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2020年8月 9日 (日)

相原は予想外に八王子市ではなく町田市にあり、しかも相模原市にも相原

八王子駅からJR横浜線で橋本駅に行く間に相原駅があります。
八王子市と相模原市の間にあり、八王子みなみ野駅の隣なので、相原は八王子市内と思っていました。
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↑すぐ先にある交差点は、東京都道47号線、通称町田街道の「相原十字路」という交差点です。
ここにある境川の橋が東京都と神奈川県の都県境になっており、手前が神奈川県相模原市で、奥は東京都です。
ただし、都の八王子市ではなく、予想外に町田市で、町田市は北西に向けて入り込んだような形となっているようです。
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↑これは交差点近くにあった「町田市地区案内図」です。
左側が北向きの地図なので、上方つまり東にある相原駅も町田市相原町になります。
もう一つ驚くことに、右側にも「相原一丁目、二丁目、六丁目」とあり、こちらは相模原市となっています。
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↑その相原六丁目に「相原総鎮守 相原八幡宮」があり、そこに「相原起番地之碑」があります。
明治時代初めの地租改正に際して、ここが相原1番地とされたことによります。
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相原八幡宮の創建年代は不詳ですが、平安時代の中期に小野妹子の子孫という小野孝泰が岩清水八幡宮を迎え祀ったといわれています。
御神木であるケヤキの木は平成8年(1996)に上の方が倒れてしまいましたが、樹齢600年だったと言いますから、長い歴史のある神社のようです。
相原が東京都と神奈川県にある謎もわかりそうです。
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↑本殿は見ることはできませんが江戸時代の寛政10年(1798)再建されたもので、天保3年(1832)の石燈篭が屋根付きで保存されています。
さらに古く平安時代の終わり頃には、武士団の武蔵七党の一つと言われた横山党の粟飯原氏(藍原氏)が境川を挟んだこの地域を治めていました。
それが相原の地名の由来になったそうです。
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↑本殿裏側には境川が流れていますが、「高座川」と書かれた碑があります。
以前は武蔵国と相模国の境はこの川ではなく、川の名も境界ではないから境川ではなく高座川だったそうです。
ここから上流側を見ると、今では右が町田市、左が相模原市です。
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徳川家康が関東諸国を領し、文禄3年(1594)に太閤検地を行った際、国境を村の真ん中を流れる川と変えたことにより、このようになっています。
そのため、現在の東京都町田市にも神奈川県相模原市にも相原があります。
最初に見た境川の橋の名は、二国橋といいます。
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右が武蔵国、左が相模国の二国を結んだ橋ということです。
境川も下流の方は河川改修工事もされて、広い川幅ですが、上流部のこの辺りはのどかな雰囲気です。

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