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2021年2月

2021年2月28日 (日)

竹間沢からの湧水が川となって流れる行き先と2つの調整池

埼玉県三芳町の竹間沢「こぶしの里」」周辺に再び行きました。

三芳町というとわかりづらいかもしれませんが、OSCデオシティ新座のすぐ近くです。

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ここは1年少し前にも来ましたが、三芳町唯一の湧水があるところでキレイな水辺があります

この水の流れいく先を辿ってみました。

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「こぶしの里」の川に沿った北側は「ふるさとの森」となっていますが、同様に崖線沿いで高低差のある斜面となっています。

↑途中橋が架かってはいますが、私有地で立ち入り禁止と書かれていました。

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↑視界が大きく開け、森が無くなり上から降りてくる通路はありますが、橋は架かっていないため対岸との行き来は出来ません。

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↑やがて、水門がありその先は暗渠となってしまいます。

歩道となっているので100メートルほど進むと、調整池があります。

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↑三芳町が管理する調整池のようですが、時々見かけるようなグラウンドなどでの利用は想定していないようです。

ここから先は再び暗渠となっていますが、流れがありそうな方向へ辿ると、如何にも想像していた通りのところに着きます。

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2021年2月21日 (日)

與瀬神社(与瀬神社)からの帰り道に立ち寄った相模湖と御供岩

前回見てきた、中央高速道路を参道で跨いで行く與瀬神社(与瀬神社)にはいくつもの境内社があります。

神社の後ろは山の切り立った斜面となっています。

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↑右は熊野神社、客神社、天神社と書かれており、左は平安神社です。

輿瀬神社は江戸時代には蔵王社と呼ばれるようになっていましたが、元は熊野権現が氏神で、熊野神社が鎮座していたところに、蔵王権現を祀ったといいます。

そして、熊野神社は境内社として祀られたとのことですですが、この辺りの縁起譚もある経緯については、後に立ち寄った相模湖に行って理解できました。

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↑社殿のすぐ左にあるのは幸の神で、陰陽和合が万物発動の元だということです。

拝殿と本殿の間にある彫刻は見事なものでした。

本殿の方から振り返ると、拝殿の右前に位置する建物(写真中央)は参拝者控所と書かれていましたが、絵馬殿のようで二階建てのものです。

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新編武蔵風土紀稿によると、大和国吉野から遷座したため、この辺りには吉野、與瀬、小原という地名になったとあります。

確かに、小原宿本陣が相模湖駅の東にあり、藤野町に合併する前は吉野町があり、JR中央線には相模湖駅の隣に藤野駅があります。

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↑やはり帰り道も、社殿と神門の間の石段は急で、ゆっくり行かないと下るのは怖いです。

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↑神門前の石段も下ると、その先は見晴らしも良い緩やかな下り坂で、隣の慈眼寺の鐘楼と三之鳥居越しに相模湖が見えてきます。

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↑鳥居を潜って左を見ると、與瀬神社と慈眼寺の共用参道として中央高速道路に架けられた橋というかテラスがあり、その大きさがわかります。

奥の方にあるはずの相模ダムはちょっと見えません。

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2021年2月14日 (日)

参道で中央高速道路を跨ぎ相模湖も眺望できる與瀬神社(与瀬神社)

相模湖近くの国道20号甲州街道沿いに與瀬神社(与瀬神社)の鳥居があります。

與という字は普段見慣れない漢字ですが、与の旧字体になります。

通称権現山という山の南麓にあり、幼児の虫封じの霊験あらたかな神として有名です。

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「虫封じ」といいますが、昔は病気になるのは身体の中にいる虫のせいで、子供が夜泣きしたり、ぐずるのは「かんの虫」のせいだと思われていたいいます。

最近は見かけませんが、以前は宇津救命丸のテレビCМで「かんの虫」と聞いて何の事だろうと思っていたのを思い出します。

神社へと続く長い石畳と石段の参道の脇には、天然記念物の樹齢600年を越える杉の木が茂っているといいます。

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↑ニノ鳥居の前の道が旧甲州街道で、この辺りは與瀬宿があったところです。

鉄道も明治34年(1901)の八王子上野原間の中央本線開通時は、相模湖駅ではなく與瀬駅でした。

ところで、ここから先の石段は、最初の石段とはちょっと雰囲気が違います。

上がった先は踊り場というかテラスのようになっています。

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↑先は二つの入口があり、左に與瀬神社、右は慈眼寺となっています。

 驚くことに下には中央高速道路が走っています。

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↑左を見れば、西の甲府方面です。

↓右を見れば、東の東京方面です。

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昭和43年(1968)12月20日に開通した高速道路の建設のため、ここにあった與瀬神社の赤鳥居と慈眼寺の鐘楼を現在の位置に移設したと、ここに立つ記念碑に書かれていました。

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↑さらに振り返れば、相模湖が見えます。

そしていよいよこの先が山麓の神社らしい景色になります。

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2021年2月 7日 (日)

国立市ではなく府中市にある谷保天満宮発祥の地と用水路と大山道

受験のシーズンとなりましたが、学問の神様という菅原道真を祀った天神様に参拝する人は多くいます。

東京では湯島天満宮(湯島天神)、亀戸天神社、次に谷保天満宮が有名でしょうか。

府中市日新町にさほど広くは無いものの、赤い旗や鳥居の目立つ神社があります。

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日新稲荷神社ですが、ここには気になる碑がありました。

キレイに磨かれた石なので、光が反射して見づらいですが、「谷保天満宮発祥之地」と書かれています。

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菅原道真は昌泰4年(901)太宰府に左遷された際、同時に4人の子供達も左遷や流罪となり、 第三子の菅原道武は 武蔵国多摩郡に流されました。

父道真が2年後に太宰府で没し、延喜3年に道武は父の像を祀ったのが 谷保天満宮の創建とされています。

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道武の子孫は津戸の姓を名乗り,鎌倉時代に源頼朝に仕えていた津戸三郎為守が、治承5年・養和元年(1181)にある神社を国立市谷保に遷したといいます。

日新稲荷神社だけに書かれているのでなく、谷保天満宮公式HPにありますから、ここが発祥の地のようです。

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府中市と国立市の市境を跨いで移転していますが、当時はそんな市はありませんから当然なのでしょう。

また、谷保天満宮はヤホではなくヤボと読むことをはじめて知りました。

ところで、最初の写真の左端には蓋掛けされた水路があります。

ちょっと100メートルほど上流の都道20号府中相模原線(府中四谷橋への道)沿いを見てみました。

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