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2020年9月

2020年9月27日 (日)

ソフトバンク本社が入る東京ポートシティ竹芝のロビーフロアとスキップテラスの眺め

前回見た、浜松町駅とはまだ繋がっていない歩行者デッキを海側へ向かい、首都高速道路を越えたところに再開発により建てられたビルがあります。
東京ポートシティ竹芝のオフィスタワーで、40階建て、延床面積は約18万平方メートルあります。
デッキからの入口はビルの3階になります。
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令和2年9月14日にオープンしたばかりで、9階から39階がオフィスフロアです。
ソフトバンク本社が移転して入居することとなっています。
細かくいえば、ソフトバンクグループとソフトバンク、weworkが入ることになっています。
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↑6階がオフィスロビーとなっていますが、こうした中層階のロビーフロアを初めて見た時の驚きを思い出しました。
それまでは、1階か2階がロビーフロアとの思いこんでいました。
経営破綻した山一證券の営業基盤を引き継いだメリルリンチが入居して、2004年(平成16年)にコレド日本橋がオープンした時のことです。
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↑ここは、実際に外にも池があるのですが、床面がキレイなので、まるで中にも池があるようです。
また、正面に見える建物も東京ポートシティ竹芝に関係するものです。
コレド日本橋の時もそうでしたが、商業施設とオフィスは完全に分離されていて6階でエレベーターの乗り換えが必要であり、また、ここにカードゲートや受付があります。
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↑海側の方から見た東京ポートシティ竹芝オフィスタワーは、下層部には段差があり木々が植えられています。
「スキップテラス」といい、水と緑を感じながら働く新しいワークスタイルを提案しているそうです。
2階から5階までは東京都立産業貿易センター浜松町館となっています。
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↑スキップテラスは当然ながら外に出られるようになっており、南側には浜崎橋ジャンクションを見ることができます。
建物の立つ敷地が四角形ではなく五角形なので、スキップテラス南側からも、また前回見たポートデッキの首都高速道路上からも浜崎橋JCTが見えます。
では、名前に「ポートシティ」とありますから、港と海を見てみます。

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2020年9月20日 (日)

浜松町駅から海岸通りと首都高を乗り越えて、竹芝まで行けるという歩行者デッキはちょっと残念

2020年9月中旬に再開発により新たな東京名所にもなり得るビルができ、ちょうどそこに出かける機会がありました。
浜松町駅から海側の港区海岸一丁目で行われた大規模再開発で、駅からそこまでは歩行者デッキで繋がるといいます。
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↑浜松町駅から行きましたがデッキへの入口がよく分からず、まずそのオフィスタワーまで下の道路を歩いて行き、そのビルの3階からデッキに出て、首都高速に架かる橋から浜松町駅方向を見ています。
つまり、新たに再開発されたのは見えているビルではなく、背中側で写っていないところです。
写しているのは「ポートデッキ」という、浜松町駅から竹芝駅、竹芝埠頭まで約500メートルがバリアフリーで行ける歩行者デッキとなります。
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↑首都高速道路の上を通れますから、南を見ると浜崎橋ジャンクションとレインボーブリッジを見渡すことが出来ます。
↓北を見れば、都心環状線と汐留の高層ビル群が見えます。
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これまでは駅から竹芝埠頭方面に行くには、海岸通りの横断歩道を渡り首都高速道路の下を通らなければ行けませんでした。
それが、こんなにいい景色を見ることができるようになりました。
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↑浜松町駅方向へと少し戻り、振り返って見てみます。
屋根付きで快適に歩行できる空間になっています。
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↑しかし、さらに浜松町駅近辺の方へは柵があり、通行止めとなっています。

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2020年9月13日 (日)

万葉集の読解への鎌倉時代の偉業と戦国時代の城跡、そして299メートルからの小川盆地の見晴らし

7世紀後半の穴八幡古墳を前回見た小川町には、すぐ近くに埼玉県旧跡があります。
市街地の西側に東西に長く延びる八幡台と呼ばれる台地の東端です。
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↑ 「仙覚律師遺跡」といい、碑はありますが遺跡としての何かモノがあるわけではありません。
仙覚は鎌倉時代の天台宗の僧侶で、埼玉県ゆかりの偉人として県ホームページにも載っていました。
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「万葉集註釈」を完成させたのが当時の比企郡北方麻師宇郷であり、現在の小川町大字増尾つまりこの辺りだったということです。
仙覚は寛元3(1245)から宝治元年(1247)年にかけて、鎌倉4代将軍の藤原頼経の命により、「万葉集」の諸本十数冊を校訂して、万葉集4500首のうちそれまで全く読めなかった152首に新たに訓点をつけました。
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↑仙覚とは関係なくでしょうが後年になって半僧坊大権現堂が建てられていて、階段前には数多くの羅漢像が並んでいます。
仙覚は文永6(1269)年に我が国初の本格的な万葉集注釈書「萬葉集註釈」(仙覚抄)を小川町大字増尾で完成させました。
仙覚の校定本と万葉集註釈書は後世の研究に大きな影響を与え、その業績は今も高く評価されているといいます。
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また、ここは「中城跡」であり、室町時代後半に築造された中城の跡で、周囲に土塁と深い堀が残っており、町の史跡に指定されています。
↑半僧坊のあるところは櫓台だったところのようで、周囲から防御しやすく攻撃しやすい位置にあります。
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中城跡は小川盆地への舌状台地の先端部にある約100m四方の単郭式の城砦です。
↑空堀と土塁のようです。
鎌倉時代に増尾郷の豪族であった猿尾種直の居館、南北朝時代初期では斎藤重範が地頭となって支配したと言われています。
前回見た八幡神社の由来にも登場した猿尾氏はマシオと読み、地名の増尾へとつながっています。
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城跡の構造や発掘調査の出土遺物からは15世紀後半の築城と考えられます。
↑虎口のようです。
戦国時代には、比企地方において有力な松山城主上田氏の支城である腰越城のさらに出城だったようです。
ここは小川町駅や町役場からも近く、300メートルくらいであるすぐ近いところにはこんな建物がありました。

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2020年9月 6日 (日)

県内最大級方墳であった穴八幡古墳と八幡神社のある小川町

小川町という、まず思いつくのは千代田区にあり、新御茶ノ水駅や淡路町駅への乗換駅でもある都営新宿線の小川町駅でしょうか。
それとも、東武東上線の終点の行き先としてよく見かける小川町駅でしょうか。
まあ、実際には東上線の終着駅はもっと先の寄居駅ですが。
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↑東上線の小川町駅のある埼玉県小川町に、古墳時代後期の古墳があり、南東から見ると高台になっています。
なお、この小川町駅はJR東日本の八高線の駅でもあります。
穴八幡古墳といい、昭和34年(1959)に埼玉県の指定史跡になりましたが、当初は円墳と考えられていたものが試掘調査で方墳とわかりました。
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↑ここは巨大な横穴式石室があることが特長です。
全長8.2メートルもあり、南に向いてその入口が開いています。
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前回見た川崎市の馬絹古墳と同じ7世紀後半の古墳ですが、大きく違うのは、この石室入口は見ることができることです。
覗き込むと、奥行きは8メートル以上あるようには見えません。
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内部は前室と後室に分かれているといいます。
石室は、小川町下里地域で採掘される緑泥石片岩など結晶片岩の一枚石を組み合わせて、造られたものです。
大きな一枚石を運ぶのは、当時としては大変だったでしょう。
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墳丘は高さが5.6メートル、一辺28.2メートルあります。
調査では、周囲には二重に周堀が巡っており、埼玉県内でも最大級の方墳であることも明らかになりました。
↑内堀らしきものが見ることができます。

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