7世紀後半の神奈川県指定史跡の古墳や富士塚もあり貨物ターミナルも見渡せる馬絹神社の高台
川崎市にある宮前区や宮前台、宮崎平の由来となった馬絹神社境内の続きですが、ここには富士塚もあります。
そして、さらにはすぐ隣に古墳もあります。
↑馬絹という地名の由来ともいわれる、源頼朝が馬の袖衣を掛けた「御神木千年松の祠」があるところには、富士塚の入口があります。
祠のところから右上に上がっていけるようになっています。
石段の手前には、「参明藤開山 富士浅間大神」と刻まれた石柱があります。
↑上がっていくと途中には、富士講碑、二十三夜塔、地神塔などがあります。
やがて広い空間に出ると、馬絹神社本殿の屋根も見渡せるのですが、富士塚らしき祠などが見当たりません。
探していると、折り返したもう少し高いところがありました。
頂上に着くと、石碑があり注連縄などが雨で濡れないように、保護されています。
この富士塚はあえて山を築いたというよりは、元々あった矢上川沿いの台地を利用しているようです。
そして、先程の広くなったところから東側をみると、そちらにも小山があります。
↑ 馬絹古墳といい、矢上川の沖積低地を望む標高43メートルほどの台地の南縁辺に立地している7世紀後半に築造された古墳です。
つまり、飛鳥時代の大化の改新以降、天智・天武・持統天皇の頃といういことになります。
こちらの敷地は、馬絹古墳公園となっています。
↑馬絹神社の南側からの登り石段の参道とは別に、高台にある住宅地の北東側に入口があります。
墳丘径約33メートル、墳丘高約6メートルの円墳で、墳丘の表面は葺石で覆われていたといいます。
↑公園のある東側から見ても、当時の面影は有りません。
神奈川県史跡に指定されています。
墳丘のまわりには幅3.5メートル、深さ1.5メートルほどの周溝がめぐっていました。
↑全長9.5メートルにも及ぶ横穴式石室があったといいます。
南側の斜面のところにあったようなので、石室の様子は見られません。
内部主体は、玄室・前室・前々室の3室からなる複室構造の横穴式石室だったそうです。
↑墳丘に上がることは出来ませんが、この辺りは高台となっているため南側を見渡すことができます。
梶ヶ谷貨物ターミナル駅も、住宅の隙間からですがよく見ることが出来ます。
貨物列車の鉄道写真を撮るには穴場かもしれません。
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