県内最大級方墳であった穴八幡古墳と八幡神社のある小川町
小川町という、まず思いつくのは千代田区にあり、新御茶ノ水駅や淡路町駅への乗換駅でもある都営新宿線の小川町駅でしょうか。
それとも、東武東上線の終点の行き先としてよく見かける小川町駅でしょうか。
まあ、実際には東上線の終着駅はもっと先の寄居駅ですが。
↑東上線の小川町駅のある埼玉県小川町に、古墳時代後期の古墳があり、南東から見ると高台になっています。
なお、この小川町駅はJR東日本の八高線の駅でもあります。
穴八幡古墳といい、昭和34年(1959)に埼玉県の指定史跡になりましたが、当初は円墳と考えられていたものが試掘調査で方墳とわかりました。
↑ここは巨大な横穴式石室があることが特長です。
全長8.2メートルもあり、南に向いてその入口が開いています。
前回見た川崎市の馬絹古墳と同じ7世紀後半の古墳ですが、大きく違うのは、この石室入口は見ることができることです。
覗き込むと、奥行きは8メートル以上あるようには見えません。
内部は前室と後室に分かれているといいます。
石室は、小川町下里地域で採掘される緑泥石片岩など結晶片岩の一枚石を組み合わせて、造られたものです。
大きな一枚石を運ぶのは、当時としては大変だったでしょう。
墳丘は高さが5.6メートル、一辺28.2メートルあります。
調査では、周囲には二重に周堀が巡っており、埼玉県内でも最大級の方墳であることも明らかになりました。
↑内堀らしきものが見ることができます。
↑穴八幡古墳を西側から見たものです。
内堀の一辺は、東西で39メートル、南北で約40メートル、溝幅は最大で7.4メートルです。
外堀は、東西一辺で約60メートルもあります。
↑ところで、古墳の名前の由来は様々なものがありですが、ここはすぐ北側に郷社としての八幡神社があります。
地名から大塚八幡神社ともいわれています。
鎌倉幕府の滅亡に際し、将軍守邦親王が慈光寺の山麓の古寺の里に亡命し、土豪の猿尾氏に迎えられ、鎮守神明社の境内に勧請、元弘三年(1333)に創建されたと伝えられています。
調べてみると、守邦親王とは後深草天皇の孫で鎌倉幕府第9代将軍となっています。
↑神社境内には、小川町指定天然記念物の大ケヤキもあります。
神社の歴史として、14世紀としても十分に長い歴史なのですが、7世紀の古墳を見てしまうと新しいことのように感じられるから不思議です。
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