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2019年5月

2019年5月26日 (日)

GHQも来たという所沢市山口にある中氷川神社は三氷川の中乃社という

以前から前を通る時にちょっと気になっている神社の案内板がありました。

埼玉県道55号所沢武蔵村山立川線沿いの所沢市山口にある中氷川神社です。

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「武蔵国三氷川中乃社」とあります。

3つの氷川神社の真ん中にある中氷川神社ということでしょうか。

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↑一ノ鳥居を抜け、南から北に向かう参道の階段を上り、ニノ鳥居も抜けると、参道は西に向かう階段となります。

約3500坪の狭山丘陵の杜ということですから、小高い山すべてが境内となっているようです。

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「延喜式内祈年國弊社」とも書かれていましたから、平安時代の延喜式に記載されていた神社ということになります。

入間・多摩二郡にまたがる92ヶ村の総鎮守とうことで、かなり広範囲の総鎮守です。

本殿は大社造で、昭和22年(1945年)に造営されたものですが立派で、心の御柱25尺です。

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本殿造営の少し前である、終戦直後の昭和20年(1945年)11月に連合国軍総司令部(GHQ)が、ここ中氷川神社の臨時例大祭を視察しました。

なぜここが選ばれたのかの経緯は分かりませんでした。

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2019年5月19日 (日)

東村山市役所近くにある平和塔公園の境塚、あちら側にあるという浅間塚と今後は見られないであろう景色

前を通る時にちょっと気になっている神社の案内板がありました。

東村山市役所や東村山警察署前の府中街道西武新宿線踏切を渡ったすぐ西のところに、平和塔公園があります。

階段の付いた小さな山があるだけの公園で、この名称も不思議でした。

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↑この小山は「境塚」というようで、東村山市教育委員会による説明板があります。

江戸時代に幕府は武蔵野原の新田開発をすすめましたが、延宝、元禄年間には入会地の開墾をめぐって幕藩領主層と自立農民との対立も起りました。

延宝8年(1680)には「境目絵図」がつくられたり、その後村々にはこのような境塚が築かれたということです。

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境塚の上には、昭和36年に平和の女神像が立てられたのでこの公園の名前となったようです。

ここは元「大塚」で、今はなき「小塚」も近くにあったそうです。

説明板には「あちら側にある」という表現で、浅間塚についても書かれています。

しかし、「あちら側」が頂上からも見えないので、住宅街を探し回ってみました。

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↑北の方にそれらしきものがありました。

禁止という看板が見えたので入れないのかと思いましたが、立ち入り禁止ではなく、はりがみ禁止のようで南東側には登れるように階段がありました。

この浅間塚のところにも東村山市教育委員会による説明板がありました。

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この塚は富士塚ではありませんが、頂上に富士信仰の浅間神社が祀られており浅間塚と呼ばれているということです。

江戸時代の文化文政の頃から各地に富士山を模した富士塚も築かれましたが、これは違うようです。

でも、祠はあります。

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2019年5月12日 (日)

青梅街道の元となる石灰を運んだ成木街道がわかる都指定史跡で有形文化財の成木熊野神社

青梅街道は江戸時代に整備された五街道の一つでもなく、距離も短い割には有名な主要街道となっています。

改めて考えてみれば不思議な話です。

何で東京というか江戸と青梅を結んだ青梅街道がこうした位置付けになったかを知ることができました。

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青梅市の成木地区の都道193号線沿いの小高い山のところに、いい感じの神社がありました。

成木熊野神社は小田原北条氏に属していた木崎美作が、元亀2年(1571年)に紀州熊野権現をこの地に勧請したものと伝えられています。

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↑鳥居から拝殿までには184段の石段があり、天明元年(1781年)に石灰石を切って造られたものです。

白土つまり消石灰は城の漆喰壁の材料として用いられ、ここ成木は良質なものの生産地でした。

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↑鳥居の左側には旧鳥居が保存されており、これは木崎平七が発願し、江戸や村々の石灰窯主などの寄進により文政2年(1819年)に建立されたものです。

石造扁額とともに成木道(石灰の道)との関連を示しているといいます。

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↑拝殿と覆屋は大正6年(1917年)に建立されたものです。

戦国時代には小田原北条氏の八王子城跡からも漆喰が見つかったといいます。

江戸時代になると、徳川家も江戸城の壁塗りにこの成木産の石灰を利用しました。

御用石灰として江戸まで運搬する道が成木道、成木街道で、それが後の青梅街道の元となります。

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↑絵馬殿は文化5年(1808年)に建立されたもので、旧本殿の覆屋でした。

覆屋建て替えの際に絵馬殿として流用したそうです。

これらの成木熊野神社境域が東京都指定史跡となっています。

現在の覆屋の隙間からは本殿を見ることができます。

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2019年5月 6日 (月)

数多くの花咲く智光山公園の都市緑化植物園にあるハンカチの木

狭山市にある埼玉県立智光山公園は非常に広大で、面積は53.8ヘクタールもあります。

アカマツ、コナラ、クヌギなど武蔵野の豊かな自然をそのまま生かして作られた大規模な都市公園となっています。

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↑東京ドーム11個分の広さですから、池もあれば林もあるのですが、それだけではありません。

体育館やテニスコート、キャンプ場、釣り場などの施設もあります。

さらに動物園と植物園もあります。

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↑その狭山市都市緑化植物園に、ハンカチの木があり開花しているというので見に来ました。

花の形がハンカチのように見えるということでしょうか。

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そのすぐ下にあるキンキャラという低木は、花ではありませんがキレイです。

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ここまで来る途中の道路にもツツジがキレイに咲いていましたが、ここにあるツツジは色が違います。

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花壇には色とりどりの花が咲いていて、一つひとつ紹介しきれません。

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私のように花の名をよく知らない者向けに、できれば全ての花の名称を表示して欲しいものです。

別の場所では、大きな花の咲いた前で写生をしている人がいました。

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