GHQも来たという所沢市山口にある中氷川神社は三氷川の中乃社という
以前から前を通る時にちょっと気になっている神社の案内板がありました。
埼玉県道55号所沢武蔵村山立川線沿いの所沢市山口にある中氷川神社です。
「武蔵国三氷川中乃社」とあります。
3つの氷川神社の真ん中にある中氷川神社ということでしょうか。
↑一ノ鳥居を抜け、南から北に向かう参道の階段を上り、ニノ鳥居も抜けると、参道は西に向かう階段となります。
約3500坪の狭山丘陵の杜ということですから、小高い山すべてが境内となっているようです。
「延喜式内祈年國弊社」とも書かれていましたから、平安時代の延喜式に記載されていた神社ということになります。
入間・多摩二郡にまたがる92ヶ村の総鎮守とうことで、かなり広範囲の総鎮守です。
本殿は大社造で、昭和22年(1945年)に造営されたものですが立派で、心の御柱25尺です。
本殿造営の少し前である、終戦直後の昭和20年(1945年)11月に連合国軍総司令部(GHQ)が、ここ中氷川神社の臨時例大祭を視察しました。
なぜここが選ばれたのかの経緯は分かりませんでした。
当時の日本政府に於いては固唾を飲む重大事だったと神社HPにはあります。
↑社殿の左には和魂宮があります。
↓この和魂宮に向けては、ニノ鳥居のある下段から別の参道もあります。
男坂に対するこちらは女坂のような位置付けなのでしょうか。
境内社の琴平神社も立派です。
中氷川神社は崇神天皇の朝に創始され、武蔵國造の崇敬厚く、戦国時代は山口城主崇敬も厚かったとありました。
中氷川神社の「中」の意味は、大宮にある氷川神社と奥多摩にある奥氷川神社の中間にあるからという説や、大宮氷川神社と府中の武蔵國国府の中間だからという説などがあるようです。
↑帰りに南に向け参道を下りていくと、狭山湖のある丘陵が見えます。
中氷川神社には、山口貯水池である狭山湖を造るために湖底に沈んだ、朝鮮半島より渡来した人の居住地と伝えられる勝楽寺村の七社神社が合祀されています。
調べていくうちに、中氷川神社はもう一つあるとのことなので、そちらも行ってみたいです。
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