久保沢跨線橋という跨道橋と川尻石器時代遺跡という縄文時代の遺跡
インターチェンジなどで複雑な重層構造の形状をした道路がよくありますが、一般道でも興味をそそられるところがたまにあります。
神奈川県道508号厚木城山線の終点近くにもありました。
↑相模原市緑区久保沢の山王神社前交差点付近です。
西の方に直進すると、国道413号線と合流して城山ダムのある津久井湖方面に行きます。
↑左の道を下っていくと、道路標識表示にあるように小倉橋へ向かいます。
↑さっきの交差点から右に下っていく道があり、こちらはすぐ先が県道510号長竹川尻線となり、反時計回りにまわりこんで、508号線の下をくぐっていきます。
↑くぐるところから東向きに、道路と山王神社を見上げれば、今いる右(この写真では左)に下っていく道も小倉橋に行くという道路標識があります。
この道路が北向きからぐるっと南向きに変わるため、最初に左に向かった道と合流して同じ小倉橋に向かうのです。
↑地図を載せますが、アップにしているのでわかりにくいことに、510と表記されているのは南北に下を通る道で、東西に上を通る508号線の数字表記はありません。
こうした道路形状の美?は楽しむことができましたが、ここでもう一つの謎があります。
久保沢跨線橋とありますが、跨線橋なのでしょうか。
↑上を通る508号線の橋梁を西に見上げると、ここから徒歩で上がって行けるようになっています。
跨線橋は線路を跨ぐ橋、道路を跨ぐ橋は跨道橋なのではないでしょうか。
ここには鉄道は通っていませんが、上に行ってみると遺跡がありました。
↑坂道を登って行くと広い草原がありますが。国指定史跡の川尻石器時代遺跡のようです。
縄文時代中期から後期(約5500~3500年前)の大きな集落跡で約2.3ヘクタールもの広さです。
石器時代との名称ではありますが、縄文時代の遺跡のようです。
↑大正時代から調査されていたという歴史をもち、豊富な遺物とともに、敷石住居跡、配石遺構、配石墓群など礫石を多用した遺構が多数保存されているといいます。
でも、現地では一か所しか保存されている展示はありませんでした。
縄文後期の敷石住居跡のようです。
↑県道408号線の終点である谷ヶ原交差点の歩道橋から振り返って見てみると、国道413号線との合流で渋滞しないように立体交差となっています。
調べてみると、こちらは谷ヶ原跨道橋で橋長61メートル、先程見たのは久保沢跨道橋で橋長90メートルであって、二つの橋になっているようです。
川尻石器時代遺跡は、大正時代から調査され昭和6年(1931)には国から史跡に指定されています。
当時は石器時代の遺跡と思われて命名されましたが、後年に詳細調査して縄文時代の遺跡とはっきりしたようです。
でも、川尻石器時代遺跡という名前はそのままのようです。
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