国指定史跡の武蔵国府跡で見るVRとオリンピックロードレースの最初の10キロの意味
武蔵国の国府があったため、府中という地名となったということですが、その武蔵国府跡が国指定史跡になっているようなので見てきました。
大國魂神社のすぐ東側にあります。
この区画のみが国府跡なわけではなく、南北約300メートル、東西約200メートルという現在の大國魂神社全域やその東側という広い範囲に国衙があったということで、「武蔵国衙跡地区」とされています。
展示施設があり、横には朱色の柱が複数本立っているのが特徴的です。
この展示施設の側面はミラーガラスの映り込みを利用し、当時の建物の規模を表現しているそうです。
国府の中でも中枢施設として市内で最大規模の建物で、この朱色の柱は、発掘で見つかった当時の国衙の中枢にあった建物の柱の位置を示しています。
大化の改新後、奈良時代初期から平安時代中期にかけて、各国を治める国司が政務を行う施設(国庁)が全国60数ヵ所に置かれていました。
その国庁が置かれた都市は国府と呼ばれ、政治、経済、文化の中心として栄えていました。
ややこしいですが、「国衙」は国府の中でも政務の中心となった施設である国庁を含む役所群(エリア)のことです。
この施設内よりも、大國魂神社境内?かというところにある府中市「ふるさと府中歴史館」にある大型画面のCGによる「国府百景バーチャルツーリング」などで、詳しく知ることができます。
その建物は外壁工事中で分かりづらいですが、営業しており、2階には宮前図書館もあります。
↑国史跡の指定範囲は、大國魂神社境内やその西側にも広げられ、2018年11月25日には「国史跡武蔵国府跡(国司館地区)史跡広場」が、「国司館と家康御殿史跡広場」としてオープンしました。
奥にに見えるJR府中本町駅のすぐ東側になります。
ここには武蔵国を治めた行政機関の長、国司の「国司館(こくしのたち)」があったといいます。
古代の武蔵国府に都から赴任してきた国司の国司館の建物を2.4メートルの柱によって復元しています。
↑国司の居室兼執務室で儀式も行われた主殿(右)のほか、国司とその従者などが仕事や生活で使っていた脇殿(左)や付属建物も復元されています。
その当時の様子がわかるように、10分の1の復元模型があり、儀式が行われているところのようで、右が主殿、左が脇殿です。
そして江戸時代には、徳川家康が鷹狩をする際に宿泊・休息をした「府中御殿」も置かれていましたといいます。
古代の国司舘、江戸時代の家康御殿のイメージを分かりやすくするために、VR(バーチャル・リアリティ)映像を見ることが出来ます。
事務所で、イヤホン付きのVR専用スコープの貸出しを受けて、5つの指定されたポイントに行くと、蹴鞠(けまり)や鷹狩り等の様子を見て聴くことができます。
府中ふるさと歴史館のCGに感動していたら、こちらのVRはさらに上をいっていて、府中市のこちらの観光への力の入れ具合に驚きました。
この広場は府中街道に面していますが、それを少し北に行くと、東京都指定旧跡である「府中高札場」があります。
これは、江戸時代に禁制や法令等を伝えるための板札である高札を掲げた場所です。
交通の要衝に設置されており、ここは甲州街道、川越街道、相州街道の交差点だったといいます。
今の府中街道を、川越街道と相州街道と呼んでいたのでしょうか。
また、この奥は大國魂神社の御旅所でもあります。
この左右への府中街道も前回書いたように、2020年7月25日、26日の東京オリンピックの自転車競技ロードレースのコースとなります。
ちょっと疑問だったのが、府中街道はまだしも、けやき並木をあの高速で走るロードレースのコースにして大丈夫なのかなということです。
調べてみたら、コースのうち、最初の10キロメートルはパレード走行区間という、実際にレースのスタートが切られるまでの非競技区間で、低速で揃って走行する区間だそうです。
実質、多摩川を渡る辺りからスタートなのでしょう。
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