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2020年8月

2020年8月30日 (日)

7世紀後半の神奈川県指定史跡の古墳や富士塚もあり貨物ターミナルも見渡せる馬絹神社の高台

川崎市にある宮前区や宮前台、宮崎平の由来となった馬絹神社境内の続きですが、ここには富士塚もあります。
そして、さらにはすぐ隣に古墳もあります。
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↑馬絹という地名の由来ともいわれる、源頼朝が馬の袖衣を掛けた「御神木千年松の祠」があるところには、富士塚の入口があります。
祠のところから右上に上がっていけるようになっています。
石段の手前には、「参明藤開山 富士浅間大神」と刻まれた石柱があります。
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↑上がっていくと途中には、富士講碑、二十三夜塔、地神塔などがあります。
やがて広い空間に出ると、馬絹神社本殿の屋根も見渡せるのですが、富士塚らしき祠などが見当たりません。
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探していると、折り返したもう少し高いところがありました。
頂上に着くと、石碑があり注連縄などが雨で濡れないように、保護されています。
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この富士塚はあえて山を築いたというよりは、元々あった矢上川沿いの台地を利用しているようです。
そして、先程の広くなったところから東側をみると、そちらにも小山があります。
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↑ 馬絹古墳といい、矢上川の沖積低地を望む標高43メートルほどの台地の南縁辺に立地している7世紀後半に築造された古墳です。
つまり、飛鳥時代の大化の改新以降、天智・天武・持統天皇の頃といういことになります。
こちらの敷地は、馬絹古墳公園となっています。

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2020年8月23日 (日)

川崎市宮前区の地名の由来となった馬絹神社は宮崎台の由来でもある

川崎市には宮前区が、そして東急田園都市線には宮前平駅があります。
神社つまり宮の前だから宮前でしょうが、思い当たる神社がありませんでした。
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↑地元の方は当然に知っているのかも知りませんが、この馬絹神社が地名の由来のようです。
国道246号線から東名自動車道の川崎インターに向かう、尻手黒川道路との交差点名として、「馬絹」という名前は聞いたことがありました
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室町時代末期の永禄年間(1558~1570)に、稲毛庄馬衣郷を分割して馬絹村、梶ヶ谷村、土橋村の三村ができました。
そして、明治22年(1889)の町村制施行により馬絹、土橋、有馬(当時有間)、野川、梶ケ谷の5村と溝口村の飛び地が合併して、宮前(みやさき)村ができました。
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馬絹神社は、創建年は江戸元禄以前で詳細は不明で、元は女躰権現社と称していました。
明治43年(1910)に近隣の八幡、三島、熊野、白山神社の4社を併合して神明神社に改称し、馬絹村の村社となりました。
昭和61年(1986)に本殿を新築するとともに、社名を神明神社から馬絹神社へと改称しました。
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宮前の地名になった由来としては、馬絹村のほぼ中央に位置した女躰権現社(現在の馬絹神社)が「馬絹村字宮ノ前(みやのまえ)」にあり、この付近に村役場が設置されたことによります。
そこから名付けられ、地名の「みやのまえ」から「みやまえ」になり、現在の宮前区や宮前平へとなっています。
調べていくと驚いたことに、宮崎台の由来もこちらのようです。

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2020年8月16日 (日)

久保沢跨線橋という跨道橋と川尻石器時代遺跡という縄文時代の遺跡

インターチェンジなどで複雑な重層構造の形状をした道路がよくありますが、一般道でも興味をそそられるところがたまにあります。
神奈川県道508号厚木城山線の終点近くにもありました。
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↑相模原市緑区久保沢の山王神社前交差点付近です。
西の方に直進すると、国道413号線と合流して城山ダムのある津久井湖方面に行きます。
↑左の道を下っていくと、道路標識表示にあるように小倉橋へ向かいます。
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↑さっきの交差点から右に下っていく道があり、こちらはすぐ先が県道510号長竹川尻線となり、反時計回りにまわりこんで、508号線の下をくぐっていきます。
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↑くぐるところから東向きに、道路と山王神社を見上げれば、今いる右(この写真では左)に下っていく道も小倉橋に行くという道路標識があります。
この道路が北向きからぐるっと南向きに変わるため、最初に左に向かった道と合流して同じ小倉橋に向かうのです。
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↑地図を載せますが、アップにしているのでわかりにくいことに、510と表記されているのは南北に下を通る道で、東西に上を通る508号線の数字表記はありません。
こうした道路形状の美?は楽しむことができましたが、ここでもう一つの謎があります。
久保沢跨線橋とありますが、跨線橋なのでしょうか。
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↑上を通る508号線の橋梁を西に見上げると、ここから徒歩で上がって行けるようになっています。
跨線橋は線路を跨ぐ橋、道路を跨ぐ橋は跨道橋なのではないでしょうか。
ここには鉄道は通っていませんが、上に行ってみると遺跡がありました。

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2020年8月 9日 (日)

相原は予想外に八王子市ではなく町田市にあり、しかも相模原市にも相原

八王子駅からJR横浜線で橋本駅に行く間に相原駅があります。
八王子市と相模原市の間にあり、八王子みなみ野駅の隣なので、相原は八王子市内と思っていました。
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↑すぐ先にある交差点は、東京都道47号線、通称町田街道の「相原十字路」という交差点です。
ここにある境川の橋が東京都と神奈川県の都県境になっており、手前が神奈川県相模原市で、奥は東京都です。
ただし、都の八王子市ではなく、予想外に町田市で、町田市は北西に向けて入り込んだような形となっているようです。
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↑これは交差点近くにあった「町田市地区案内図」です。
左側が北向きの地図なので、上方つまり東にある相原駅も町田市相原町になります。
もう一つ驚くことに、右側にも「相原一丁目、二丁目、六丁目」とあり、こちらは相模原市となっています。
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↑その相原六丁目に「相原総鎮守 相原八幡宮」があり、そこに「相原起番地之碑」があります。
明治時代初めの地租改正に際して、ここが相原1番地とされたことによります。
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相原八幡宮の創建年代は不詳ですが、平安時代の中期に小野妹子の子孫という小野孝泰が岩清水八幡宮を迎え祀ったといわれています。
御神木であるケヤキの木は平成8年(1996)に上の方が倒れてしまいましたが、樹齢600年だったと言いますから、長い歴史のある神社のようです。
相原が東京都と神奈川県にある謎もわかりそうです。

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2020年8月 2日 (日)

さいたま市の二ツ宮には二宮神社があるのではなく二つの宮が並んでいる

さいたま市西区には二ツ宮という地名があります。
二ノ宮神社があるのかとも思い、近くに所用があったのでちょっと神社を探してみました。
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↑氷川神社の鳥居と参道があります。
さいたま市の氷川神社といっても、武蔵国一ノ宮の氷川神社ではありません。
村社 氷川神社と書かれています。
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↑左奥の方にあるのが氷川神社の鳥居ですが、右にも鳥居があります。
ここには八幡神社があります。
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二ノ宮神社があるのではなく、氷川神社と八幡神社の二つのお宮があることから二ツ宮という地名となっています。
慶安2年、3年(1649、1650)の「田園簿」に既に二ツ宮という村名が記載されていたそうです。
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江戸時代初期にはこの辺りは開発されており、既に二つの神社があったようです。
↑二つの鳥居の中間から境内を見てみると、社殿らしきものはあります。
氷川神社も八幡神社も参道の正面に社殿があるはずですが、中間にも社殿があるようにも見え、どう配置されているのかわかりません。

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