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2019年11月24日 (日)

国分寺市都市計画道路の熊野神社通りの未開通部分と江戸時代の土木遺産と熊野神社

国分寺市内でJR中央線の500メートルほど北を、東西に走っている広めの道があります。

国分寺3・4・6号線という都市計画道路で、熊野神社通りと言われています。

国分寺駅周辺から東側や西国分寺駅というか府中街道から西側は完成しています。

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↑その府中街道の東側は拡幅できる用地は確保されていますが、歩行者以外は通り抜け出来なくなっています。

左にあるガストのさらに左の北側にある狭い道が、車にとっての「熊野神社通り」となっています。

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↑道路名になっている熊野神社がどこにあるのか知りませんでしたが、こんな所にありました。

府中街道から100メートルほど東です。

最初は、熊野神社が道路計画線の延長線上にあって、そのため道路が完成しないのかと思いきや、そうではないようです。

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↑計画線はここから少し北東に向いているようで、そこにも用地取得が完了したらしき空き地があります。

まあ左の旗竿は移設しなければいけないかもしれません。

見えている道が現道の狭い熊野神社通りです。

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↑参道の階段を上って振り返ってみると、確かにこの神社は道路計画線内の取得済みの敷地から外れているようです。

神社のさらに東の方を見てきたところ、ほとんど用地取得済みのようです。

西武国分寺線との交差部を立体交差にすることから時間がかかっているようです。

神社のすぐ北には、江戸時代明暦年間の遺構がありました。

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↑国分寺市重要史跡の恋ヶ窪村分水です。

玉川上水から明暦3年(1657年)分水された恋ヶ窪村分水は、昭和40年代までは水田への用水として使われていましたが、その後ほとんど暗渠化されました。

恋ヶ窪村分水は玉川上水の分水の中では比較的大規模で、堀幅は上部で6~9メートル、底部で50センチ、堀深は5メートルほどあります。

横の道路も重要な道だったようです。

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↑分水路は北に向けて西武国分寺線の手前まで150メートルほどは、後世に改修された形跡もなくそのまま残っており、貴重な江戸時代の土木遺産だといいます。

両端部はコンクリートで護岸されているのがちょっと残念です。

そして、このすぐ西側を南北に通る道は、中世の鎌倉街道ということです。

熊野神社の階段前の道でもあるこの道は、江戸時代には川越街道と呼ばれ、昭和19年に100メートル西の現在の府中街道が整備されるまでは、幹線道路だったそうです。

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熊野神社の創建時期は不詳ですが、やはり中世の鎌倉街道沿いらしいエピソードがあります。

元弘建武の頃(1331年)には、新田義貞の鎌倉攻めの際に社殿が焼失してしまったといいます。

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↑文明18年(1486年)には、聖護院道興准后が鎌倉から入間に向かう際に、恋ヶ窪で詠んだという歌碑もあります。

やはりさすがは鎌倉街道で、偉い人もここを通っていたということのようです。

また、恋ヶ窪という地名はその頃から既にあったようです。

碑の横の石灯籠にも彫刻が施されているものは、あまり見たことのないデザインでした。

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↑境内はさほど広くはなく、拝殿から振り返ると、左に神楽殿、右に社務所です。

社殿裏側である東側からも入れるようになっており、こちら側は道路になっています。

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今回は寒い雨の日だったため、少し都市計画道路の様子を見に行ったつもりでしたが、思わないところで、鎌倉時代や江戸時代の歴史に触れることができました。

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