鈴木稲荷神社にある小平市指定文化財の見られる江戸時代後期の彫刻と明治時代初期の鏝絵
小平市には花小金井駅南西に「鈴木町」という地名があります。
また、そこには都道132号線小川山田無線が通っており、一部は「鈴木街道」と呼ばれています。

↑そこにはさらに「鈴木稲荷神社」があります。
鈴木という名前の由来は江戸時代のようで、この辺りは鈴木新田として開発されました。

新田と言っても現在は田畑もほとんどなく、すぐ脇は住宅地となっています。
↑といって住宅地でよく見かける神社と違って、神門があり水路を渡る神橋もあります。

鈴木新田は貫井村(現在の小金井市)の名主である鈴木利左衛門の発願によるものでした。
開発許可は享保9年(1724) だったといいますから、8代将軍徳川吉宗の「享保の改革」の行われた頃です。

開発宰領人である利左衛門は、境内地として約25000平方メートルを寄進して、貫井村の稲荷神社を新田の鎮守として同じ年に勧請ました。
↑右の木のところに両側への矢印の向いた案内板があります。
ここには小平市指定有形文化財が2つあるのです。

↑覆殿は土蔵造りとなっており、上部の白壁に絵が描かれています。
鏝絵(こてえ)という漆喰で立体的に表現されたもので、この北と南面には狐の親子が書かれています。
明治時代初期のものですが、さらに社殿裏側にあたる西面には不思議な絵があります。