元に残る古文書では、正徳元年(1711)以前には「伊勢山」と呼ばれる現境内地に社殿、小祠があったそうです。

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後方の丘というか森がその伊勢山でその上に本殿があるのかと思いましたが、ちょっと違うようです。

文政9年(1826)には王禅寺村名主の志村文之丞により四国金刀比羅宮の御祭神を勧請し、神明社・琴平社の合社となったといいます。

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↑文化元年(1804)の創建であると伝えられている銭洗弁財天もあります。

元々は王禅寺内に建立されていたものがここに再建されました。

小さな山の斜面にあるため湧水でしょうか。

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ところで、神社の名称の「武州」とは武蔵国のことですが、一瞬不思議に思いました。

東京都と埼玉県は武蔵国、神奈川県は相模国だったと一般的には思っているからです。

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2021年7月18日 (日)

吉見町南西部の区画整理事業地内の調整池とちょっと不思議な永府門樋

前回から見ている吉見町は東に荒川、西南に市野川が流れている、輪中とも言えるようなところです。

その町の南西部の市野川沿いでは、25ヘクタールの工業団地として西吉見南部土地区画整理事業が行われました。

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↑工業団地といっても工場ではなく、ベルーナ、プロロジス、日本ロジテムの大きな物流倉庫があります。

国道254号と409号の合流分岐点も近く、自動車交通には便利なのでしょう。

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先程の区画整理事業地の南端には永府公園が整備されており、さらに調整池としての修景池もあるようです。

公園といっても子供が遊ぶような立地でもないです。

多目的広場とはされていますが、特に何もない芝生です。

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まあこの方がのんびりできていいです。

修景池の方も遊歩道のところまで夏草が生えてしまっており、諏訪沼と同じような雰囲気です。

そうはいうものの、調整池ですから水量の管理は当然されています。

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雨水流出抑制施設との看板が設置されており、見ていると機械制御によりいくつかの管から水が水路に排出されています。

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周辺に、吉見町指定文化財で土木学会の近代土木遺産にもなっている永府門樋があるので行ってみました。

永府門樋の吉見町教育委員会による説明板もあります。

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2021年7月11日 (日)

市野川の治水上のボトルネックとなっているという諏訪堰と下流にあった排水機場

市野川は埼玉県寄居町から流れる約38キロの荒川水系の河川です。

途中は吉見町があり、吉見町は東に荒川、西南に市野川が流れています。

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吉見百穴で有名ですが、何年か前に見に行ったことがあるなと思い、調べてみたらもう9年も前のことでした。

時の経つのは早いものです。

吉見町南西部では東松山市との間を市野川が流れていますが、中小河川にしては川幅が広く水量も多いようです。

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よく見ると水が貯まっているようです。

堰があるようで、水のザーザー流れる音が聞こえるので近づいてみました。

諏訪堰といい、対岸の右岸は東松山市で見えている建物は市野川雨水ポンプ場です。

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市野川浄化センターというすぐ上流にある東松山市の下水道施設施設の関係のようです。

この堰は対岸に渡ることが出来るようになっています。

しかし、足を滑らしたらこの水量だと行方不明者としてニュースになりそうなので、渡るのはやめておきます。

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左岸の吉見町側にここで市野川用水を取り入れています。

以前から用水取り入れは行われていましたが、市野川改修の際の昭和9年(1934)に固定堰を新設したといいます。

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諏訪堰について調べてみると、市野川の水害対策は大きな課題のようで、何回か埼玉県議会でも議論されています。

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2021年7月 4日 (日)

川越街道中央分離帯に残る幟立てと木宮稲荷神社とひまわり畑

国道254号川越街道には所々に旧街道らしい並木が残っています。

三芳町では松並木がありますが、その中央分離帯に神社の幟立てらしきものものがあります。

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↑向こうの上り車線側に見える柱も、こうして見ると何だろうとも思えますが実はパチンコ屋です。

ですが、下り車線側には神社があります。

藤久保にある木宮稲荷神社です。

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ここには江戸時代の街道と並木が残っているのですが、昭和時代初期に、神社の参道があったところに新たに下り車線を通したことから、以前からの幟立てと神社が分断されこうなったようです。

寛文元年(1661)、領主であった中山治左衛門が大阪在業の際、霊夢を見て社殿を建立したといいます。

木宮とは地名でもないのですが、紀州の良材を運搬して建立したとのことですから紀宮から来ているのかと考えられているようです。

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この辺りの開発は、正保年間(1645〜48)から元禄年間(1688〜1704)にかけて行われましたといいますから、その新田開発が行われていた頃です。

稲荷神社は、藤久保のような畑作を主体とした地区では農業神として信仰されました。

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藤久保の地名は、その昔、地区の東にある窪地に大きな藤の木があったことによるといいます。

↑社殿の裏に銀杏でしょうか、御神木があります。

社殿の左側には右から八坂神社と浅間神社があります。

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別の場所に祀られていたものを境内に移したもので、浅間神社はもとは藤久保の北にあった富士塚に祀られていたものだということです。

今も富士塚という地名は三芳町に残っていますが、その富士塚は場所がわかりませんでした。

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