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2021年1月

2021年1月31日 (日)

立川市緑町の不思議な神社と高松町にある熊野神社の戦争をめぐる繋がり

立川駅北口には立川基地跡の広大な敷地があるため、数多くの政府系機関や近年ではIKEAなどの商業施設も建てられています。

その緑町の「自治大学校国立国語研究所」バス停の前には、ちょっと不思議な神社らしきところがあります。

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フェンスに囲まれており、社号標などはありませんが、「熊野神社」という名で関係者以外立ち入り禁止と書かれています。

唯一ともいえる倉庫のような建物があります。

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奥には熊野神社の鳥居と祠のみあります。

さらに奥の方に見えているのは、多摩都市モノレールの高松駅です。

調べてみると、500メートルほど東にある熊野神社が元々あったところのようです。

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↑それは、高松バイパス沿いの高松町にある熊野神社で、立川熊野神社とも言われています。

武蔵野によくあるように、この辺りは江戸時代の享保年間に柴崎新田として開発され、当初は7軒しか家がなく、七軒家と言われていました。

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この新田の鎮守として、先程のところに享保11年(1726)創建された神社です。

↑当時は考えもしなかったでしょうが、手水舎ではコロナ感染予防策で柄杓はなく水が流しっぱなしにされています。

そもそも、神社がどうして移転したかも気になるところです。

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2021年1月24日 (日)

小金井市貫井の辨財天にある枯れてしまった池と下弁財天広場と大澤氏一族

小金井市にある上宮大澤神社の由緒には、前回見たように「大澤の池」とありましたが境内には無いので探してみました。

Googleマップを見ると、神社のすぐ裏には辨財天があるのでそこに行きました。

直接真っ直ぐに行くことは出来なく、北か南に迂回しなくてはいけませんでした。

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池らしきものがありますが、水はありませんでした。

「辨財天由来」というと案内板があります。

創立は慶長10年(1605)で、時期は不明だがこの貫井に移り住んだ大澤隼人守一族が、この清水の湧き出る地に水の神を御招きし、氏神様として辨天様を祀ったといいます。

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また、中世のいつからか貫井神社を上辨財天、この社を下辨財天と言うようになったとのことです。

江戸時代初期の創立と中世との時間の逆転がよく分かりません。

上宮大澤神社の方では、大澤氏は平安時代にここに来て神社を創始したとされていました。

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↑辨財天由来は貫井神社によって立てられています。

上辨財天は、明治2年(1869)神仏分離令により、厳島神社と改称し、明治33年(1900)大澤一族の下辨財天と小長久保の八雲神社がその貫井神社に合祀となったようです。

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池のことも書かれていました。

昭和29年(1958)から36年頃の間、池の湧水が止まり、それ以来下辨財天の池も枯れてしまいました。

隣は下弁天子供広場となっていますが、そこに碑があり大澤家との関係が書かれていました。

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2021年1月17日 (日)

藤原四家のうち式家の神社である上宮大澤神社で平安時代の歴史上の人物を復習

新小金井街道の小金井市貫井南町に「上宮大澤神社入口」という標識がありました。

大澤(大沢)と言えば、もっと東にある三鷹市の地名なので、興味があり立ち寄ってみました。

境内と道路と駐車場の境がよくわかりませんし、中には住宅もあるようですが、全体が神社の敷地なのでしょうか。

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狭いながらも美しい竹林に立つ神社案内板によると、創建は平安時代である天慶年間(938〜945)といいます。

藤原外記壽治(げきひさはる)が、大澤の池の上のこの地が山紫水明のいいところなので、大澤氏を名乗るとともに神社を創始したといいます。

大化の新で知られる中臣鎌足が藤原姓を賜わり藤原氏の祖となっていますが、その子孫だといいます。

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↑7名の祭神が記載されていましたが、古事記や日本書紀に登場する神々ではない、歴史上実在の人物もいるようなのでそれぞれを調べてみました。

まず①「天児屋根命」は古事記・日本書紀にも載っている神になりますが、中臣氏・藤原氏の太祖神です。

②「藤御食子命(中臣氏)」は中臣御食子のことで鎌足の父になります。

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↑鳥居から本殿までの距離は短く、右には社務所があります。

寒い日々なので、午後なのに手水鉢の水は一部凍っていました。

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続いて、③ 「藤宇合命(藤原式家)」は藤原宇合(うまかい)のことです。

平安時代に非常に栄華を極める藤原氏の礎を築いたと言えるのは、奈良時代の藤原不比等です。

不比等は中臣鎌足の子で、その4人の子は北家、南家、京家、式家の藤原四家を形成します。

うち式家の祖が藤原宇合です。

本殿の前まで行くと参拝者を感知して雅楽が流れます。

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2021年1月10日 (日)

萌芽に期待する三本榎と引又街道と拡幅されていく新青梅街道

武蔵村山市の新青梅街道には「三本榎」という交差点があります。

ここは都道5号線と55号線の交差点です。

3本の榎の木があるのだろうと思い、辺りを見てみると「三本榎史跡公園」はあるものの、ちょっと様子が変です。

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「三本榎(乙幡榎)」と書かれた標柱や説明板があるものの肝心な木がありません。

武蔵村山市指定史跡の三本榎のうちの乙幡榎は、平成28年強風により幹の一部が折れ、保護措置を行いました。

しかし、令和元年5月には樹医より枯死した可能性が高いとされ、さらに令和2年6月には幹上部が折れ落下したため、止む無く幹本体を伐採したそうです。

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ただし、残存する根系部から後継樹となるよう萌芽更新による育成を行っているそうです。

萌芽更新とは、広葉樹の切り株から伸び出すのでその萌芽を育て、樹木の若返り(再生)を図ることです。

三本榎の由来としては、やはり、3本の榎はあるのようで、もう一本は都道55号線の向かい側にある加藤榎です。

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枯れた乙幡榎とこの加藤榎は、樹齢二百余年と推定されています。 

それぞれの榎に付いているのは何の名前なのかと思いましたが、昔、弓の遠矢競争で矢が落ちた場所にそれぞれの名の榎が植えられたそうです。

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↑3本目は東京都水道局学園配水場敷地内にある奥住榎で、こちらは大正時代末期に植え替えられ樹齢は60年ほどです。

三本榎の南を東西に走る道路は、引又街道(市街道)といい、江戸時代から明治時代にかけて重要な道路で、三本榎はここを往来する人々の休憩所でした。

2枚目の写真の乙幡榎の塚にあった庚申塔は、寛政11年(1799)に造立されたものです。

その引又街道の様子を見てみます。

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2021年1月 3日 (日)

まだ海辺だった頃に榛名様が上陸したという御船山と榛名神社のある富士見市勝瀬

6000年程前、縄文海進と呼ばれる海水面の上昇により荒川流域は、かなりの部分が海でした。

4年半前に見に来た富士見市にある水子貝塚は、その当時は海沿いだったということでこの地にありました。

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↑同じ市内の勝瀬というところ、ららぽーと富士見のすぐ近くというと場所のイメージが湧くでしょうか、「お船山」というところがあります。

長さ約50メートル 、幅約25メートル 、高さ約2メートル ですから、実際には山というほどの高さではありません。

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↑案内板によると、昔この辺が海辺だった時に、榛名様がお供二人とともに遠くから鉄の船で来て上陸しましたが、その後ここで船が沈んだということです。

お船山に棒を刺すと、鉄の船に当たり音がするとの言い伝えもあるそうです。
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↑お船山越しに、林のようになった100メートルほど北の上陸したところが見えます。

また、まだ乗船中に船がお船山で沈んでしまう時、向こう岸の藤の木の蔓をつたい、一行は上陸できたという説もあるそうです。
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↑いずれの説でも上陸したというところに榛名神社があります。

創建年代等は不詳ながら、文明9年(1477)再建の棟札が残されていることから、少なくとも室町時代には既にあったということです。
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↑狛犬の乗っているところには岩がありますが溶岩なのでしょうか。

榛名神社やお船山という名称からも山にゆかりがあるようです。
境内に富士塚があるのかも気になります。

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