小田原北条氏が寄進した石垣の上に建ち相模国総社となっている六所神社
2月になりましたが初詣の旗が国道1号線沿いに立てられています◦
大磯町国府本郷にある六所神社です。
↑この国道沿いの鳥居をくぐり参道を北に進むと、まず東海道本線の電車が通るのが見えます。
以前は踏み切りだったのでしょうが、今はアンダーパスです。
神社に行くためには人も車もここを通り抜けます。
戸惑う人もいるかもしれませんが、先に進むと「相模国総社 六所神社」があると表示されています。
参道が地下を通っている神社は珍しいのではないでしょうか。
↑その向こうの道路というか参道には大きな木があります。
大ケヤキで、神社の御神木です。
樹齢は600年といいますから、1400年頃からあったということになります。
↑神社境内の入口にはニ之鳥居はなく、奥の少し高いところに社殿があります。
第十代崇神天皇の頃、出雲から移住した氏族が櫛稲田姫命を守護神とし、柳田大神として創建されました。
大化の改新後、相模国八郡の中心たる、相模国総社としてここに遷座したといいます。
↑社殿を支える石垣は野面積みとなっています。
1500年代前期に小田原北条氏に寄進されて築造されたものと書かれています。
六所神社には歴史に関する多くの記録が記されているようです。
鎌倉時代の源頼朝による治承四年富士川の合戦の戦勝祈願、北条政子の安産祈願等あります。
戦国時代の小田原北条家はもちろん、徳川家康も六所領五十石(相模国では2番目の大きさ)寄進の御朱印状をよせました。
↑出雲に関係する神社のためか、出雲大社同様に注連縄はかなり太いです。
武蔵国総社である大国魂神社に1年前にいきましたが、相模国総社が六所神社とは知りませんでした。
柳田大神に、一之宮の寒川神社、二之宮の川勾神社、三之宮の比々多神社、四之宮の前鳥神社、平塚八幡宮の分霊を合わせ祀り、相模国総社六所神社と称されるようになりました。
↑境内の参道の両側には池があり、左には六所龍神大神社があります。
↓右には六所ひぐるま弁天社があります。
この池は六所神社の御神水となっており、水神社もあり、大きな鯉も何匹もいます。
奈良時代や平安時代に総社があった理由としては、国司が国内の一之宮、二之宮などの神社に日々参拝には行けないので、国府の近くの総社がありそこにお参りしたといいます。
すると、相模国の国府はこの近辺にあったということになりますが、何カ所か移転したと考えられているようです。
一つは国分寺のあった現海老名市、次に遺跡の発掘されている現平塚市、そして、総社である六所神社があり地名も国府となっている現大磯町です。
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