フォト
無料ブログはココログ

ランキングに参加しております。いずれかポチッとお願いします。

« 2019年2月 | トップページ | 2019年4月 »

2019年3月

2019年3月31日 (日)

貢物を調製するから三ツ木村にある和銅創立だという十二所神社

武蔵村山市三ツ木の青梅街道近くに十二所神社があります。

峰という交差点の近くを少し北に向かったところにあります。

 Img_8741-500x375

 この神社は、天照大御神をはじめとする天神七代、地神五代からなる十二代の大神が祀られているところから十二所神社とよばれています。

多摩湖のある狭山丘陵の麓からの斜面の上にあります。

 Img_8746-500x375

↑階段を上ると正面に社殿があります。

和銅年間(一説には和銅元年)に創立されたと言われています。

Img_8747-500x375
↑拝殿はまさか創建当時のものではありませんが、いつ再建されたかは分かりませんでした。

和銅といえば708年から715年ですから、和銅元年は708年ということになります。

なんとキレイな平城京の710年よりも前と考えると、驚かされます。

Img_8754-500x375
↑本殿もいい感じの木造建築物です。

和同でないのかと思いましたが、和銅という銅塊が献上されたことを祝い和銅に改元され、それで作られたのが和同開珎といいます。

この地区は三ツ木という名称ですが、この由来も面白いものでした。

続きを読む "貢物を調製するから三ツ木村にある和銅創立だという十二所神社" »

2019年3月24日 (日)

南沢湧水の守護神であり東久留米総鎮守でもある南沢氷川神社

湧水や自然豊かな落合川では、河川改修工事をした際に、元の川の形や周囲の自然を極力残すような努力が感じられるところが至る所にあります。

東久留米市南沢辺りの川が蛇行しているところもその一つです。

Img_8789-500x375

↑落合川の南の小高い丘の上に氷川神社があります。

ここ東久留米市南沢の氷川神社は、古来より湧水の守護神として鎮座していたといいます。

Img_8764-500x375

建立年次は不明ですが、出雲国の斐伊川の故事に倣って創立されたそうです。

現存する古文書に在原業平に関する古伝があり、東下りの折、南沢に宿を求めこの神社に立ち寄ったとのことです。

Img_8767-500x375

在原業平といえば、平安時代初期の歌人ですから、随分と歴史があることになります。

↑火災による消失により、現社殿は昭和46年に再建されたものです。

つい最近のように思ってしまいますが、1971年のことになりますからもう50年近くなります。

Img_8769-500x375

とてもキレイですから、近年塗替えをしたのでしょうか。

この神社では江戸時代の再建の際の棟札が、東久留米市指定有形文化財となっています。

承応3年(1654年)のもので、寄進者として久世大和守や南沢村領主の名前が刻まれています。

Img_8773-500x375

久世大和守広之は南沢で生まれ、後に徳川幕府の将軍側近や老中を務めた実力者だそうです。

また、加藤清正虎退治絵馬も市指定有形文化財となっています。

こちらは、市内最古の絵馬で、文政4年(1821年)に制作された、武者絵馬の代表的なものです。

Img_8776-500x375

↑社務所は昭和59年に建てられたものです。

棟札も絵馬も公開はされていませんので、見ることは出来ませんでした。

ところで、棟札の寄進者には、南沢村、田無村、入間村、下新井村総氏子とも記されているので、かなり広範囲の氏子信徒により再建されたことになります。

やはり水の神は大事だったのでしょうか。

続きを読む "南沢湧水の守護神であり東久留米総鎮守でもある南沢氷川神社" »

2019年3月17日 (日)

東京都と埼玉県に南北に分断された秋津村の鎮守だったという日月神社と伝説

旧所沢街道を通る西武バスのバス停に「日月神社」という名のところがありますが、通りに面していないので、どころにあるか知りませんでした。

それが道路のすぐ近くにあることを知りました。

Img_8664_500x375

↑「にちげつ」ではなく、「じつげつ」と読むそうです。

柳瀬川の北側の河岸段丘のところにあるため、社殿に向けては高台になっています。

Img_8665_500x375

階段を昇ると、御神木とともに「蜻蛉(とんぼ)の寄生木」という伝説が記されています。

それというのは、この秋津村に無理難題を言って家臣を困らせていた殿様がいて、自分の年齢と同じ数の蜻蛉を捕ってくるよう家臣に命じましたが、1つ足りませんでした。

Img_8678_500x375

怒った殿様が、ここで「神の力があるのなら、蜻蛉を、御神木の欅(けやき)の股から別の種類の木にしろ。出来なかったら祠をつぶす。出来たらもう無理難題は言わない」と言って、御神木に蜻蛉を投げつけてしまいました。

この御神木と社殿は同一の高台の上にあります。

Img_8669_500x375

祭神は大日孁貴尊と月読尊ということで、日月神社です。

武蔵国秋津村の鎮守でしたが、武蔵国が柳瀬川を境に南北に、東京都と埼玉県へと分離されてしまいました。

一ヶ月程前に見たように、秋津町は東京都東村山市の地名ですが、ここの地名は埼玉県所沢市北秋津です。

続きを読む "東京都と埼玉県に南北に分断された秋津村の鎮守だったという日月神社と伝説" »

2019年3月10日 (日)

多摩市諏訪は連光寺村の一部であった馬引沢のさらに一部だったところ

多摩ニュータウンの中でも多摩市諏訪や永山は、一番最初の昭和40年代に開発された地区です。

京王線や小田急線の永山駅ができる前に入居が開始されたので、当時は陸の孤島であり、バスで通勤通学するしかなく大変だったといいます。

Img_8719_500x375

↑京王永山駅のすぐ北側の多摩消防署交差点から北東の諏訪1丁目方向を見ています。

現在は消防署は建替工事が行われているようで、ここにありません。

多摩市になる前の多摩町・多摩村の小字馬引沢から、多摩ニュータウンのための区画整理により諏訪などが分離されました。

Img_8720_500x375

↑諏訪越通りを登り、坂を下ると多摩馬引沢交差点です。

左右に通る都道18号府中町田線の向こうは、現在も馬引沢という地名です。

2020年8月9日の東京オリンピックにおける自転車競技ロードレースのコースは、この奥の馬引沢北通りから来て、この都道を右へと進みます。

Img_8723_500x375

こんなところを!とびっくりですが、本当なのです。

↑ところで、馬引沢という名の川は現在もあり、馬引沢ではなく諏訪1丁目を流れています。

諏訪神社の前なのですが、上流方面は急な斜面となっています。

Img_8722_500x375

↑この奥は先程通った諏訪越通りの下を潜る暗渠となっているようです。

沖ノ谷戸から流れているようですが見つけられませんでしたので、諏訪神社を見てみます。

この辺りの諏訪という地名の由来は、この諏訪神社なのでしょう。

Img_8724_500x375

↑鳥居にも諏訪神社とだけ書かれていましたが、検索してみると連光寺諏訪神社がヒットしました。

なぜ連光寺なのかを調べてみました。

続きを読む "多摩市諏訪は連光寺村の一部であった馬引沢のさらに一部だったところ" »

2019年3月 3日 (日)

入間川の入間市狭山市境にある笹井ダムと豊水橋という名称について

西武バスの路線図を見ていたら、行ってみたいと思うところがありました。

「笹井ダム」という停留所です。

ダムといっても入間川の上流部ではなく、入間市駅からさほど離れていない中流部で、ダムのありそうなところではでありません。

Img_8715_500x375

↑期待していた以上に水は貯まっていました。

堰であろうことは想像していましたが、その通りでした。

河川法の定義的には、基礎地盤から堤の頂上までの高さ15メートル以上のものをダム、それ未満は堰です。

Img_8708_500x375

笹井ダムというよりは、笹井堰ということになります。

しかし、バス停からここに来る道路も「笹井ダム通り」と名付けられています。

Img_8711_500x375

私のような物好きが来るのですから、観光的にはいいのではないでしょうか。

農業用河川工作物応急対策事業として昭和55年から60年に工事されましたと書かれていました。

Img_8699_500x375

堰体巻立工の長さは212メートルともありますから、補強工事をしたということでしょうか。

下流側から改めて見てみると、結構な高低差があるようです。

魚の上流への遡上のための魚道も作られています。

Img_8701_500x375

左の下流側から1段目、2段目と来て、手前の3段目へと上がる仕組みになっています。

魚も頭が良く、空間把握の能力が求められます。

私も全体像を見るために、右岸側も見てみたいものです。

続きを読む "入間川の入間市狭山市境にある笹井ダムと豊水橋という名称について" »

« 2019年2月 | トップページ | 2019年4月 »