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2020年2月

2020年2月23日 (日)

川越にある山王塚古墳は近代の天皇陵と同じ上円下方墳でしかも最大

川越市大塚の関越自動車道川越インターの近くで、国道16号線から200メートル程しか離れていないところに「山王塚古墳」はあります。

川越市指定史跡となっています。

7世紀後半といいますから古墳終末期に造られた古墳です。

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645年の大化の改新、672年の壬申の乱を経て、日本が律令国家となっていった時期です。

古墳というとイメージしやすい前方後円墳は築造されなくなっており、この山王塚古墳は上円下方墳です。

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↑現在は古墳上部には山王祠があり、参道入口には山王社の鳥居があります。

上円部というように、上に円形の小山があるのはわかります。

下方部のほうの下の正方形は崩れていて分かりづらいですが、よく見るとなんとなく見えてきます。

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7年前に見た武蔵府中熊野神社古墳も上円下方墳でしたが、あちらは葺石も含めて復元されていましたから、形がわかりやすいものでした。

この山王塚古墳はもともと葺石は無かったそうです。

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↑4.5メートルの高さのあるところには山王社の祠があります。

上の方から下の鳥居方向を見てみると、それほどの高いわけではありませんが、大きさはすごいんです。

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2020年2月16日 (日)

歴史を振り返りながら秀吉が築いた石垣山一夜城を見る(後編)

小田原にある石垣山城を馬屋曲輪(二ノ丸)、井戸曲輪、展望台と見て回ってきました。

この先は本丸もありますから、ちょっと歴史を振り返りながら見ていきます。

二ノ丸からさらに一段高いところにある本丸にも石垣があります。

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この石垣は20メートルを超える高さで築かれており、石垣を築いた穴太衆の技術の高さが窺えるものだそうです。

ただし、今はかなり崩れてしまっており、石垣というよりも、所々に石があるという感じです。

本丸跡は本城曲輪とも言われていますが、やはり広いです。

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天正13年(1585)に関白となった豊臣秀吉は四国攻め、15年には九州攻めを行い西国は平定し、残るは関東、東北という状況でした。

そこで、大名同士の領土の取り合いなどがあれば、関白として征伐するという趣旨の私戦禁令『関東・奥両国惣無事令』を発しました。

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↑本城曲輪のさらに一段高いところに天守台跡があります。

ここが石垣山で一番高いところとなり、標高は261.5メートルとなります。

16年4月には後陽成天皇を京都の「聚楽第」に招き、全国の諸大名は参列を命じましたが、北条氏政、氏直父子は列席せず、秀吉の怒りの矛先が北条氏に向くことになりました。

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↑本城曲輪のところには物見台があり、前回の北の端の展望台以上に小田原市街や相模湾が見渡せます。

こちらからは更に三浦半島や遠く房総半島まで見ることができます。

アップにすれば、やはり北条氏の小田原城も見ることが出来ます。

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北条氏が攻められるトリガーとなったのは、天正17年(1589)10月に上野国(現群馬県)沼田城代であった北条氏側の猪俣邦憲が、隣接する名胡桃城(なぐるみじょう)を奪取したことでした。

これを惣無事令違反として、秀吉は11月24日に宣戦布告したのです。

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2020年2月 9日 (日)

豊臣秀吉が一夜にして築いたという石垣山城の石垣を見る(前編)

小田原にある城といえば小田原城が当然有名ですが、もう一つあります。

小田原北条氏の小田原城を攻めるために豊臣秀吉により築かれた石垣山城です。

小田原厚木道路の小田原西インターを出て直進し、東海道新幹線ガードの手前を右折し、70メートル先でもう一度右折して、1.8キロほどひたすら山道を進みます。

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↑無料駐車場があり、道路を挟んだすぐ前の斜面に石垣があります。

石垣山は国指定史跡となっており、国立公園の区域内です。

石垣山一夜城歴史公園として整備されています。

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石垣山といいますが、元々は笠懸山と呼ばれていました。

天正18年(1590)豊臣秀吉が関東では最初の総石垣の城を築いたことから「石垣山」と呼ばれるようになりました。

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↑城の縄張内に入り、急な坂を登っていくと途中から北に向けての通路が整備されており、再び石垣が見られます。

馬屋曲輪石垣といい、延長67メートル、高さ6メートル、勾配60°で比較的良好に築城当時の形態が保たれているそうです。

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↑石垣の上には馬屋曲輪があります。

馬屋があったのでしょうが、ここは二の丸とも呼ばれています。

石垣山一夜城または太閤一夜城と呼ばれるのは、秀吉が築城にあたり、山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を貼って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を切り倒し、一夜で城が出来たように見せたからです。

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↑櫓台跡と書かれていました。

あまり櫓台には見えませんが、以前はもう少し高かったようです。

次に、石垣山と言うに相応しい石垣を見るために、せっかく登ってきましたが階段を下ります。

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2020年2月 2日 (日)

小田原北条氏が寄進した石垣の上に建ち相模国総社となっている六所神社

2月になりましたが初詣の旗が国道1号線沿いに立てられています◦

大磯町国府本郷にある六所神社です。

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↑この国道沿いの鳥居をくぐり参道を北に進むと、まず東海道本線の電車が通るのが見えます。

以前は踏み切りだったのでしょうが、今はアンダーパスです。

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神社に行くためには人も車もここを通り抜けます。

戸惑う人もいるかもしれませんが、先に進むと「相模国総社 六所神社」があると表示されています。

参道が地下を通っている神社は珍しいのではないでしょうか。

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↑その向こうの道路というか参道には大きな木があります。

大ケヤキで、神社の御神木です。

樹齢は600年といいますから、1400年頃からあったということになります。

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↑神社境内の入口にはニ之鳥居はなく、奥の少し高いところに社殿があります。

第十代崇神天皇の頃、出雲から移住した氏族が櫛稲田姫命を守護神とし、柳田大神として創建されました。

大化の改新後、相模国八郡の中心たる、相模国総社としてここに遷座したといいます。

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↑社殿を支える石垣は野面積みとなっています。

1500年代前期に小田原北条氏に寄進されて築造されたものと書かれています。

六所神社には歴史に関する多くの記録が記されているようです。

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