川越にある山王塚古墳は近代の天皇陵と同じ上円下方墳でしかも最大
川越市大塚の関越自動車道川越インターの近くで、国道16号線から200メートル程しか離れていないところに「山王塚古墳」はあります。
川越市指定史跡となっています。
7世紀後半といいますから古墳終末期に造られた古墳です。
645年の大化の改新、672年の壬申の乱を経て、日本が律令国家となっていった時期です。
古墳というとイメージしやすい前方後円墳は築造されなくなっており、この山王塚古墳は上円下方墳です。
↑現在は古墳上部には山王祠があり、参道入口には山王社の鳥居があります。
上円部というように、上に円形の小山があるのはわかります。
下方部のほうの下の正方形は崩れていて分かりづらいですが、よく見るとなんとなく見えてきます。
7年前に見た武蔵府中熊野神社古墳も上円下方墳でしたが、あちらは葺石も含めて復元されていましたから、形がわかりやすいものでした。
この山王塚古墳はもともと葺石は無かったそうです。
↑4.5メートルの高さのあるところには山王社の祠があります。
上の方から下の鳥居方向を見てみると、それほどの高いわけではありませんが、大きさはすごいんです。
大きさは東日本一どころか日本一のようです。
まず、この円形の直径は47メートルもの大きさです。
↑参道の後ろ側から上円部を見ています。
下方部は一辺63メートルもあります。
国指定史跡の武蔵府中熊野神社古墳は一辺32メートルでも最大かと考えられていましたが、発掘調査の結果、山王塚古墳の大きさが測定されました。
↑ベースの下方部の周りには、幅5メートルの周溝もあり、一部だけ現存しています。
参道のあるところからは裏側になるところです。
上から見た写真では分かりづらいですが、下に降りてみると明らかな高低差があり、下方部と周溝の存在がわかります。↓
近代の天皇陵も、10か月前に見た大正天皇の多摩陵や昭和天皇の武蔵野陵のように上円下方墳です。
これは天智天皇の御廟野古墳を習ったようですが、その後の調査で円ではなく八角形の上八角下方墳であることが判明したようです。
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