【後編】日の出山荘で実際にロンヤス会談が行われた天心亭とゴルバチョフ大統領と有名な句碑
日本の中曽根康弘首相とアメリカのロナルドレーガン大統領のよる日米首脳会談が行われた場所の続きです。
前回はレーガン大統領夫妻を茶の湯で接待したり、会食したりした青雲堂を見ました。
↑こちらは実際の首脳会談が行われた天心亭です。
どちらも、東京都西多摩郡日の出町にある当時の中曽根首相の別荘である日の出山荘です。
↑部屋の中には、やはり昭和58年(1983)11月の報道写真が飾られています。
ここの窓から二人で外を見ているところですが、見れば記憶に残っています。
建物の向こう側は土地が低くなっており、天心亭は石垣の上に築かれています。
かなり小さな建物であることがわかりますが、約25平方メートルしかありません。
こんな狭いところで日米の首脳が会談したとは驚きです。
しかも、周辺道路等の警護のためでしょうが、3600人もの警察官が日の出町に動員されたというから大変です。
↑木々が多く、なかなか建物全体を見ることができませんが、手前が天心亭で、奥に見えているのが青雲堂です。
明治時代の芸術家である岡倉天心から名付けられたということです。
中曽根首相はこの別荘に滞在する際は、この天心亭で寝泊りしていたそうです。
↑さらに奥には書院という建物があります。
こちらは新しく平成元年(1989)に迎賓館として建てられた建物です。
二つの建物と違い、中に入ることが出来ます。
↑玄関を入ると、中は日米首脳会談をはじめとした中曽根元首相の様々な写真があります。
まさに、中曽根記念館という感じです。
この建物は木造2階建てで約371平方メートルの広さです。
訪問客に対して、日本家屋で茶をもてなし、こちらの洋館のバルコニーで洋食をふるまうという明治期のような和と洋を合わせた接客をしていたといいます。
↓バルコニーからの眺めです。
明治生まれではなく、大正7年(1918)5月生まれで、亡くなったことは大きく報道されましたが令和元年(2019)11月のことです。
101歳の長寿だったことをあらためて感じました。
日の出山荘には他にも世界的な有名人が来ていたようです。
平成3年(1991)12月までのソビエト社会主義共和国連邦、最期の大統領ミハエル・ゴルバチョフ氏です。
↑平成4年(1992)4月といいますから、大統領退任後間もなくに訪れ、ここ日の出山荘で記念植樹をしています。
前回、青雲堂の前のレーガン大統領の記念植樹を見ましたが、こちらは天心亭裏の斜面にあり、やはり外交関係が考慮されているようです。
↓別荘だったころは現在は閉鎖されている敷地の下部にある山門から入るので、石段を上ってそれぞれの建物に行ったのでしょう。
「くれてなお命の限り蝉しぐれ」
↑天心亭で詠んだ中曽根首相の代表句で、右に句碑があります。
首相退任時にも詠んだということです。
昭和57年(1982)11月から昭和62年(1987)11月まで総理大臣だったのですが、印象としてはもっと長かったような気がしていました。
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