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2020年8月23日 (日)

川崎市宮前区の地名の由来となった馬絹神社は宮崎台の由来でもある

川崎市には宮前区が、そして東急田園都市線には宮前平駅があります。
神社つまり宮の前だから宮前でしょうが、思い当たる神社がありませんでした。
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↑地元の方は当然に知っているのかも知りませんが、この馬絹神社が地名の由来のようです。
国道246号線から東名自動車道の川崎インターに向かう、尻手黒川道路との交差点名として、「馬絹」という名前は聞いたことがありました
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室町時代末期の永禄年間(1558~1570)に、稲毛庄馬衣郷を分割して馬絹村、梶ヶ谷村、土橋村の三村ができました。
そして、明治22年(1889)の町村制施行により馬絹、土橋、有馬(当時有間)、野川、梶ケ谷の5村と溝口村の飛び地が合併して、宮前(みやさき)村ができました。
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馬絹神社は、創建年は江戸元禄以前で詳細は不明で、元は女躰権現社と称していました。
明治43年(1910)に近隣の八幡、三島、熊野、白山神社の4社を併合して神明神社に改称し、馬絹村の村社となりました。
昭和61年(1986)に本殿を新築するとともに、社名を神明神社から馬絹神社へと改称しました。
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宮前の地名になった由来としては、馬絹村のほぼ中央に位置した女躰権現社(現在の馬絹神社)が「馬絹村字宮ノ前(みやのまえ)」にあり、この付近に村役場が設置されたことによります。
そこから名付けられ、地名の「みやのまえ」から「みやまえ」になり、現在の宮前区や宮前平へとなっています。
調べていくと驚いたことに、宮崎台の由来もこちらのようです。
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明治22年に誕生した宮前(みやさき)村をルーツとする地名は2系統にわかれており、文字を継いだのが宮前や宮前平という地名で、音を継いだのが宮崎(みやざき)という地名だといいことです。
川崎市役所ホームページを調べていくと、宮崎小学校は宮崎ではなく馬絹にあり、それはこの地名のややこしさと関係するようです。
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↑馬絹神社は高台にあり、一ノ鳥居の前は、武蔵野貨物線の梶ヶ谷ターミナルがあります。
ここは前後がトンネルとなっているため、なぜここだけ地上駅があるのか不思議でしたが、ここは谷となって低い地形のためであることが行ってみて分かりました。
貨物駅も高いところに見えますが、馬絹神社は後方のさらに高い位置にあります。
ここでは、珍しいゴミ専用の貨物列車であるクリーンかわさき号も見ることもできます。
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↑馬絹神社の左側には境内社として、右の秋葉神社、三嶋神社、八坂神社が合祀されており、左には稲荷神社があります。
馬絹神社の祭神は伊邪那美命で、応神天皇、大山祇命、菊理姫命が合祀されています。
↓本殿右側の少し高いところにあるのは、源頼朝が馬の袖衣を掛けたといわれる「御神木千年松の祠」です。
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この御神木は昭和16年(1941)に枯れてしまいましたが、枯れた根の一部が祀られています。
馬絹という地名は、この頼朝公伝説により呼ばれるようになったともいいます。
実はこの馬絹神社は富士塚もあり古墳もあるので、この続きは次回とします。

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