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2020年12月

2020年12月27日 (日)

東大和市前身の高木村外五ヶ村の役場があった高木神社と塩釜神社

東大和市内の青梅街道を走る西武バスに「塩釜神社前」というバス停があります。

また、道路沿いには「安産の守神 塩釜神社」という大きな看板もあります。

矢印の方向に行き、公園とともに神社のあるところを見ると、ちょっと想定とは違っています。

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↑「高木神社」と書かれておりその社務所があります。

まず、ここで目を引いたのは「東大和市旧跡 高木村外五ヶ村連合戸長役場跡」という説明表示板です。

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東大和市は、明治時代初期には高木、清水、狭山、奈良橋、蔵敷、芋窪の六ヶ村に分かれていました。

その村ごとに戸長が選出されていましたが、明治17年(1884)に町村制度の大改正が行われ、500戸を基準として連合した地域に、一人の官選の戸長をおくことになりました。

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六ヶ村を一区域として、戸長がここにあった戸長役場で事務を執ったというものです。

ほぼ現在の東大和市域の原型が作られたというもので、東大和市旧跡に指定されています。

↑建物はありませんが、書類入れだった土蔵だけは残っています。

そして、塩釜神社があります。

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大正15年(1926)建立の「国幣中社塩竈神社分社」という碑が立っています。

宮城県塩釜市にある塩釜神社から分祀してもらった個人の土地の屋敷神だったものを、明治10年(1877)にここに勧請したといいます。

ここは予想外に、高木神社の末社という位置付けのようで、その高木神社との位置関係はこんな感じです。

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↑右側にあるのが、先程見た塩釜神社の鳥居と社殿です。

さらに大きな鳥居と社殿が左側にある高木神社を見てみます。

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2020年12月20日 (日)

熾烈な商圏争いのイオンタウンふじみ野と閉店したイトーヨーカドー上福岡東店跡地

一ヶ月ほど前の令和2年11月21日にオープンした「イオンタウンふじみ野」」に行きました。

日本無線埼玉工場が30年間あったという跡地で、53406平方メートル、総賃貸面積つまり店舗面積のことだと思いますが35254平方メートルです。

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この周辺には大型商業施設施設が数多く出店していて、ららぽーと富士見までは3300メートル、イオン大井店までは2400メートルほどの距離です。

大井サティがイオンになりましたが、当時としてはサティは十分大規模といえる商業施設でした。

店舗面積24200平方メートルですから、お互いイオンですがライバルになります。

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↑ここは工場を更地化して建設したのでしょうが、大きな木がありました。

調べてみたら、ヒマラヤ杉をシンボルツリーとして既存の樹木 を生かした約1111平方メートルの広場を設置したということです。

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駐車場は地上平面と3階建建物の屋上に1800台分あります。

↑屋上の方は平日に行ったため、かなり空いていました。

イオン大井の駐車場は1326台です。

イオンタウンふじみ野の規模イメージとしては、イオンモール東久留米が敷地面積54000平方メートル、店舗面積39900平方メートル、駐車場1700台ですから近いものかもしれません。

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↑屋上からの見晴らしはよく、東の方を見ると左にはさいたま新都心の高層ビル、中央には東京スカイツリーも見えます。

左のららぽーと富士見は敷地面積152000平方メートル、、店舗面積60000または80000平方メートルもありますから別格ですが、顧客は重なる部分も大きそうです。

ところで、西の方の景色では、実は先程から気になっていたところがあります。

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2020年12月13日 (日)

かつてあった高麗郡と平成の天皇皇后も参拝したという高麗神社

入間川、そして越辺川に流れ込む高麗川があり、JR八高線に高麗川駅、西武池袋線に高麗駅があります。

それらが、高麗郡という名の郡にも由来しており、高麗神社があることも知っていましたが、行ったことはありませんでした。

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奈良時代に高麗郡は建郡されたと、日本書紀からの続きである六国史の3番目「続日本紀」にあります。

霊亀2年(716)に、「駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野の七ヶ国の高麗人1799人を移して高麗郡を設置した」と書かれています。

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唐と新羅に敗れた高句麗から移り住んだ人々である渡来人が「高麗人」と呼ばれていたことから、この名となっているようです。

天智2年(663)の「白村江の戦い」で日本は百済とともに、唐と新羅に敗れた5年後に高句麗も滅んでしまったのです。

高麗郡は現在の日高市、鶴ヶ島市、飯能市を中心とした範囲で、明治29年(1896)に郡の統合により入間郡に統合されるまで高麗郡という名がありました。

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高麗神社は高麗王若光を主祭神として、猿田彦命、武内宿禰命の三柱を祀っています。

覆殿内の本殿は室町時代後期の建立と考えられており、切妻造で平入、一間社流造、屋根は桧皮葺で埼玉県指定文化財となっています。

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斎藤 實、若槻禮次郎、浜口雄幸、平沼騏一郎、鳩山一郎、小磯国昭らが参拝後、総理大臣になったということで、高麗神社は「出世明神」とも称されるといいます。

戦前に就任された方がほとんどなのはちょっと気になります。

↑上皇陛下、つまり平成時代の天皇と皇后も参拝しているようで「天皇皇后両陛下行幸啓記念碑」がありました。

ちなみに、平成天皇というのは失礼に当たるので「の」を入れています。

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↑社殿左側の山頂には末社として水天宮もあります。

手前の御神木の彼岸桜は樹齢300年になります。

さらに、神社の奥には国指定重要文化財もあるといいます。

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2020年12月 6日 (日)

所沢の浦所バイパス沿いの日比田調整池とそこにある場違いなほど立派なトラス橋梁

国道463号浦和所沢バイパス沿いの東所沢周辺で、結構な規模での開発現場があります。

日比田歩道橋から見てみると、少し低くなった広い敷地があり調整池を整備しているようです。

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↑向こう側には東川が流れており、ここには日和田調整池が整備されていました。

まだ一部工事中で立ち入り禁止ですが、ほぼ完成しているようです。

東川は1年半ほど前に見てきたように、狭山湖の北側辺りを源流として所沢市内を西から東へ横断して、所沢インター近くで柳瀬川に流れ込む河川です。

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↑現地案内図で見ると、右側の道路が浦所バイパスで、左側に上から下向きに東川が流れています。

東川は過去には台風などの時には大量の雨水が流れて、しばしば周辺に洪水の被害を及ぼしてきました。

これまでもここより上流部で既に対策工事が行われてきました。

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↑図中央下方に流れていた日和田水路の敷地の右側と下側への付け替えも行われたようです。

この調整池は13万立方メートルもの調整容量とされており、平成20年(2008)から工事は行われてきました。

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↑図上部の道路も敷地端に付け替えられ道幅も広くなっています。

昨年の台風19号のような豪雨には対応しきれないこともあるようで、こうした調整池が整備されるようです。

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↑敷地西端(図では左上)から振り返っても、かなりの広さであることが分かります。

その東川を見ると、現在はほとんど水の流れはありません。

歩道橋から見た時から気になっていた、ちょっと場違いと思えるほど立派なトラス橋が架かっています。

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