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2020年10月25日 (日)

鈴木稲荷神社にある小平市指定文化財の見られる江戸時代後期の彫刻と明治時代初期の鏝絵

小平市には花小金井駅南西に「鈴木町」という地名があります。

また、そこには都道132号線小川山田無線が通っており、一部は「鈴木街道」と呼ばれています。

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↑そこにはさらに「鈴木稲荷神社」があります。

鈴木という名前の由来は江戸時代のようで、この辺りは鈴木新田として開発されました。

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新田と言っても現在は田畑もほとんどなく、すぐ脇は住宅地となっています。

↑といって住宅地でよく見かける神社と違って、神門があり水路を渡る神橋もあります。

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鈴木新田は貫井村(現在の小金井市)の名主である鈴木利左衛門の発願によるものでした。

開発許可は享保9年(1724) だったといいますから、8代将軍徳川吉宗の「享保の改革」の行われた頃です。

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開発宰領人である利左衛門は、境内地として約25000平方メートルを寄進して、貫井村の稲荷神社を新田の鎮守として同じ年に勧請ました。

↑右の木のところに両側への矢印の向いた案内板があります。

ここには小平市指定有形文化財が2つあるのです。

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↑覆殿は土蔵造りとなっており、上部の白壁に絵が描かれています。

鏝絵(こてえ)という漆喰で立体的に表現されたもので、この北と南面には狐の親子が書かれています。

明治時代初期のものですが、さらに社殿裏側にあたる西面には不思議な絵があります。

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↑西面は象だといいます。

ライオンのようなタテガミや尻尾があったり、鉤爪があるなど、本物の象を見たことがない人による空想された動物となっています。

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↑もう一つの文化財は金刀比羅社にある彫刻です。

江戸時代末期である天保4年(1833)のものですが、こちらは江戸時代の三大改革である「天保の改革」が行われる少し前の頃です。

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柱から梁に至るまで、龍などの彫刻が刻まれています。

↑正面である東面から見ています。

龍の口の中に朱色が見られるとのことで、当時は全体が彩色されていたようです。

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長年、風雨に晒されていたため、今では色はわかりません。

正面以外の西、北、南面は中国の故事にちなんだ情景が彫刻されています。

↑南面と↓北面です。

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この辺りの鈴木街道は通ることはありましたが、東からだと西に向かっている東京街道が大きく南に向きを変え、両側が林となっている涼しげなところとの印象でした。

ここに、このような文化財があるとは知りませんでしたが、とても素晴らしい彫刻でした。

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