現代の古墳となっている昭和天皇陵と大正天皇陵のある武蔵陵墓地と新しい陵のあり方
平成31年4月23日に天皇皇后両陛下は、昭和天皇陵に参拝して4月30日に譲位することを報告するといいます。
その直前に昭和天皇陵のある武蔵陵墓地に行ってきました。
国道20号線の高尾駅少し手前の北側へ自転車ではなく車で行きました。
↑ここには4つの御陵があります。
西の奥から多摩陵、多摩東陵、武蔵野陵、武蔵野東陵となります。
↑西に向けて、北山杉の間の参道を進みますが、カーブとなっていて先が見えないことが不思議なところへ行くという感覚にさせてくれます。
昭和天皇陵へは途中の新参道を北に向かった正面です。
鳥居の向こうに武蔵野陵、昭和天皇陵があります。
「むさしののみささぎ」と読みます。
古くないから「古墳」とは言わないのでしょうが、上円下方墳となっています。
昭和天皇武蔵野陵と記されています。
広そうですが、帰って調べてみたら、2500平方メートルの面積があるそうです。
↑その右には香淳皇后武蔵野東陵があります。
こちらも上円下方墳となっていますが、少し小ぶりのようです。
面積は1800平方メートルということです。
警備のための詰所らしき建物も趣きがあります。
西の奥に向かうと、大正天皇陵があります。
大正天皇多摩陵は一段と高いところに位置しているようです。
形式は上円下方墳です。
同様に東側には、貞明皇后多摩東陵があります。
面積も同様に2500平方メートル、1800平方メートルのようです。
というよりは、大正天皇陵に合わせて昭和天皇陵を作ったのです。
戦前の「皇室陵墓令」で定められていた面積を踏襲したようです。
平成25年11月に宮内庁は、平成の天皇皇后両陛下の意向を受けたものとして、「今後の陵と葬儀のあり方について」を発表しています。
そこでは。隣とはいえ別々だった天皇陵と皇后陵を寄り添う形で作ることとし、敷地面積も従来の半分程度とすることとしています。
↑位置は大正天皇陵の西となるようです。
↑帰りの参道ではツツジらしいけれど洋風の花が咲いています。
写真を検索してみると、アゼリア、アザレアとのことです。
洋風であることに少し違和感も感じましたが、それこそ古い考え方で、平成流以降は違うのかもしれません。
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