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2019年11月17日 (日)

縄文時代の八幡谷戸の高台に立つ奈良橋八幡神社と幼稚園と東大和市を一望できる眺め

鎌倉時代に発達した鎌倉街道上道が東村山市を南北に貫いていますが、その支道が東大和市にあるといいます。

伝鎌倉街道ということで、奈良橋辺りを南北に通っており、市立郷土博物館前の道になります。

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↑八幡通りと名付けられており、その名の通り、八幡神社があります。

地名から奈良橋八幡神社といわれているようです。

道路も多摩湖のある狭山丘陵に向けて登り坂になっていますが、神社に向けての階段も急傾斜です。

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↑階段を登り切ったところで、参道を右に向きを変え、一の鳥居があります。

ここからの参道はかなり広くなっているというか、奥から車で入って来られるようで駐車場と道路が一体となったような構造です。

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↑社務所らしき建物の奥には幼稚園があります。

大和八幡幼稚園といいますが、確かになぜか神社に併設されている幼稚園をよく見かけます。

広い土地があるからなのでしょうか。

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↑手水舎やニノ鳥居の手前に、可愛らしい幼稚園の入り口があるという不思議な光景です。

この駐車場横の林の中には、八幡谷戸遺跡の説明板がありました。

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縄文時代中期の土器や石器、竪穴住居跡が良好な状態で保存されていたとあります。

こうした所によくある復元住居やその穴などの展示物はありませんでした。

先程の道路拡幅工事に先立つ切通し斜面部の発掘調査では大量の遺物が見つかったと書かれていましたから、ちょっと残念です。

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↑神社の社殿の右側には大杉の根株があります。

これも先程の参道入り口の灯籠のところにあった御神木の杉の木です。

樹齢270年のものでしたが、道路拡幅のため伐採されたので、ここに保存してあります。

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説明板があったので詳しく見てみると、大杉は既に老木であったため枯枝の落下で危険な状態であったため、道路拡幅だけのために伐採されたわけではないようです。

御神木はそこに2本あって、ここにあるのは右側のもので、左側の杉は市内の主要施設に輪切りにして飾られているということです。

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創建は不明ですが、少なくとも、天正3年(1575)に石川太郎右衛門により社殿が再興されたという記録はあるようです。

現在の社殿は昭和7年(1932)のものです。

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↑本殿北側には小さな富士塚が築かれており、浅間神社がありました。

そのさらに北側は雑木林になっており、東大和市立狭山緑地へと繋がっています。

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↑神社を北側から見ていますが、道路の方も急坂になっているのがわかります。

こちら社殿裏側の林の方は縄文時代の遺跡跡が希薄であるため集落の一部であり、集落の中心は、先程の林のある神社南方ということです。

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↑その神社南方の一の鳥居のさらに南側は、ここが高台であるため南に向けて展望が開けています。

東大和市立郷土博物館の屋上越しに遠くが見渡せます。

参道の階段下では100メートルほどであった標高は、八幡神社社殿の辺りでは120メートルほどになります。

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