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2019年5月12日 (日)

青梅街道の元となる石灰を運んだ成木街道がわかる都指定史跡で有形文化財の成木熊野神社

青梅街道は江戸時代に整備された五街道の一つでもなく、距離も短い割には有名な主要街道となっています。

改めて考えてみれば不思議な話です。

何で東京というか江戸と青梅を結んだ青梅街道がこうした位置付けになったかを知ることができました。

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青梅市の成木地区の都道193号線沿いの小高い山のところに、いい感じの神社がありました。

成木熊野神社は小田原北条氏に属していた木崎美作が、元亀2年(1571年)に紀州熊野権現をこの地に勧請したものと伝えられています。

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↑鳥居から拝殿までには184段の石段があり、天明元年(1781年)に石灰石を切って造られたものです。

白土つまり消石灰は城の漆喰壁の材料として用いられ、ここ成木は良質なものの生産地でした。

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↑鳥居の左側には旧鳥居が保存されており、これは木崎平七が発願し、江戸や村々の石灰窯主などの寄進により文政2年(1819年)に建立されたものです。

石造扁額とともに成木道(石灰の道)との関連を示しているといいます。

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↑拝殿と覆屋は大正6年(1917年)に建立されたものです。

戦国時代には小田原北条氏の八王子城跡からも漆喰が見つかったといいます。

江戸時代になると、徳川家も江戸城の壁塗りにこの成木産の石灰を利用しました。

御用石灰として江戸まで運搬する道が成木道、成木街道で、それが後の青梅街道の元となります。

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↑絵馬殿は文化5年(1808年)に建立されたもので、旧本殿の覆屋でした。

覆屋建て替えの際に絵馬殿として流用したそうです。

これらの成木熊野神社境域が東京都指定史跡となっています。

現在の覆屋の隙間からは本殿を見ることができます。

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↑本殿は、棟札から寛永17年(1640年)に木崎美作の孫、内藤文蔵等によって再興されたものです。

間口一間、梁間二間の一間社春日造ですが、通常の春日造りと異なるとのことです。

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縋破風(すがるはふ)という本屋根の軒先にさらに付け出す片流の破風を省略しています。

西多摩地域では最古の建造物として東京都指定有形文化財となっています。

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↑神楽殿と手水舎は昭和10年(1935年)に建てられたものです。

手水鉢は巨石の一部を鉢形にくり抜いたもので、明治37年(1904年)の刻銘があります。

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↑石段の上から見てみると、鳥居は遥かに下にあります。

神社というか山の麓のところには湧水による弁天池もありました。

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ほぼ一山の南面を山頂から山麓にかけてが神域となっています。

車でたまたま通りかかったところ、山全体の雰囲気に引かれてお参りしましたが、お陰様でいい勉強になりました。

御用石灰となったことから、成木街道には江戸幕府による伝馬引継が行われ、宿駅も定められていたそうです。

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